029.Space Traveler
数日後、学園寮のリビング。
湯呑を手にした一同は、ダイニングテーブルを囲んで寛いでいた。
テーブルの上に広げているのは商店街で購入したばかりの朝生菓子で、その品揃えは塩大福から水羊羹まで多岐に渡っている。今日の飲み物は偶々エイミーが煎れた緑茶であるが、それがエスプレッソや紅茶であっても和菓子は一同にとって欠かせない甘味なのである。
「シン、どうしても一人で行くのかい?」
先日のホワイトハウス訪問にも同行していたルーが、大好物の塩大福にも手をつけずに心配そうな表情を浮かべている。普段はシンの行動に関して不安を感じる事は皆無の彼女なのであるが、どうやらカーマン・ラインに到達する異例のテスト飛行に不安を感じているのであろう。
「軍事作戦じゃないんだから、ルーがわざわざ同行する必要は無いと思うんだけど」
シンはサイズが大きな、昔ながらのみたらし団子を頬張っている。
商店街にある和菓子屋は庶民向けの老舗?なので、どの品もサイズが全般的に大きめになっているのが特徴である。
「ほら私もパイロットだし、いざという時に役に立つと思うよ」
「戦場ならそうするけど行先は民間飛行場だからね。一人乗りの機体で、いざという時にはジャンプで脱出するのが必須だから」
今回搭乗する機体は『SS2』互換のプロトタイプだが、どうやら脱出シークエンスは現時点では未完成であるらしい。
「私が役に立つとは言えないけど、最初からシンのアノーマリーを当てにしてるのが気に食わないんだよね」
「まぁ大統領から頼まれると断りにくいしね。
それにルーだけを連れて行くと、今度はエイミーの機嫌が心配だから」
「……シン、私は別に不機嫌になっていませんよ。
それに今回は、昔のシャトルのような大事は起きないと思います」
2つ目のどら焼きに手を伸ばしながら、エイミーはリラックスした表情で断言する。
エイミーのはむはむと咀嚼している姿を見て、ルーは漸く納得できたようでここで会話は一旦終了したのであった。
☆
米帝ニューメキシコ州某所。
広大な荒野に作られた飛行場は、滑走路に隣接した巨大なハンガー以外には何も無い風景である。但しハンガー内部に目を移すと、整備スペース以外にもパーティションで仕切られたオフィスが存在し、かなりの人数が働いているのが見て取れる。工場と事務部門が同じ空間にあるのは、従業員の士気を高めるという大きな理由があるのだろう。
「ほうっ、君があのCDのアーティストなのかい?
会えて嬉しいよ」
大統領を交えたミーティングで右手を差し出して来た人物は、誰もが知っている世界有数の実業家である。まるでロックミュージシャンのような長髪と無邪気な微笑みは、彼を実年齢よりもかなり若く見せている。
「サー、自分もお会いできて光栄です」
王室からナイトの称号を受けている彼に対しては、サーと呼びかけるのが正しい挨拶なのだろうか。
「本来なら、この極秘プロジェクトはN●SAご指名のパイロットじゃなくて社内の人間が操縦する筈だったんだ。友人である大統領の強いお願いであっても、全て言いなりになるのは気が進まないんでね」
「……」
「大統領が推薦して来た君が、優秀なテストパイロットであるのは●ッキード・マーチンの方からも聞いてるよ。でもその当人が僕のお気に入りのミュージシャンだと知って、パイロット交代を急遽了承したという訳」
「彼はホワイトハウスで流れていたシン君の音源を気に入ってね、自腹で購入したみたいなのよ」
「レコード会社をお持ちの方に気に入っていただけたのは光栄ですが、自分の指名を了承していただけたのは単に面白がってなのですか?」
「僕はいつでも、多才な人間が好きなんだよ。
過去に知り合ったプロメテウスの人達にも、かなり驚かされたしね」
「僕はそんなに大層な人間じゃありませんよ。音楽が好きなだけなんで、別にミュージシャンとして成功しようとも思ってませんし」
「大統領、君のTOYBOYはずいぶんと謙虚なんだね」
ゴシップ誌に揶揄されているシンの事を、彼は知っていたようである。
「軍人として私を何度も窮地から救ってくれてるから、公式に叙勲して感謝を表したいのだけれど。
尉官としての彼の立場から言うと、顔が売れるのは好ましくないのよね」
「そういえば、CDジャケットでも素顔が写ってなかったね。
僕がプロデューサーなら、そのハンサムな顔を大写しで使うのにね」
「……」
「それじゃ早速、『SS2』のシミュレーターで訓練して貰おうかな。
今日は大統領もスケジュールに余裕があるから、出来るだけ立ち会いたいと言っているし」
「シミュレーターがあるんですか?」
「勿論。
将来的にパイロット要員を確保するためには、必須の設備だからね。
特にフェザリングでは事故も起きてるから、機体の開発費と同じくらいコストを掛けてるんだ」
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シミュレーター訓練後。
「スコアは完璧だから、このまま実機でのフェザリング・テストを続行して貰おうかな」
シミュレーター訓練に立ち会っていたフライト・ディレクターは躊躇無くシンに提案してくるが、この辺りがお役所仕事とは無縁であるベンチャー企業の柔軟な点なのだろう。
「『WN2』のフライト準備は出来てるんですか?」
「うん。母機はランチャー装備以外はごくオーソドックスなジェットだから、この辺りがN●SAの宇宙機と違う所だよね」
「機体の外見は『SS2』と変わらないのに、計器は微妙に違うんですね」
駐機中の機体に与圧服を装備したシンが、コックピットに体を押し込みながら呟く。
「そう。この機体は『SS2』よりもより高高度の軌道に入れるように設計されているし、追加装備もあるから」
フライトディレクターが、インカム越しに機体に関する説明をしてくれている。
「それにEICASの表示が見慣れない……いやこれは最近見た記憶があるな。
大統領、これは『プロヴィデンスの禁じ手』じゃないですか?」
シンはバステトの母星でも見たことがある、重力制御のエンジンの計器を思い出していた。
「そう。事前にエイミーに相談してたんだけど、この惑星で製造した超技術にはプロヴィデンスの介入は無いみたいなのよね」
このタイミングでインカムの回線を切り替えたのだろう、小さなノイズとともに大統領の声が耳に入ってくる。
「なぜ僕に声を掛けて来たのか、ようやく明確な理由が分かりましたよ」
先程受けたシミュレーター訓練には、当然の如く重力制御エンジンについてのレクチャーは含まれていない。この惑星で全く違うテクノロジーの機体を操縦した経験があるのは、シンだけであろう。
「そういう事。
貴方ならフェザリングに支障があったとしても、なんとか機体を破損せずに帰還できるでしょ?」
「了解しました。ベストを尽くします」
上辺の理由では無く呼ばれた本当の理由がはっきりしたので、シンは俄然やる気になっていたのであった。
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