022.In His Hand
フェリーの当日。
アラスカ・ベースのブリーフィングルーム。
「対策って?
そんなに頻繁に、燃料トラブルが起きてるんですか?」
確率偏位体質のシンは、自分の身に降り掛かったトラブルも直ぐに忘れてしまうのであろうか。
重大トラブルに何度も遭遇しているにも関わらず、まるで何事も無かったような発言である。
「燃料ポンプなんて地味なパーツだけ、これだけトラブルが頻出するのは明らかにおかしいからね」
ベルはシンが当事者意識が欠如している点を、今更指摘したりしない。
シンの性格の根源であるおおらかさは、彼の大きな長所であると理解しているからである。
「アンはジェット燃料の品質を疑ってましたよね?
障害が起きるメカニズムが分からないのに、よく対策ができましたね」
「現象は皆同じだから、フィルターを瞬間的にバイパスして固形化した部分をトラップしてるんだ。
まぁ粗悪な燃料対策としては、原始的なやり方なんだけどね」
「なるほど」
「それで一番の注意点は、給油機との合流座標を間違えない事かな」
「?」
「現状では米帝の戦術ネットとは接続出来ないし、レーダーにも映らないからさ。
給油出来ないと、ピンチだよね」
「まぁいざとなったら、垂直着陸すれば何とかなるんじゃないですか?」
「ああ。君が何とか出来るこの惑星上の一人であるのは、重々承知しているよ」
☆
アラスカベースの滑走路。
シンはSTOVLで離陸するために、管制からの許可を待っている状態である。
『シン、離陸準備は良いですか?』
「あれっ、SIDって管制無線に直接割り込めたっけ?」
『いえ。戦術ネットワークでは無くて、この機体のコントロールは私のサブセットが管理していますので』
「へえっ、コミュニケーターと同じ技術を使ってるんだね」
『はい。デフォルトの内蔵AIは出来が悪いとレイさんが言っていたので、プログラムは全て私自身で改変しました』
「それは心強いね、よろしくSID」
『空中給油を含めて、ずっと寝ていても大丈夫ですよ』
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同時刻の学園寮のキッチン。
「ねぇエイミー、流れてるのは航空無線だよね?」
助手として厨房に立つ機会が増えたマイラが、野菜を中華包丁で刻みながらエイミーに顔を向けている。彼女は既にセスナの滞空時間を稼いでいる状態なので、ライセンスの取得も視野に入っているパイロット予備軍なのである。
「いえ。この場所で戦術ネットワークを傍受するのは不可能ですから、SID経由の音声通信です」
エイミーは滑らかな動きで、カッコンカッコンと中華鍋を振っている。
同年代の少女では、重量のある鍋を同じように振るのは到底不可能であろう。
「エイミーにしては、珍しいね。
普段は心配する事なんか無いのに」
「久しぶりに戻ってきたので、何か仕掛けられる可能性が高いんですよ。
トラブルでシンがどうにかなるのはあり得ないにしても、周りが影響を受けますからね」
「EOPの映像で稼がせて貰った私達が言うのは何だけど、シンはカメラ映えするしいつでも注目の的なんだよね」
「シン本人は、今や生半可なトラブルでは顔色一つ変えませんから」
「ねぇエイミー、それって惚気けてるように聞こえるんだけど?」
「そんなつもりはありませんけど、まぁ事実ですから」
エイミーの顔色がほんの少しだけ赤味を帯びたのは、たぶん気のせいなのだろう。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
一万メートルを超える高度を巡航しているシンの機体は、米帝のレーダー網に検知されずに静寂の中を飛行している。空中給油の関係もあってフライトプランは事前に太平洋軍に提出されているので、たとえ発見されたとしても何の問題も無いのではあるが。
日常的に『移動時間』というものを経験しなくなったシンにとって、フェリーをしているこの時間は一人きりで過ごせる貴重な時間でもある。自動操縦装置が起動しているので、警戒レーダーに異常が無ければSIDからの呼び掛けも起きないであろう。新型のF−135エンジンはいつもと変わらないエンジン音を奏でていて、燃料ポンプにも特に問題は無さそうである。
(こうして考え事をする時間はあんまり無いから、ロングフライトも偶には良いものだね)
身じろぎを殆どしないシンであるが、ヘルメットに内蔵されている視線検知機能で寝ていないのはSIDに把握されているだろう。もちろんSIDは考え事をしているシンに、無遠慮に話し掛けてくる事は無い。時折雲海の下に除く海面は、海洋汚染などどこ吹く風のエメラルドグリーンである。
(うわぁ、やっぱり海の色はこれだよね!)
『シン、ひさびさのテラの景色はどうでしょうか?』
シンの心の中を見透かすように、SIDが穏やかな声色で話しかけてくる。
「もちろん此処が、僕のホームグラウンドだからね。
SIDはサブセットと同期してるから、あの惑星でも現場に居たのと同じでしょ?」
「……AIは美醜を判別できる基準を持っていませんが、やはり茶色の海の色は美しく思えませんでしたね」
☆
翌日、ハワイベース滑走路。
燃料節約のためにリフトファンを使わずに着陸したシンは、SIDの制御しているトーバートラクターに牽引されている。展開したキャノピーから降りてきたシンを、ジョンとエリーが二人して出迎えている。
「シン君、お疲れ様」
初対面から全く印象が変わっていないジョンは、Congohが提供しているアンチエイジング技術のお陰で相変わらず若々しく溌剌としている。
「いやぁ、ほとんど寝てたんで全然疲れてないですよ。
SIDに操縦を任せて、ちゃんと起きてたのは空中給油の時だけですから」
「この狭いコックピットじゃ、熟睡出来なかっただろ?」
「いえ。僕の体型に合わせてベルさんがしっかりアジャストしてくれたので、座り心地も悪くなかったです」
実際には睡眠を取っていないのであるが、正直に申告する必要も無いのでシンは笑って話を流している。
「シン、それならご飯を作ってくれる?」
会話に割って入ったエリーが、切実な表情をしてシンにお願いをしている。
「うん勿論。
リクエストは何かあるかな?」
エリーのお願いは何時もの事なので、シンは彼女の頭を撫でながら優しい口調である。
「シンが作ってくれるなら何でも!
だってシンの作る料理は、何を食べても美味しいもの」
胃袋を掴まれている彼女は、ユウと同様にシンにもしっかりと懐いているようである。
料理に関しては娘にさえ期待されていないジョンは、苦笑いしながらも二人のやり取りを傾聴していたのであった。
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