021.Pro Life, Pro Choice
Tokyoオフィスに立ち寄ったシンが、何時ものようにユウに相談を持ちかけている。
ちなみに深刻な表情では無いので、作戦絡みでは無く飲食に関する相談なのであろう。
「ところでユウさん、ハウス冷凍庫にはどの位空きがありますか?」
「ああ、例の『お肉』を持って来てくれたんだっけ?」
「トン単位でありますから、入るならいくらでも置いていきますよ」
「キャスパーが喜ぶけど、調理が意外と難しいんだよね」
「鯨料理のレシピなら、ほとんどそのままで大丈夫じゃないですかね?」
「私が修行したのは北米だから、実は師匠からも鯨料理は習ってないんだよ」
ニホン出身であるユウの師匠はもちろん鯨料理に精通しているが、素材が手に入らない上に地元で忌避される鯨料理は自らの店舗メニューに載せて居ない。稀に年配の駐在員からリクエストを受ける事があるのだが、師匠の肩をすくめる仕草だけで無理筋であるのを理解してくれるのである。
「ああ、なるほど。
馬肉以上に、鯨を食べるなんて想像も出来ない土地柄なんですね」
「でも基本的には、赤身の部分なんでしょ?」
「鯨ベーコンみたいな白い部位はありませんけど、脂のサシが多いところはステーキにすると美味しいですよ」
「シン、味見したい!」
リビングに現れて二人の話を聞いていたマリーから、唐突なリクエストが入る。
お気に入りの料理人であるシンの美味しいという一言に、興味を掻き立てられたのであろう。
ちなみにユウは幼少時からの情操教育?でありとあらゆる珍味やゲテモノを食べさせられているので、食材に関する偏見など微塵も持っていない。マリーは偏見が無いというか、ユウやシンが作る料理に関しては何も考えずに無条件で口にする。この例外的な二人が相手なので、シンは実際に食べる前に拒絶反応があるなど想定していなかったのである。
「あれっ、マリーは鯨料理って食べた事が無いんだっけ?」
「キャスパーに常連の店に連れてってと言ったら、断られた。
お腹一杯食べられるタイプのお店じゃないって」
「ああ、確かに。
あの店は盛り付けが上品で、気安くお代わり出来るような雰囲気じゃないんだよね」
鯨料理の研鑽を兼ねて何度か同行した経験があるユウには、その店がマリーに不向きである事を知っている。現状調査捕鯨のみに依存している鯨肉は、飽食出来るだけの仕入れが困難なのは言うまでも無いのである。
ここで3人は場所を厨房に移して、マリーがリクエストした試食の準備を行う。
「それじゃ、味見用のステーキは1ポンド位にしましょうか」
シンは亜空間収納からシュリンクされた巨大な肉塊を一つ取り出すと、加熱調理用に厚みを抑えたサイズに切り出していく。大きさは大判のフライパンぎりぎりであり、オーブン加熱も考慮したサイズなのであろう。
「シン君、これって脂が入った『尾の身』に似てるよね?
でも鯨肉がこのサイズで手に入る事は無さそうだから、味の想像が付かないな」
ユウは鯨肉と似ていながらも、目にした事が無い常識外れのサイズに驚いているようだ。
「サシが入った部位はこれ位しか無かったので、多めに頂戴して来たんですよ。
でも僕は本物の鯨肉をほとんど食べた事が無いので、実は比較が出来ないんですけどね」
シンは牛肉のステーキを焼く要領で両面に焼き色を付けた後、蓋をしたフライパンをオーブンに放り込む。
「……じゅる」
オーブンから漏れてくる食欲を誘う匂いに、マリーが口から出そうな唾液を拭っている。
「ああ、これは醤油を入れた和風ソースが合いそうだね」
「ユウさんもそう思います?
ノーナも醤油を入れたグレーヴィー・ソースが、特にお気に入りだったんですよね」
数分後オーブンから取り出したフライパンの蓋を開けると、芳醇な強い香りがキッチンに漂い出す。シンは焼き上がった分を一旦皿に移し、肉汁が残ったフライパンでソースを仕上げていく。大皿に載ったステーキに出来上がったソースをたっぷりと掛けると、試食の準備は完了である。ユウの分を少しだけ小分けにして、焦れているマリーの前に残りのステーキをそのまま配膳する。
「マリー、おまたせ」
マリーはナイフとフォークを駆使して、すごい勢いでステーキを頬張り始める。
食べるのに夢中で感想を一言も口にしていないのは、味をとても気に入っている証左であろう。
「シン君、量があるなら定期配送便に乗せても良いかも」
一方のユウはゆっくりと咀嚼をしながら、肉の味を確認している。
「定期配送便に乗せるだけの量は余裕でありますけど、欧米の拠点に配送すると部外者の目に触れる可能性が高いですよね?」
「ああ、そうかも知れない。
カーメリだと隊員食堂に、イタリア軍関係者が出入りしてるからね」
「これは違う惑星由来なんですと、説明するのも不可能ですよね?
せいぜい司令官クラスがTokyoオフィスに来た時の、接待用かなぁ」
「うん。それなら大事にならないし良いかも。
食べたいならこっちにおいでという、いつもの態度が一番良いかも知れないね」
「シン、お代わり!」
試食であると理解しているにも関わらず、マリーはいつもの調子でお代わりの催促をしている。
「マリー、この肉の味がよほど気に入ったみたいだね」
「うん!
普段の動物の肉とは違うけど、美味しい。
鹿や熊の肉よりも、癖が無いのに旨味が強いのが素敵」
シンはさきほど取り出した肉塊から、やはり1ポンドを目安にして平たいステーキサイズを切り分けていく。
フライパンを再び加熱しているが、今度は直ぐには焼き始めない。
「今度は焼き加減はどうしようか?
この肉は生で食べても問題無いらしいけど、刺し身はあんまり美味しく無かったんだよね」
「それじゃちょっと焦げ目は少なめで。ソースは私の自家製を使って欲しい」
マリーは冷蔵庫から自作ハンバーガー用にストックしてあった、ソースポットを取り出す。
「ああ、マリーのブレンドした特製ソースは美味しいもんね」
「えっへん!」
「粗挽きにしてパティにすれば、ハンバーガーで食べても美味しいかも」
ゆっくりと味見を続けていたユウが、ここで冷静な声色で発言する。
「ああ、なるほど。
ノーナに教えて上げると、喜びそうですよね」
シンは再度ステーキを焼き始めるが、肉の表面を焼き固める火加減を微妙に弱火にしている。オーブンでの加熱も温度を調整して、内部に達する火加減も赤味がぎりぎり温かいレヴェルに抑えているようだ。
フライパンに肉を残したまま、肉汁が残ったフライパンにマリー謹製のソースを掛けると肉に万遍なくソースが絡むようにフライパンを掻き回す。
「はい、2枚目おまち!」
今度は余裕を持って口に運んだマリーは、頬張りながらも表情が緩んでいる。
隣に居たユウは、マリーにフォークで口に運んでもらい自家製ソースとの組み合わせを確認している。
「うん!美味しいっ!
マリー、これなら直ぐに無くなりそうだね」
「シン、ハウス冷凍庫には『てんこ盛り』でお願い!」
「了解」
二人の息の合ったいつものやり取りを、ユウは微笑みを浮かべて眺めていたのであった。
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