017.Stolen
二人が浴室から出て脱衣所に向かうと、ティケの姿は既に無くリビングへ撤収した後のようである。
腰にタオルを巻いただけのシンは、『彼女』に勧められた飲み物を口にしている。
冷蔵ケースにずらりと並んでいたフルーツ牛乳は、シンが飲み慣れたそのものの味である。
牛乳メーカーのロゴや成分表示までしっかりと再現されているが、まさか本当にテラから運んだ来たのでは無いだろう。
(こういう牛乳が入った飲み物は、複製するのに向いているのかな)
「このフルーツ牛乳は、ノーナが絶対に必要だと主張してね。
牛乳メーカーからライセンスを買ってフードプロセッサで製造してるんだけど、味はどうかな?」
ドレッサーで髪をドライヤー?のようなもので乾かしながら、『彼女』はとてもリラックスしている。シンと同様に腰にタオルを巻いたままであり、水滴をはじいている滑らかな肌はまるで大理石できた彫刻のような艷やかさである。
「もともと2種類のシンプルな原料で出来ている飲み物ですからね。
本物との違いは、全く分かりませんね」
ドライヤー越しの温風に、ジャコウのようなかすかな香りがシンには感じられる。
その香りはシンが慣れ親しんだエイミーのものと同じであり、バステト特有の体臭なのであろう。
不謹慎かも知れないが、シンは慣れ親しんだ香りを感じて何故かリラックス出来ているようである。
「この建物自体も、私物では無くて公費で立てられた物だからね」
「……もしかして、この建物自体をテラから移築したんですか?」
「うん。ゼロから設備を追加するより、分解しないで収納した建物を移築するほうがかなり割安になるらしいし。それに君を歓待するには、リラックスできる良い環境と言えるだろう?」
「ええ。ジャグジーは本当にリラックス出来て、良かったです。
宮殿にはシャワーだけで、バスタブが無かったので」
「ノーナの私室にはあると思うけど、さすがに君が使うと誤解が広がりそうだからね」
「ははは。
亜空間収納は自分でも使ってますけど、こんな巨大なサイズも持ってこれるんですね」
「ああ。私も昔テラに長期滞在した事があるから、無駄遣いとは言えなくてね」
「なんで辺境の惑星に、滞在などしたんでしょうか?」
シンとしてはやんごとない身分である二人が、テラに特別な興味を持っているのが理解出来ないのである。
「映像作品が作られる位、特異な事が起きる惑星だからね。
現に君が装着している『拡張ユニット』は、すでに遺失技術で現存していないし製造方法も失われているからね」
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翌日。
宮殿の厨房では、滞在日数があと僅かであるシンを囲んで合成メニューの試食が行われている。
料理文化の再興は大きな課題であるが、まずは日常のフードプロセッサーのメニュー改善から進めるのが現実的なのであろう。
「へえっ、これはカツ丼の味をミルフィーユ状で再現したんですね」
丼に入った米粒は、研究を重ねたのか食感を含めてテラ産の白米をかなり上手に再現出来ている。
層で蓋をするように合成肉や衣が重ねられているので見た目の違和感があるが、シンの想像以上に味の再現度は高くなっている。
「はい。
見掛けまで忠実に再現するには現状の技術では無理ですが、味とか食感の再現度は高いかと思います」
「丼物って、もしかしたらフードプロセッサと相性が良いのかも知れませんね」
「ええ。大量に資料や調味料もいただいてますので、新メニューを引き続き提供できるかと思います」
「もしかしてテラ産の冷凍食品を輸入すれば、評判になるかも知れないですね」
「はい。それはノーナがすでに考えて、調整中みたいです。
もっとも一番大きな理由は、自分が食べたいからという理由みたいですけど」
☆
シンの帰国の前日。
宮殿の女王の私室では、ノーナとシン二人だけのミーティングが行われていた。
シンの身分が強化?されたので、宮殿でも女王の私室に出入りする事に関して否定的な意見は無くなったようである。
宮殿の最上階にあるこの居室は、大きな天窓を透して夜空がまるでプラネタリウムのように見渡せる。
化石燃料を全く使っていないこの惑星は、大気が清浄なので星空がとてつもなく綺麗なのである。
「『彼女』からお墨付きを貰えて、良かったね」
ノーナは私室ではテラ製のジーンスに、Tシャツというラフな格好である。
「???」
「今回君を呼んだ大きな目的は、実は『彼女』との顔合わせだったから。
『彼女』はエイミーの保護者だから、認めて貰えないと厄介な事になっていたかも」
「なるほど。
予備知識無しで会えたのは、逆に良かったかも知れませんね」
「これで君の『内縁の夫』の地位は確定したから。
エイミーがもし次の女王に指名された場合、君も此処に移住して貰う事になるけどね」
「……それは何時頃になるんですか?」
「そうだな。君が知っている通りバステトの寿命は長いから。
私が退位した後だから、早くてもテラ時間で言うところの数百年後になるんじゃないかな」
バステトの女王は不老長寿で、しかも任期という概念自体が存在しない。
任期中に事故に遭ったり代替わりした女王が誰一人として居ないのは、未来を見渡せる彼女達にとって至極当たり前の事実なのである。
「はぁ……なるほど。
ところで、僕がティケの惑星に不時着?したのは、偶然だったんですか?」
「偶然では無いな。多分そうなるだろうとは、私もエイミーも予期していたし」
「?」
「惑星破壊兵器を、そう簡単に試射できる機会がある訳は無いだろう?
惑星衝突を回避できる手段があると、検証出来たのは大きな成果だと思うな」
「……」
「君の価値が大きく跳ね上がったし、今後は『内縁の夫』が釣り合わないなんて言い出す輩は居なくなっただろうし」
「ノーナ、僕の平穏な日常は何処へ行ってしまったんでしょうか?」
もちろんシンの境遇はどんな時にも平穏とはほど遠いので、この発言は明らかなブラック・ジョークなのであるが。
「惑星衝突なんて偶然は、宇宙規模でもそんなに起きないから大丈夫でしょ。
それに重要なのは君の母星がそんな事態に遭遇した場合、対処出来るのは君だけだという現実だと思うよ」
「ああ、僕がジョーカーになったという事なんですね」
「そう。
君は戦術兵器指定よりも、より重要度の高い扱いをされるようになると思う。
それにキャスパーには、いざという時は君の映像資料と共に米帝以外の各国へ働きかけをするように命じているから」
「なるほど。
博物館に蝋人形になって、飾られないように注意したいと思います」
「ははは。
君は地球を救ったブルース・ウ●ルスほど強面じゃないから、蝋人形は似合わないと思うよ」
テラのエンタメに何故か詳しいノーナは、シンのあどけなさが残った表情を見ながら微笑みを浮かべたのであった。
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