014.As Long As I'm Here
翌朝。
シンは宮殿でチャーターした『フローター』に乗って、テュケの新居を訪ねていた。
この乗り物はテラで言うところのエア・タクシーで、市街地の低空を自動運転する一般的な交通手段である。
(新居を決めたって事は、此処に暫く住むのを決めたって事なんだろうな)
シンは道中で景色を眺めながら、テュケの決心について考えていた。
知り合ってからわずか3週間ほどなのだが、吊橋効果もあって?二人の親密度はかなり高くなっている。もちろんそれは異性に対してのものでは無く、母親に対するような親愛の情なのであるが。
到着した建物は透明度の高いガラス?を多様したモダンな一軒家で、まるでミースが設計したようなテラ風のデザインである。
家の前に設置されている専用ポートに静かに着陸した機体から、シンは建物の玄関に向かう。
コックピットのドアが開いた瞬間馴染み深い潮の香りが鼻孔に飛び込んでくるが、海岸線の様子がテラとは大きく違っているのは上空からも確認済みである。
「素敵な場所ですね」
シンは用意してきたサンドイッチを、テーブルの上に広げている。
次に亜空間収納に入れて運んで来たルンゴをカップに注ぐと、インスタントとは違う煎れ立ての芳醇な香りが室内に漂う。
「ありがとう。
これが、シンが言ってた本物のコーヒーか。
この間ご馳走になったのとは、全く別の飲み物みたいだね」
テュケは目を見開いて、味や香りの違いに驚いているようだ。
「コーヒー好きのノーナが自分用に確保していた良い豆を、拝借しましたから。
ところで、こういう海岸線が見える住居って希少なんじゃないですか?」
上空から見ていた限りでも周辺には民家が無く、近隣にも生活の気配が全く感じられない。
物好きが建てた風変わりな別荘というのが、もっとも適切な表現になるのであろう。
尤もこの惑星は人口が驚くほど少ないので、住宅密集地などどこにも存在しないのであるが。
「ああ、なぜか海の近くは人気が無いらしいんだよ。
塩害は気にしなくて良いみたいだけど、この景色が好みでは無いらしくて」
「確かに赤み掛かった海の色は、僕の常識から考えると不思議な光景ですね」
「そういえば、テラの海は深い青色なんだろ?
空中戦の記録映像でも見たけど、実物はもっと綺麗なんだろうな」
「最近は海洋汚染が深刻になりつつありますけど、超高々度から見るとまだ汚れては見えないですね」
「……行ってみたいのは山々なんだが、もう暫くはここに滞在する事にするよ。
移住先からの連絡が、あるかも知れないしね」
「居心地も悪くなさそうですし、それが良いかも知れないですね。
僕の母星に移住したければ、いつでも居場所は確保できると思いますから言って下さい」
「うん。覚えておくよ。
ノーナに頼めば、惑星間通信で連絡も可能だし」
キャスパーが電気代で顔を青くしている様子を想像してしまったシンは、口元を引き締めて笑いを堪えている。
「……それにしても、このサンドイッチは美味いな。
挟んでいるのは何の肉なんだい?」
「ああ、それはこの惑星の唯一の海産物です」
「へえっ、あの巨大な動物がこんな繊細な味をしてるなんて、意外だな」
「僕の惑星でも似たような生物が居て、味もとても似てるんですよね」
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サンドイッチの簡単な昼食を済ませた後、テュケはシンのチャーターした『フローター』に同乗していた。どうやらノーナの業務の手伝いがあるようで、現役女王様は『猫以外の手も借りたい』ほど多忙なのであろう。
フローターを使っているのは、ノーナから無用なトラブルを避けるように言われているからである。いつものジャンプで運んで貰うつもりだったテュケは、何故か不機嫌になっているのはここだけの話である。
「緑は多いんですけど、植生が変わってますよね。
どこにいっても同じ種類の芝生だし、生えてる樹木も同じ種類だし」
数百メートルの上空から見る景色はシンにとっては馴染みのあるものだが、緑色の部分に関しては大きな違いが感じられる。植物に関してはどこに行っても同じ種類であり、多様性の欠片も感じられないのである。
「このバステトの惑星も君が見た私の母星と一緒で、進化の終焉が近づいているからな」
「……」
「植物とか、小動物の保護施設が宮殿の近くにあった筈だから、寄り道してそっちを訪ねてみようか」
テュケは過去に訪ねた事があるらしく、音声ナビで宮殿から行き先を変更する。
「良いんですか?勝手に行き先を変更して」
「別に時間的な拘束を、受けている訳では無いからね。
シンは長距離ジャンプするまでは、フリーなんだろ?」
「ええ。僕の立場は相談役なんで、やらなきゃ駄目な業務はありませんから」
テュケの惑星で見たのと似ている巨大な透明ドームは、特に看板が出ていない。
観光施設では無く、純然たる公の研究施設なのであろう。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
ノーナの賓客である二人は、飛び込みにも関わらず施設見学をすぐに許可された。
通常の手続きであるエアシャワーを通過すると、ドーム内部へすぐに案内される。
もちろん高位の研究者が一名、二人を案内してくれているのは当然であろう。
リスのような生き物が膝から上り肩に止まったが、事前に注意を受けていたシンは驚いたりしない。毛皮をシンの頬にこすりつけると肩の上を右左にせわしなく動いているのは、シンに敵意を感じていないからに違いない。
「すごい人に慣れてるんですね」
シンは渡されたナッツのような餌を手づから与えているが、前足を起用に使って受け取るのは殆どリスと同じ仕草である。
「餌付けするのは自然の摂理に反するという人も居ますが、管理上こうせざるを得ないんです」
「?」
「この環境でも、個体数はほとんど増えませんから。
監視の目が行き届くようにしておかないと、あっという間に絶滅なんて事になってしまいますから」
「ドーム内部の植生は、なんかテラに似ていますね」
「ええ。この施設の植物は、ほとんど外惑星から移植したものです」
「??」
「この惑星本来の植生は、自力で種を回復する能力を残していません。
かなり強引な手法ですが、外惑星の植物は過酷な環境に対する適合力が強いので私達も切り札になるかと期待しているんです」
「なるほど」
ここでシンは、中華連邦旧領土の汚染地帯を思い出していた。
超低空から目撃した蔦や苔のような植物は、チェルノブイリよりも過酷な環境の中ですら生き残っていた。放射能に対する耐性すら自力で獲得していた植物ならば、もしかしたらこの惑星の特殊な環境でも自力で繁殖する事が可能かも知れない。
☆
施設見学後。
「あとノーナから、シンをある人に会わせるように言われてるんだ」
無言でフローターに乗り込んだシンに、テュケは唐突に伝言を伝える。
「ノーナの伝言は、毎度の事ながら不吉な予感がしますね」
多数の小動物から癒やしを貰ったシンは、ここ数日の精神的な疲労から回復しているように見える。
この惑星の住民は高い倫理観を持っているが、文化やバックグラウンドが違うのでシンとしても気疲れがあるのは仕方がない点なのである。
「ははは。会えば絶対にシンのためになるって彼女は言ってたけどね」
「この場所以上に癒やしがあるなら、喜んで行きますけど。
もしかしてテュケも知らない人なんですか?」
「ああ。なんでもノーナの導師みたいな人で、外部の人と合う事は滅多に無いみたいだよ」
フローターは浮上して移動を開始しているが、シンはジャンプでこの場から逃げ出したい気分である。
ノーナは統治者としては高潔で有能な事は理解しているが、癖の強い性格はシンが付き合っている年長者の中でもダントツだからである。
「はぁ……せっかく心が癒やされたと思ったら」
シンのニホン語での呟きに、意味を理解出来ない筈のテュケは満面の笑顔を浮かべていたのであった。
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