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020.Wichita Skyline

 シンは過去に遭遇した飛行機事故の所為で、空路による移動が苦手である。


 重力制御のアノーマリーをかなり自由に使える今ならば、たとえ乗っている旅客機が空中分解したとしても何とか切り抜ける事が出来るだろう。

 さらにリミッターを解除した状態ならば、胴体が大きく破損していなければ乗客ごと軟着陸させる事も可能かも知れない。


 だがシンの脳裏から、家族との別れの光景が消えることは無い。


 エイミーが来てから何故か悪夢を見ることは無くなったが、それでも飛行機に対する苦手意識をシンは完全に払拭出来ていない。

 最後にフライトしたのはニホンに来た数年前であり、それ以来シンは意識して地面に足を付けた生活を送ってきた。

 プロメテウス義勇軍の新兵ブートキャンプについてもフライト恐怖症を理由に参加拒否をしているので、おかげで彼の階級は未だに新兵(二等兵)のままなのである。


「キュウシュウ遠征ですか?」

 Tokyoオフィスに一人呼び出されたシンは、フウからの業務依頼を受けていた。


「この間のお前の重力制御を見て、ケイがえらく関心していてね。

 パピが今不在だから、お前に同行の指名が入ったんだ」


「DDの捜索なんですよね?

 キュウシュウだと……やっぱり陸路じゃ無理ですよね」


「ああ、明日防衛隊の大型輸送ヘリで運んでくれるから、お前にとっては旅客便よりは良いだろう?」


「……はい。それでエイミーとシリウスの世話はどうしましょうか?」


「ああ、ユウが出来るだけ一緒に居てくれるように今スケジュールを調整中だ。

 当初はユウとお前という指名だったんだが、ユウの代わりにルーも同行して貰うことになった」


「それなら、なぜ自分だけ呼ばれたんですか?」

 さっきまで校内で顔を合わせていたルーが、この場に居ないのを不自然に思ったシンが尋ねる。


「ルーはお前と同様にアノマリー保持者だが、お前以上に深いトラウマを抱えている。

 あいつの歩兵としての能力はずば抜けて優秀だが、その点だけが問題だ」


「……」


「通常の軍事作戦ならば問題は無いだろうが、この間の発電所のようなゴタゴタがあると彼女が暴走する可能性がある。

 その場合は、お前が彼女を止めるんだ」


「止めるって……彼女のアノマリーはそんなに危険なんですか?」


「ああ、『戦略兵器指定』されているマリーに匹敵するだろう。

 ルーはお前と同じリミッターを肌身離さず身に着けているが、それでも危険度はかなり高い」


「ルーが自分の能力を制御可能になるまで、そういう現場に参加させないっていう選択肢は無いんですか?」


「先送りしてどうなる?

 お前はルーと同じ世代で境遇も似ているし、彼女をフォローをするなら最適任者だ。

 そして何より、業務依頼があるならぜひ参加したいというのは彼女自身の意思だからな」



                 ☆



 翌日。


 同行できないシリウスを宥めるのに手間がかかったが、シンが運転するCongoh社用車は早朝からアサカ駐屯地に向かっていた。

 シンはパピのアドバイス通り、キャスパーに入手を依頼した公安委員会発行の『本物の運転免許証』を所持している。


「ルー、お節介かも知れないけど、無理して参加する必要は無いと思うよ」

 助手席で眠そうな表情のルーに、シンが静かに話しかける。


「ユウさんからも同じ事を言われたけど、別に無理してないよ。

 荒事には慣れてるし、それに小遣い稼ぎもしたいしね」


 最近の生活は寮と学校の往復だけだったので、彼女は単純に遠出できるのが嬉しいらしい。

 ちなみにニホン語もかなり上達してきて、日常会話ではほとんど不自由の無いレヴェルになっている。


 1時間後、到着したアサカ駐屯地の正門にケイがわざわざ出迎えに出てくれていた。

 車から降りたルーの姿を見ると、ケイは目を大きく見開いて彼女を見ている。


「話には聞いてたけど、ほんとにマリーと似てるんだな」

 ケイが用意してあったIDカードを二人に手渡しながら、建物に向けて歩き出す。

 ここで装備一式を付けてから、待機させているヘリでキュウシュウへ直行出来るらしい。


「姉がいつもお世話になっております」

 ニホン語の定型フレーズを使って、ルーが流暢に挨拶をしたのでケイが関心したように頷く。


「日本語を習い初めてどの位経つの?」

 今度はケイが、流暢なスペイン語で質問する。


「3か月です。勉強中なので、すべてニホン語でお願いできますか?」

 普段のルーが使うスペイン語の印象とは違って、ニホン語を操っている彼女はかなり丁寧に聞こえる喋り口である。

 最近は日本語の敬語の使い方を重点的に学んでいるが、自然な使い分けはまだ難しいようだ。

 この辺りは、アンのお嬢様言葉と共通する短期の詰め込み学習の弊害なのかも知れない。


 到着した装備室で防衛隊の野戦服に身を包んだルーは、予想と違って着衣一式を違和感無く着こなしていた。

 マリーが迷彩柄を着ていると違和感があってまるでコスプレの様だが、ルーの場合は細身の身体に女子隊員用の野戦服がとてもフィットしている。


「この野戦服、すごく着心地が良いね。こんな上等なの着たのははじめてかも」

 一時貸与されたSIGをいきなりストリップしバレルやアクションの様子を確認している動作を、ケイが成程と納得したような表情で見ている。

 その淀みない操作から、ルーの年に似合わない技量を直ぐに見抜いたようだ。


「ケイさん、その対物ライフルって?」

 装備を纏った一行はヘリポートに向けて歩き出すが、ケイがスリングでぶら下げている巨大な対物ライフルは歩兵の装備としては場違いでかなり物々しく見える。


「ああ、これがあるから単独行動は無理なんだ。

 重すぎて他に装備を持てないからね」


「この間みたいな戦闘を想定してるんですか?」


「いや、出現反応のパターンが全く違うし念の為かな。

 通常装備のMP5だけだと、何かあった時に対処できないしね」


「ところでシン君、その手許の荷物は?」


「レーションじゃ味気ないと思ったんで、フランスパンでサンドイッチを作ってきました」


「へぇ、ユウから料理がかなり上手だって聞いてるよ。お昼が楽しみだな」


「ピクニックじゃないんだから」

 ルーはロシア語でぽつりと呟くが、ケイにはしっかりと聞こえていたようで……


「じゃルー君にはサンドイッチじゃなくて、防衛隊名物の一型レーションをご馳走しようかな」

 かなり年期が入ったタンデムローターの輸送ヘリに乗り込みながら、ケイが含み笑いでルーに答える。

 稀に火を使えない演習で加熱しないで食べる防衛隊の一型レーションは、味はともかく冷たく固まっていて食べるのに苦労する代物である。


「ま、まだニホン食にも慣れていませんので、残念ながらお勧めはご遠慮させていただきます」

 防衛隊のレーションについて知識の無いルーでも、不味いレーションというのはかなりの地雷であると理解している様だ。

 彼女は小さなシートに体を固定しながら、慌てるような口調で答えている。シンはやり取りを聞いて口元を緩めながら、ルーと同じようにシートに腰を下ろす。


「そうか、残念だな。ユウから好き嫌いが無くて、ニホン食も美味しそうに食べてくれると聞いてたんだが」

 ケイが振り向いて指示を待っていたパイロットに目配せを送ると、ローターが回転し始める。


 地面を離れて飛び立った後、耳栓をしたままシートに深く腰掛けたルーは腕組みをしたままじっと動かない。

 ヘリコプターには乗りなれているのか、耳栓をしても体に伝わってくる振動をものともせずにあっという間に入眠したようだ。


 所要時間は約5時間。フライト時間としてはそれほど長くないが、シンにとっては試練の時間の始まりである。

 旅客機と違って与圧がかかっていない機内は、薄暗くローターの音と振動で騒がしい。

 苦手な空の移動だが、シンはなぜか緊張感を少しも感じることなくリラックス出来ていた。


(いつの間にか克服できてたのかな……気分も悪くないし眠くなってきた)

 シンも固いシートに深く腰掛けなおすと、目を閉じて瞬時に心地よい眠りに入っていったのであった。



                 ☆



「シン君、ひどいフライト嫌いって聞いてたけど、熟睡してたよね?」


「ええ、自分でも意外でした。

 数年ぶりに地面から離れましたけど、不思議と熟睡できましたね」


 山間部の広い休耕田に着陸したヘリは、いったん離陸して最寄りの基地へ燃料補給に戻っていった。

 薄暮になる前に戻ってきて、シン達を再度ピックアップしてくれるらしい。

 周囲には年期の入ったわらぶき屋根の家が点在しているが、既に廃村になっているらしく人の気配は全く感じられない。


「もう昼過ぎだし、まず腹ごしらえをしてから動こうか」

 全方位のネットワークカメラを傍にある立木に設置しながら、ケイが言った。

 シンとルーは早朝にコーヒーを飲んだだけで空腹だったので、彼女の一言に大きく頷く。


 動態探知機能を有効にしてから、グランドシートを広げて一行はさっそく食事を始める。

 シール袋に入れて密封されたフランスパンは、食べやすいサイズにカットされているが具の厚みがあるのでかなりのボリュームだ。

 もちろんルーの普段の食事量をシンは把握しているので、ルーの分は3人前として大量に用意している。


「へえっ、フランスパンのカツサンドというのは珍しいな」

 ブリックパックのオレンジジュースにストローを刺しながら、ケイが呟く。


「脂身が美味しい三枚肉が余ってたんで、トンカツにして挟んでみました」


「フライのお肉が美味しい!」

 あっという間に一つ目のサンドイッチを食べきったルーが声を上げる。


「ルーは、くじらベーコンとかサーロみたいな癖のある脂身も好きだもんね」

 まだ付き合いが短いのにしっかりと食の好みを把握されていたルーは、意外そうな表情でシンを見る。


「トーコが好き嫌いが多い割には作った食事に文句を言えない子だから、食べてる反応で何となくわかるようになったんだ」


「ハーレムというか……セバスチャン(お世話する)側も気遣いが大変なんだなぁ」

 ケイがシンを眺めながら、しみじみと呟いたのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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