011.One Way To Heaven
「テュケ、ちょっと良いかな?」
レクチャー中の厨房に現れたノーナは、彼女の耳元に小さな声で囁く。
穏形の技なのか気配を消して現れた彼女に、参加者の殆どはその存在に気がついていない。
「ノーナ、君までその名前で呼ぶのかい?」
厨房の隅にそっと移動した二人は、小声で会話を続ける。
気安い態度から見ると、二人は単なる知り合いでは無くかなり親しい間柄なのであろう。
「ふふふっ、ここ数日でだいぶ思い出したんじゃないかい?」
漠然とした会話だが、テュケ本人が内容を誤認する事は無い。
万物を見通すプロヴィデンスに匹敵するといわれるバステトの女王は、銀河の果で落ちた針の音も聞き逃さないと言われている。
「ああ、子供の頃から予兆はあったんだけど、どうやら私は前世というものを持ってるらしい」
「シンを呼び出せる位だから、彼とは縁が深いんだろうな?」
「具体的な記憶は戻っていないが、かなり親しい間柄だった気がするんだ。
お前なら、その辺りははっきりと分かるんじゃないか?」
「実は前世が絡むと、それほどはっきりとは分からないんだな。
まぁエイミーと同じような縁があるのは、確実だが」
「……エイミーは、なるべくしてシンの傍に戻れたんだろう。
まぁシンが0歳児の頃から手塩を掛けて育てた妹だから、絆が強かったんだろうな」
「あの子は自分でジャンプして、故郷の惑星まで飛んでいったからね。
過去にも同じような事例はあったけど、プロヴィデンスをあれほど味方に付けているのは彼女だけだろうな」
「シンを放置しているのは、エイミーという安全装置が付いてるからなんだろう?」
「彼の所属しているファミリーは、私利私欲には縁遠いコミュニティーだからな。
エイミーが居なくても、特に問題が起こるとは思わないけどね」
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レクチャー終了後の厨房。
ノーナはシンと直接話をするために、レクチャー会場に留まっていた。
「シン、次の課題はこの惑星の食材を使った調理かな」
空腹だった彼女は、シンが余った食材で作った中華丼もどきを、シンが持ち込んだレンゲを使って掻き込んでいる。
テラの滞在回数が多い彼女は、がっつり食べる為のレンゲの使い方すら完璧にマスターしているようだ。
「ああ、それはやり甲斐のある課題ですけど、評価は僕自身じゃないんですよね?」
「そうだな……中立的な立場でテュケと私、そして君がお気に入りのエイミーの友達だったあの子とかかな」
「あのクジラに似た肉は使わせて貰うとして、他の食材に関しては知識が無いんですけど?
前回滞在した時も、あの『フードプロセッサ』という不思議な調理器ばかり使ってましたし」
「テラのラムに近い家畜が居るんだが、これはシンにはハードルが高いかな?」
「ハードル、ですか?」
「まぁ明日にでも宮殿内にある施設に行って、様子を見てくると良いよ。
無理にその食材を使えとは、言わないからさ」
「??」
☆
翌日の宮殿内の畜産?施設。
ノーナに案内された施設には小さな柵があるだけで、芝生のような植物の下で様々な動物が放し飼いされている。
シンがノーナと歩いていると、ふわふわの体毛に包まれた動物がシンに向けて無防備に体を押し付けてくる。その動きは、飼い猫が撫でて欲しい時にすり寄ってくる仕草にそっくりである。
シンが手慣れた様子で耳の間や目の上を優しく撫でると、その動物は目を潤ませて羊に似たような声を上げる。つぶらで真っ黒な瞳は、まるでぬいぐるみの顔に付いているボタンのように艷やかである。
シンはここで、テラに残して来たシリウスの事を思い出していた。
もう3週間以上も離れているので、彼女はかなりナーバスになっている筈である。
「なんかアルパカと羊の両方に似てますけど、愛らしさが高いですよね」
撫でるのが上手だと群れ?に認知されたのか、いつの間にかシンは沢山の個体に取り囲まれてしまっている。
「人懐っこい個体を選別して改良されてるから、ペットとして飼ってる人も多いんだよ」
ノーナが群れに囲まれないのは、彼女はこの場所に慣れていて動物達に既に認識されているからであろう。
「まぁ飼育するにしても、その方がやりやすいんだと思いますが。
ノーナ、僕を担ぎましたね?」
「へへへっ、やっぱり分かっちゃった?」
「僕自身は色んな動物の解体を、この手で学びましたから。
愛らしい動物なら殺生は嫌いなんて、偽善的な意見は言うつもりは全くありませんよ」
「実はここ数百年、ここで屠畜はしてないんだよね」
「?」
「この仔達の遺伝子を利用して、『フードプロセッサ』では肉の部分が作られているし、工場ではもうちょっとローテクな方法で培養肉を生産しているんだ。
だからこの仔達が、実際に住民の口に入る事は『滅多』に無いんだよ」
「ゼロでは無いって事ですか?」
「ああ。人造肉を食べるのは義務でも何でも無いから、食べる肉のために殺生をしないなんて誰にも強制出来ないからね」
飼育員らしき人たちが餌を持って現れると、シンを取り囲んでいた群れは名残惜しそうに離れていく。
最初にシンに撫でてもらった個体は、シンに頭をぎゅっと押し付ける挨拶をするとようやく離れていった。
「噛んだりしないし、本当に穏やかで優しい性格なんですね」
「この施設はテラのスヴァールバルと似たような場所で、遺伝子を保存しているんだ。
健全な状態で飼育しておかないと、意図しない変異が起きた時に対応出来ないからね」
「でも生体保存にしては、数が多すぎるような気がしますけど?」
「この子達は、体毛を採取するために飼育しているのがメインの用途かな。
君も知ってるエイミーが着ていたワンピースは、この子達の毛から加工されてるんだよ」
「ええっ、この子達のモフモフの毛皮から、あの光沢のある生地が出来るなんて想像も出来ませんね」
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宮殿の厨房。
「ノーナはこの惑星の料理文化を、復興させるつもりなんですか?」
用意されていたクジラモドキの肉塊と、様々な人造肉を味見しながらシンはノーナに尋ねる。
「うん、その通り。フードプロセッサが急激な進化を遂げてしまって、この惑星でも料理文化が廃れてしまったからね。この潮流を今のうちに食い止めないと、おかしな事になりそうなんだよね」
「僕は何より食べる事にエネルギーを使うように教育されて来ましたから、食事に興味を失うなんて全く信じられない事態ですよね」
「味はフードプロセッサで満足出来ても、やっぱり紛い物であるのは間違いないからさ」
「それでテラに来ると、あんなに食事に拘ってたんですね」
「だって、朝食のマ●クから始まって何を食べても美味しいじゃない?
この実情はテラに連れていけば皆が同意してくれると思うけど、さすがに全国民に体験させるのは物理的に無理だからね」
「レクチャーに参加してくれた皆さんも、本当に美味しそうに食べてくれてましたね」
「本来なら君がエイミーと一緒に移住してくれると、嬉しいんだけど」
「エイミーが望むなら暫く住んでも良いですけど、彼女はどうして戻りたがらないんでしょう?」
「それは私の口からは言えないけど、彼女がバステトとして優秀すぎるのが一因なのかな」
「??」
「彼女の先見の力は、私に匹敵するかも知れないからさ」
「???」
意味深な微笑みを浮かべるノーナは、シンが見慣れている悪巧みの表情を浮かべていたのであった。
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