007.The Light
プライベート空港のハンガー。
「よし、今日からは模擬空戦をやってみようか」
コックピットに乗り込みながら、テュケは気負いの無い軽い口調で宣言する。
「僕は脱出は得意ですけど、相手を撃墜するのは嫌ですよ」
既に機体に乗り込んでいたシンは、インカムで返答する。
この機体には射出座席のような脱出機能は付いていない。キャノピーは固定されているので、パイロットは胴体下から昇降してきたシートに乗り込むようになっている。
「おいおい、毎回命を掛けてたら、模擬空戦とは言えないだろ。
メインウエポンは出力を絞ったレーザーだから、照射時間が十分な場合は撃墜判定が出てそこで模擬空戦は終了だから」
「でもハードポイントが付いてますから、実体弾も装備出来ますよね?」
「レーダーの性能から言うと相打ち以外にあり得ないから、模擬空戦では使用しないのが常識だな。
それに実体弾は、移民が始まった時点でもう作られていなかったしね」
「戦術としては、僕の出身惑星と全く同じなんですね」
「いや偶然同じになったんじゃなくて、レギュレーションとして同じにしたんだよ。
あの映像作品が、競技を行う切欠だからな」
「なるほど」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「ほら、もう撃墜判定は3回目だぞ。
お前はあの伝説のパイロットの系類なんだから、もう少し良い所を見せてくれよ」
シンの耳元には、テュケの挑発するような声が響いている。
彼女の操縦する機体は、運動エネルギーを有効に使った基本に忠実な機動をしている。
シンはシミュレーターでも空中戦の経験が無いので、つい回転翼機と同じような低速のトリッキーな飛行をしてしまうのである。
(AOAの制限が無いのが、逆に常識が邪魔して扱いにくいんだよな。
絶対に失速しない機体も、良し悪しだよね)
最新鋭機のテスト経験があるシンは、AOAが異常に高い機体を操縦した経験があった。
だが失速する事が絶対に無いこの機体を操るには、過去の経験が邪魔をするのである。
シンはコンバットエリアぎりぎりまで高度を上げて、まず位置エネルギーを確保する。
(機体は十分に頑丈みたいだから、普段やらない事を試してみようかな)
☆
フライト後のハンガー。
「最後の機動は、すごかったな。
あんな奇抜な動きが出来るとは、この機体に慣れていても想像できなかったよ」
「ああ、あれはインチキですから」
「?」
「僕の出身惑星で飛行中にエンジンが故障した事があって、その時に自前の重力制御を使って戦闘機を飛行させるのを覚えたんですよ」
「それであの鋭角に曲がるような、常識外れの機動が出来たのか。
あの機体は強度が必要以上にあるから無事だったが、かなり無茶な動きだな」
「コブラとかクルビットという機動なんですが、本来なら偏向ノズルが無いと出来ない技なんですけどね。
まぁ僕の場合は、空中分解しても無事に生還できますから」
「なんか経験があるような言い方だな」
「ええ。母と妹が無くなった事故は、大型の旅客機の空中分解ですから。
僕は無意識に力を使って、助かったみたいなんです」
「若く見えるし、そんな過酷な経験を積んでいるとは想像も付かないな」
「死にかけた経験が多いのは、自慢にはなりませんけどね。
そういう状況に入り込むのを避けるのが、僕には必要だと良く言われてたんですけどね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「小腹が減ったな。
シン何かすぐに食べられるものは、無いかな?」
「そういえば、カップ麺も大量に持ってきてたなぁ」
ベルの依頼でスーパーやコンビニでカップ麺を大量購入していたシンは、マニアに近い商品知識を得る事になった。
特に銘柄の指定がなかったので、シンは自分が食べて気に入った製品を大量に購入して来たのである。
ハンガーの中には給湯設備もあるので、シンは単価が高い生麺タイプの醤油ラーメンを2つ用意する。
何故か箸使いが上手なテュケは、麺をたぐるとズルズルと音をたてて啜り始める。
特に作法を教えた訳では無いので、シンは唖然とした表情をしている。
「おっと、お行儀が悪かったかな。
前に君の惑星の映像作品で、こうやって食べるのが正式だと聞いていたんで」
「はい。ニホンという国では、音を立てるのが正式な食べ方みたいですね。
教えて無いので、とても驚きましたよ」
シンはレイが主役になっている映像作品を何本か見ていたが、彼がラーメンを食べていたシーンは記憶には残っていないのである。
「シン、これは量が少なすぎるな。
もう一つ作ってくれないか?」
「ああ、僕の分はまだ手を付けてませんから、こっちをどうぞ」
「悪いな。
あと追加で作るなら、別の味を2つな」
「了解です」
「あのステーキと一緒に食べた、穀物を固めたのと同じ風味がするな」
「ああ、麺の材料は同じ小麦ですからね」
「穀物の種類が、豊富な惑星なんだな。
やっぱり君の故郷に、行ってみたくなったよ」
「テュケはもともと、かなりのグルメだったんですね」
「いや、合成食を何年も食べ続けた反動だと思うよ。
このパッケージ、何か派手な模様だな?」
シンが3杯目として彼女に用意したのは、激辛で有名なラーメン店が監修したという商品である。
その店はアンのジェラート店の傍なので、シンは何回か利用した経験があったのである。
「あっ、テュケそれは……」
シンの制止に気が付かずに、彼女は勢いよく麺をすすり始める。
だが懸念したように咳き込む事もなく、彼女は普通に咀嚼出来ている。
「うわぁ、これは刺激が強い味だな!
こういう味も、君の惑星にはあるんだな」
「こういう刺激的な味が好きな人も、結構多いんですよ」
「なるほど、これは癖になりそうな味だな。
シン、もう一つ同じのを出してくれないか」
シンは彼女の激辛好きの味覚に驚きながら、そろりそろりと自分の分を口に運んでいる。
メキシコ料理とは違うスープの強い辛味は、世界中の料理に精通しているシンであっても油断大敵なのであろう。
「もしかして、こういう強烈な味が好きなんですか?
確かカレーも気に入ってましたよね」
「ああ、この惑星の合成食にも似たような味があるからな。
飽きさせない為には、こういう刺激的な味も必要になるみたいなんだ」
「それなら、食事のメニューが楽になりますね。
辛味系の中華料理は、僕の得意な分野ですからね」
「シン、もしかして君の本業は料理を作る人なのかい?
それとも君の出身地は、優れた料理人なのが普通だったりするのかな」
「いえ、このカップ麺でも分かるように、料理を作らない人が多数派だと思いますよ。
今回は持参してませんけど、冷凍食品は膨大な種類がありますから」
「そうか。それもきっと美味しいんだろうな」
「地域によるんじゃないんですかね。
僕が長期滞在しているニホンという国や、フランスでは、冷凍食品も比較的まともですから」
「シンはそういう類の手作りしない食事が、嫌いなんだな」
「今食べてるカップ麺は、人から購入を頼まれて食べるようになりましたけど。
冷凍食品なら温める間の時間に、ちゃんとした料理を作れる自負がありますからね」
「そういえば、此処の合成食はまだ食べた事が無いよな?」
「ええ。あの扉が付いた調理器具で作るんですよね。
ちょっと興味があるかな」
シンは大人数用の厨房に設置されていた、電子レンジのような調理器具を思い出していた。
「まぁ土産話で、一回位は食べてみるのも良いかも知れないな。
バステトの母星にも、同じようなものがあっただろ?」
「ええ。でもあれは味は兎も角、見掛けが苦手だったんですよね。
あと食感が同じで歯応えの変化が無いので、慣れるまでに時間が掛かりましたね」
「此処の合成食も、まさにそれと同じだな。
私が焼けた肉の香りに、おびき出されたのも当然だと思わないかい?」
「なるほど」
悠久の時を生きるメトセラと呼ばれるシンの一族は、何より『食文化』というものを大切にしている。
彼が技術的に隔絶した外惑星を訪問するのは2度目だが、こうして『食事』がおざなりにされているのを見ると、やはり食文化の大切さを再認識せざるを得ないのであった。
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