006.All Of Creation
朝食前のキッチン。
調理中のシンを、まだ完全に覚醒していないテュケがぼんやりと眺めている。
「テュケ、また僕を抱きまくら代わりにして。
もう一緒の寝床には、入りませんよ」
シンは彼女との邂逅以来、当たり前のように同衾することを強制?されていた。
この惑星では家族や友人同士は同じネストで眠るのが常識だと言われてしまうと、シンとしても強く拒否する事は難しい。ちなみにこの惑星のネストは名前通りに巨大な円形をしており、寝心地も高級なウォーターベットのような快適さである。
「ああ……何年も一人寝してたから、温もりがあるとつい抱きついちゃうんだよ。
それにシンの躰の構造にも、興味があるし」
上目遣いでシンを見るまだ寝ぼけたテュケの表情は、目のあたりだけほんのりと赤みを帯びている。
この感情表現がシンの知っているものと同じ意味だとは、言い切れないのであるが。
「うっ……僕が寝てる間に悪戯をしてないでしょうね?」
寝付きが良いシンは快適な寝心地も相まってすぐに熟睡してしまうので、寝ている間は本当に無防備なのである。
「いやぁ、同じヒューマノイドでもあそこのサイズが違うんで驚いたよ。
すごい立派なんだな!」
興味深い話題なのか、寝ぼけていたテュケが一変し目を爛々と輝かせて言葉を返してくる。
「げっ……起きた時に妙な違和感がありましたけど、もしかして採取とかしてないでしょうね?」
シンは、オーブン型の加熱調理器の設定つまみを回している。この惑星の温度基準が分からないので、耐熱ガラス越しに見える様子で温度を微妙に調整しているのである。
「君の種族は『常時発情型』なんだろ?
ちょっと調べたら、特別な事前準備無しに子供が出来る可能性があるみたいだぞ」
この惑星にはどうやら妊娠適応キットなるものが、存在するらしい。
本来の用途とは違うが精子の状態を遺伝子レヴェルで検査して、妊娠出来るかどうかが判別できるという代物である。
「……チタウリ専門の生化学者にも、同じ事は言われましたけど。
サンプルを勝手に摂らないで貰えますか?」
過去にも同様の経験があるので、シンとしては自分の遺伝子が拡散するのは出来るだけ避けたいのであろう。
「身体が無制限に再生産するから、減るもんじゃ無いのに?」
「……」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
焼き立ての小麦とバターの香りが漂う朝食の席。
大人数用の厨房で焼き上げた大量のブリオッシュを、シンはテーブルに並べていた。カーメリ基地のブーランジェリーで特別に用意して貰った冷凍状態のブリオッシュは、いつでも焼き立てが食べられるのが素晴らしい。
「これはサクサクして、文句無しに美味しいな!」
「でしょ?この加熱調理機器は僕の惑星のオーブンより優れてますから、焼き上がりが素晴らしいんですよね。ただ惜しむらくは、このコーヒーの味なんですけどね」
「この飲み物のオリジナルの味は知らないが、そんなに悪くないと思うんだが?」
カフェインのもたらす効果はヒューマノイド共通と言われているが、彼女はお世辞にも美味とは言えないインスタントコーヒーの味を気に入っているようだ。
「そうだ!バステトの母星にはエスプレッソマシンがありましたから、あそこに行けば美味しいコーヒーをご馳走できますよ」
「……シン、君は私が知らないタイプの人物だな」
「???」
「今朝の事で怒ってるかと思ったが、まだ若いのに度量がとんでも無く大きいんだな。
それに我儘な異星人とこれだけ一緒に居るのに、窮屈さを感じてないのかい?」
「ああ、それは日頃から慣れてますからね」
「そういえば、あの唯我独尊のノーナとも知り合いなんだろ?」
「今回も使い走りで、食材を持って母星に行く途中でしたからね。
それに寮には妹分以外にも、異星人は住んでますから」
「ええっ、バステト以外にも違うヒューマノイドが居るのかい?」
「ええ。
チタウリの女の子も、同じ寮に居ますよ。
この子もとっても良い子で、僕のお気に入りなんです」
「君の惑星では、複数の異性と一緒に暮らすのは問題ないのかい?」
「結婚という契約もありますけど、それを結ばなければ大きな問題にはなりませんね。
そもそも同じ学園に通う年少のメンバーが、集団生活をしているのが学園寮ですから」
「食文化の違いにも驚かされたが、そっちの概念もかなり違うんだな」
「誤解の無いように言っておきますけど、一夫多妻は殆どの地域で合法じゃないですからね」
「えっ、なんか矛盾しているような気がするけど?
それにその言い方だと、合法の場所もあるんだろ」
「……」
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ブリオッシュだけでは食卓が寂しいので、シンは持参して来たチーズケーキを追加で食卓に出していた。
このケーキは料理の師匠であるナナの店で購入したもので、これはノーナが特に指定した逸品である。
「すっかりシンが出してくれる食事に慣れてしまって、食べれなくなったら寂しいだろうな」
乳製品特有の臭みは気にならないようで、テュケはチーズケーキをお代わりして食べ続けている。
「僕の出身地の食事は、意外と見かけに抵抗感がある人も居るんですよ」
出会ったばかりのマイラは、炊き上げた米の見栄えにギョッとした表情をしていた。
バロットを最初から違和感無く食べていた彼女だが、穀物が殆ど作られない惑星出身だったので白米は食欲をそそる見栄えではなかったのであろう。
「食べ慣れたというよりも、懐かしいという感じかな」
「ははは。本当にティケの前世は、僕の惑星だったのかも知れませんね」
「ああ。
シンが此処に居るというのが、その証拠かも知れないな」
「?」
「もう何年も孤独に暮らしてたから、精神的に追い詰められてたんだろう。
思わず誰でも良いから話相手を連れてきてくれって、『ご先祖様』に強くお願いしちゃったんだよ」
「??」
「それで君が突然、現れたって訳なんだ」
「あの……もしかしてテュケは、何か特殊な能力が使えるんですか?」
「いいや。シンみたいな事は一切出来ないな。
ただ……」
「???」
「我々の種族で『ご先祖様』に強くお願いするって事は、特別な意味があるんだな」
「……僕はその『ご先祖様』よりも、テュケに引き寄せられた気がするんですけどね。
もしかして、ノーナのような幸運を引き寄せる能力をお持ちじゃないんですか?」
「それじゃあと数日、その幸運の余波を堪能させて貰おうかな」
「夜はだめですよ!特に寝入った後には」
「大丈夫だよ。責任を取れなんて言わないからさ」
テュケは空になった皿をシンに見せて、追加の催促をする。
「そういう意味じゃないんですってば」
シンは残りのホールケーキから大きく切り出したチーズケーキを、再び彼女の皿にのせる。
彼女は満面の笑顔を浮かべて、チーズケーキを頬張り始める。
「もしかしてノーナがリクエストしたこういう甘いのが、まだ沢山収納されてるんだろ?」
「ええ。甘みに関しては同じヒューマノイドでも感応が違うみたいで、かなり色んな種類をリクエストされてますね」
「君が離脱するまでの間で、制覇できると良いな。
このケーキという甘味も、寝入った後のお楽しみも」
シンは寝付きが異常に良いので、あの寝心地が良いネストで起きていられる自信が無い。
ため息をつきながら、シンはどうやって彼女のちょっかいを躱そうか必死に考えていたのであった。
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