004.Wherever I go
キッチン。
数時間前にステーキを焼いた調理器具と現地調達の水を使って、シンはご飯を炊いている。
この施設の水道は正常に可動している上にミネラル分が含まれていない軟水なので、シンがストックしているミネラルウォーターよりも炊飯には適しているのである。
肉を焼いた時にも感じたのであるが、この調理器は熱価が高く加熱にムラが無いので使い勝手がとても良い。微妙な火加減で白米が炊ける香りが周囲に漂っているが、この癖がある硫黄臭?を彼女は全く気にしていないようである。
「これは君の故郷の穀物なんだろ?
粘り気が強くて、甘味が強いんだな」
味見させて貰った炊きたての白米を、彼女は気に入ったようだ。
二人の間で使っている標準語には味覚に関する表現も多いが、シンが知らない単語もあって全てを理解できたとは言えないのであるが。
「このまま主食として食べる事もあるんですが、今日はもうひと手間を加えます」
シンが持参している食材にはノーナ好みの高級なものも多いが、2週間の間それらを食べ続けると流石に飽きてしまうだろう。シンが得意である中華風のメニューより、洋食に類するメニューの方が馴染みやすいとシンは判断したのである。
「へえっ、やっぱり食文化に関しては、すごく洗練されているんだな」
ライスを具材と一緒に炒める様子を見て彼女は関心しているようだが、鍋肌に醤油を垂らした香りに彼女は鼻をくんくんと言わせている。
「あれっ、嫌な香りでしたか?」
「いや、逆だ。
その調味料は、凄く良い香りだな」
「そういえば、バステトの人たちにも醤油は好評でしたね」
「発酵調味料というのか……やっぱり食文化には、大きな差があるな」
「これは、家庭でも良く食べられているメニューなんですけどね。
僕が母親から教わった、数少ない思い出のメニューでもあります」
シンはフライパンで作ったトロトロのオムレツに、醤油で炒めたライスを器用に包んでいく。
その魔法のような手際の良さに、彼女は目を丸くしている。
「はい、どうぞ。
これは『オムライス』というメニューです」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
いきなり『オムライス』のど真ん中にスプーンを入れて半分にした彼女に、シンはかなり驚いていた。
それは亡くなった母親が習慣としていた食べ方であり、最近ではエイミーも偶然なのか?同じ食べ方をしているのである。
「あれっ、何か無作法だったかな?」
シンの驚いた表情に、彼女はスプーンを止めて首を傾げている。
「いいえ。……僕の母親と同じ食べ方だったので、ちょっと驚いただけです。
どうぞ、冷めちゃいますから」
シンの母親譲りのレシピでは、白米の味付けにケチャップを使っていない。
その明確な理由はいまだに分からないが、シンにとっては数少ない母親の思い出の味なのである。
「うん!美味しい!」
口角を上げて表現する『微笑み』は、どの世界のヒューマノイドにも共通する感情表現なのであった。
☆
翌朝。
備え付けの保管庫に入れてあった余りご飯に、シンは温めたカレールーをかけていた。
冷蔵庫に入れるのと違ってほんのりと温度を保っているご飯は、まるで前日の炊きたてそのままの状態を保っている。一見スチーム・ウォーマーのような外見だが、蒸気すら使わずに出来たの状態で保管出来ている原理は全くの謎である。
「調理器具に関しては、此処は数世代分技術が進んでますよね」
まるで時間を停止させた様な白米のコンディションを見て、シンはかなり驚いている。
「なんか分子の振動を利用していたと思ったが……まぁ今と成っては、あまり意味が無い技術だけどな。
それよりこの料理だが、色合いが地味だが複雑な辛味がなんとも言えないな」
このユウ謹製のカレー・ルーはCongohの定期配送便で入手可能なので、今回は収納庫に大量に在庫されているのある。
「異星の料理を何でも美味しいって、なんか不思議な感じですよね?」
「自分でも不思議なんだが、なぜか口に合うんだな。
もしかして自分の前世は、シンの惑星の住人だったのかも知れないな」
「ははは。それだと時系列が合いませんよね?」
「この惑星の言い伝えでは、魂は時間を遡及して生まれ変わるらしいぞ」
「へえっ、リインカネーションっていうのは、宇宙の中でも普遍的な概念なんですね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「それで、昨日は現れてから数時間でこの惑星を救ったが、暫くはここに滞在するんだろ?」
「ええ。数日は此処でご厄介になります。それでまず、居住環境をもっと整備しないと。
ここより大きなキッチンは、無いんですか?」
「ああ、それなら別棟に大人数用のキッチンがある筈。
もっとも食材自体はほとんど合成モノや保管品だから、料理自体も廃れた文化になっていたんだけどね」
「廃れた文化と言いますけど、あの加熱調理器や保管器は出来ればお持ち帰りしたいくらい素晴らしいですよ。でも葉物野菜位なら、ここの閉鎖環境で栽培できるような気がしますけど」
「一世代目は栽培は可能なんだけど、その種子が変質してしまうんだ。
栽培したら終わりで備蓄している種子を消費するだけなんで、農業は既に成り立たない産業になってしまったんだな」
☆
施設内部の大型キッチンをチェック中の二人。
ここには更に大型の調理器具が並んでいるので、シンは興味津々である。
「なぁシン、私のことも名前で呼んでくれないか?」
相手をファーストネームで呼んでいるので、『貴方』と呼ばれていると彼女としては違和感があるのだろう。
「すいません。どうも発音が上手く出来なくて」
フランス語や他の言語で濁音や破裂音には慣れているシンではあるが、さすがに標準語に出てくる固有名詞には発音不可能なものが多い。
「それじゃシンが呼びやすい名前をつけてくれないか?」
「そうですね……それなら『テュケ』と呼ばせて下さい」
「テュケ……うん、何故かしっくりくる名前だな。
どんな由来があるんだい?」
「神話に残っている運命の女神なんですけど、僕の亡くなった母親の名前でもあります」
「……私は君が敬愛していた、母君に似てるのかな?」
何故か嬉しそうな表情を浮かべて、彼女はシンに応じている。
シンの地元ならばマザコンと軽蔑されそうな命名であるが、この惑星では母親を敬う文化はごく当たり前なのであろう。
「ええ、何となく重なる部分が多いですね。
敬愛していたというより、厳しく躾けられたというのが正しいですけどね」
「私はそんなに口煩くないが、救世主の母君に似ているだけでも光栄だな」
「……それでテュケ、僕が長距離ジャンプするタイミングで今後の事を決めてくださいね。
目的地はとりあえずバステトの母星ですけど」
「そりゃ此処に残る選択肢は無いけど、君の母星に招いてはくれないのかな?」
「喜んでお招きしますけど、僕には義妹が居るんで子供を作ったり親密には成れないですね」
「そこまでは期待していないが、義妹という事は血の繋がりは無いんだな?」
「ええ。
実妹は母親と一緒に、航空機の事故で亡くなりましたから」
「ああ、嫌な事を聞いてしまってすまないな」
「もう昔の話なんで、そんなに気にしないで良いですよ」
「それで義妹の映像とか、今持ってないのか?
いや、私の好奇心を満たす為だから見せるのが嫌なら構わないが」
「ええっと、ちょっと待って下さい。
……ああ、これですね」
画像をコレクションする趣味が無いシンではあるが、コミュニケーターのメモリには数枚の画像が残っていた。
「へえっ、彼女はバステトじゃないか?
君とは、ヒューマノイドでも種族が違うんだな」
シンには不可能な瞬時の判別が可能なのは、彼が知らない知識や経験を彼女が持っているからであろう。
「ええ。不思議な縁があって、ずっと一緒に暮らしてるんですよ」
「もしかして、シンは確率の偏りが大きいタイプなのかな?」
「ああ、それはノーナさんにも言われた事がありますね。
エイミーが僕と暮らしているのも、偶然では無くて必然らしいですよ」
「ああ、それはご馳走さま」
お惚気話に対する反応は、何故か宇宙共通?だったのである。
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