002.Johnny, Kick a Hole in the Sky
肉の焼ける匂いに惹きつけられて、キッチンの入り口に現れたのはグレーのツナギを着た見目麗しい女性である。
生気に溢れた大きな瞳と引き締まった体躯は、テラナーにより近いヒューマノイドなのだろうか?着用しているツナギと合わせて、シンの同僚である義勇軍の女性パイロット達とよく似ている雰囲気を漂わせている。
キッチンに立ちすくんでいるシンと目線が合った瞬間、なぜか彼女は照準していた武器を静かに下ろしホルスター?に戻してしまう。
シンが彼女から受けた印象と同様に、シンが自分には危害を加えないと瞬時に判断したのであろう。
さらにシンの姿よりも熱心に視線を向けているのはフライパンで脂が爆ぜている牛肉であり、本当に食べ物の匂いに釣られて姿を現したのであろう。
「随分と久しぶりの来客だね?
私以外の残留者がいたなんて、思いもしなかったよ」
シンは彼女の発する言語が、数ヶ月前にバステトの母星で学習した標準語であることに気がつく。エスペラントに少しだけ似た標準語は、語学習得に特別な才能があるメトセラには容易に習得が可能な言語である。
「……ええっと、居残りじゃなくてこの惑星に不時着したんですけど」
「不時着?
未知の宇宙船が、大気圏に侵入すれば警報が鳴って直ぐに気がつく筈だけどな」
容易にコミュニケーションが可能なシンが、異星から来たヒューマノイドであると彼女は想像もしていないのであろう。
「いいえ。
亜空間ジャンプで来たんですが、どうやら座標エラーが起きてしまったようで」
「亜空間ジャンプ?、そんな遺失技術を使って此処まで来たのかい?」
素直に頷くシンの様子を見て、彼女はとりあえず話を聞いてみる気になったようだ。
「標準語が喋れるって事は、未開惑星から来たんじゃないんだろ?
ああ、もしかしてエトランゼで護士なのか!」
ここで彼女は漸く、シンが自分とは違う進化を辿ったヒューマノイドであるのを朧気に理解したようである。ヒューマノイドは進化が終焉した結果辿り着く形態ではあるが、その過程が違うと姿もほんの少しづつ差異が出てくるのである。
それとは別に護士であると指摘出来たのは、シンがノーナから授与された手首につけているブレスレットのお陰かも知れない。
「理解が早くて助かります。
それじゃ、まずこの惑星の事について、教えてくれませんか?」
「それは構わないけど……その前に目の前の良い匂いが漂ってる精肉を、少し分けて貰えないかな?
もう何年も合成じゃない真っ当な食事を食べてないんでね」
小鼻をピクピクとさせながらストレートに催促する彼女の目は、余裕が無く血走っているようにも見える。
「ああっ、気が付きませんで。
よかったら召し上がってみて下さい」
シンはフライパンを彼女の前に押しやると、収納庫から焼き立てのフランスパンを追加で取り出しフライパンの横に置く。
彼女は収納庫から食料を取り出す様子に驚きもせずに、器用に小さな包丁で肉を切り分けると口一杯に頬張っている。椅子があるテーブルなのであるが、飢餓感を漂わせている彼女は腰掛ける余裕すら無いのかも知れない。
「おおっ、この肉は脂と赤味のバランスが抜群だな!
こんなに旨味が強い肉は、生まれて初めて食べたよ」
「ノーナさんのリクエストで持ってきたんですが、気に入りました?」
「ノーナ?……ああっ、これは実に美味いなぁ!
この穀物?を整形した食べ物も、香ばしくて良いな!
君の母星は、食べ物に関してはすごく洗練されてるんだな」
ここで彼女は漸く余裕が出てきたようで小さな椅子を引いて腰掛けるが、咀嚼を止める事無く肉を食べ続けている。
シンが聞いているこの宇宙に存在するヒューマノイドの居住惑星では、肉食を拒絶するベジタリアンやヴィーガンなどあり得ないとノーナから聞かされている。カニバリズムは当たり前のように禁止されているようだが、これは倫理感というよりも遺伝子の摂取という面で問題があるからの様だ。
「ええと、これは肉を単純に焼いただけで、とても料理とは言えませんけどね。
もし安全な滞在にご協力いただけるなら、いくらでも料理の腕前は披露しますけど」
シンは対面の椅子に腰掛けて、彼女との会話を続けている。
「そんなに『残り時間』は無いが、それで良ければいくらでも協力するよ。
いや……食べ物に釣られたからじゃなくて、何か君の事は他人とは思えなくてね」
匂いに刺激された胃袋が落ち着いたからなのか、少し恥ずかしそうな表情で彼女は弁解をする。
「『残り時間』って、やっぱり天体衝突の事ですか?」
「ああ。この惑星がもぬけの殻なのは、住民全てが新天地を目指して旅立ったからなんだ」
☆
(……ええっと、お湯を沸かす器具はこれか)
シンは持参していたミネラルウォーターを沸かして、インスタントコーヒーを用意する。
蛇口らしきものは勿論あるのだが、管理していない上水道がきちんと機能しているとは確信が持てなかったのである。
「本格的なコーヒーでは無いですけど、良かったらどうぞ」
「ありがとう。ずいぶんと刺激が強そうな飲み物だな
……ああ、不思議だなぁ、懐かしい味のような気がする」
「それで『残り時間』の件なんですけど?」
「ああ、この惑星は天体衝突であと僅かの寿命なんだ。
私は見届け人として、ここに残留した最後の一人という訳だ」
「移住先の惑星に、これから合流されないんですか?
まだ使っていない宇宙機もあるようですけど」
「う〜ん、習わしというか、最後の一人は惑星の最後を見届けないといけないんだ。
これは理屈では無くて、選ばれた者の義務という処かな」
「これだけの技術力をお持ちの種族なのに、衝突回避が出来ないのは不思議ですけど」
「技術的には不可能じゃないんだけどね……君はこの惑星の生態系を見て不思議に思わなかったかい?」
「ええ。
小さな生物はおろか、昆虫とかも居ないのが不思議ですよね。
植生も何となく不自然な感じがしますし」
「そう、この惑星の生態系はかなり昔に破綻してしまってるんだよ。
長い年月を掛けて修復を試みたんだけど、それが裏目に出てしまってね」
「それでヒューマノイド以外は、死に絶えたと?」
「合成食の技術はあるから食料危機は起きなかったんだが、こういう生鮮食品が一切食べれないというのは、ヒューマノイドにとってもかなり致命的だよね」
「それで心機一転という事になったんですね」
「ああ。条件が良い移住先が、近場に見つかったというのも大きな要因だね」
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リビング?での引き続きのミーティング。
身体に合わせて微妙に変形するソファに座って、シンはリラックスしている。
彼女はシンが提供した缶ビールに興味津々だが、この惑星にも嗜好品として似たようなアルコール飲料はしっかりと存在しているようである。
「なんか、この苦味が癖になりそうな味だな」
「味覚はそれほど違いは無いんですね。
それで衝突のスケジュールなんですけど」
「う〜ん、タイミングが悪いというか。
この惑星時間で数日後かな」
「うわぁ、この瞬間から天体衝突は他人事じゃなくなりましたね」
「???
君は長距離ジャンプが出来るんだろう?衝突する前に脱出すれば問題ないんじゃないか?」
「制限事項があって、衝突が起きる時点ではまだ自分は長距離ジャンプが出来ないんですよ。
つまり天体衝突をなんとか回避しないと、自分自身もこの惑星と運命を共にする結果になりますね」
「……君だけ宇宙機で逃してあげたいんだが、残念ながらこれから機体の整備をしても間に合わないだろうな。技術的な知識はあるんだが、チェック事項ややる事が多くてスケジュール的に無理だろうし」
「あなたはぜんぜん、逃げる気がなかったんですね。
それでサイズは直径10Kmって言いましたけど、どの時点で対処するのが効果的なんでしょう?」
「そりゃ、出来るだけ早く対処すれば、破片の衝突コースを回避出来る可能性が高くなるだろうね。
ただしそういう超強力な兵器は、この惑星上には存在しないんだよね」
「いいえ。
その言葉は『存在していなかった』と言い直す必要があると思いますよ」
「?」
「そのビールを飲み終えたら、ちょっと付き合って下さい。
世界を救うっていうのは柄じゃないですけど」
「??」
まだ名前すら知らない彼女は、何故か自信満々のシンの態度に首を傾げるばかりなのであった。
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