031.Dirty Low Down And Bad
ハワイ・ベースのリビング。
「あの人が、ここに滞在してなくて良かったですよ。
部屋にはミーファが居るから、万が一夜這いされても大丈夫ですけど」
「大丈夫じゃない!
ノエルにちょっかいを出すビッチは、私が排除!」
ここでノエルと一緒にソファに座っているミーファが、ブツブツと小声で呟いている。
「あの子は異性関係はかなり疎いから、話を聞いてると意外だよね」
Tokyoオフィスでは公私に渡って面倒を見ていたユウは、積極的なベックの態度にかなり驚いているようだ。
「そうだったんですか?」
雫谷学園に入学したばかりのノエルは、もちろんベックが通っていた頃の様子を知らない。
経験や技倆が不足して鬱積が溜まった学園生活を送っていた事を、今の陽気な彼女からは想像が付かないのであろう。
「学園でも、そういうそぶりは一切無かったし。
まぁ目ぼしい男子生徒は、シン君くらいしか居なかったしね」
「……」
「あっ、そうそう。
明日は重箱を用意するから、昼食を皆で食べようか」
「うわっ、それは嬉しいですね。
もしかして基地の中に、ニホン式の花見が出来る桜でもあるんですか?」
「残念ながらハワイ州じゃ、公共の場所で酒盛りをすると違法になっちゃうからね。
それに桜が開花するのは1月だから、ニホンとは季節がずれてるしね」
「???」
「実はヒッカムの基地司令は、昔からの知り合いでね。
たまには簡単なニホン食でセッタイして、気を使っておかないと」
☆
「おいっ、そこのガキ!
基地の中をウロウロするなよ、目障りだ!」
ヒッカム基地に遠征して来たのか、3人組の海兵隊員が大声を出している。
「……」
いきなり怒鳴られたマイラやミーファは全く萎縮せずに、平然と海兵隊員を眺めている。
二人とも、この大声を出しているオヤジは誰?という疑問を浮かべた表情である。
「おい聞こえないのか!
此処は遊園地じゃないんだよ、とっとと消えろ!」
「……」
二人は救いを求めるように振り返り、ゾーイの方に目線を投げる。
マイラにいたっては、両手を広げて困惑のポーズをしている。
「おいお前達、私の部下に何か用なのか?」
ノエルやマイラより少し離れて歩いていたゾーイが、罵声を浴びせてきた海兵隊の一行にドスが効いた声を掛ける。
ちなみにゾーイの横には、フライトスーツ姿のヒッカム基地司令が同行している。
「いえ、部外者を見かけたので、注意喚起をしただけであります」
ゾーイの付けている大佐の階級章と、同行している基地司令を見て海兵隊員の口調が急に丁寧になる。
「部外者?IDカードの文字すら読めないのか?
海兵隊員の質も下がったもんだな」
「大佐殿、申し上げにくいのですが
隊員のご家族であっても、基地内を自由に歩き回れる訳ではありません」
「憲兵でも無いお前らが、そんな指摘をするのは的外れだろう?
それに全員が、制限エリア無しのIDカードを持っているのが見えないのか?
弱い犬ほど良く吠えるというのは、本当だな」
「……大佐殿、失礼ですが自分達は世界最強の海兵隊員であります。
『弱い犬』呼ばわりされるのは、心外であります」
「ほおっ、米帝の海兵隊は今でも『自称世界最強』なのか?
それじゃちょっと腕試しをさせて貰えるか?」
「……」
「口先だけか、とんだチキンだな!」
「そこまで仰るなら、MCMAPのインストラクターである自分がお相手します」
大声を出した本人では無く、後ろに控えていた上背がある海兵隊員がゾーイに返答する。
「司令、どこか場所をお借りしたいんですが?」
「ああ、マーシャルアーツ専門の道場があるから、使って構わないよ。
折角の機会だから、君じゃなくてユウ君の勇姿を見たいかな」
「ええっ、ゾーイさんでは無く自分をご指名でありますか?」
一行の最後尾に居たユウは、知り合いである基地司令に気安く返答する。
訓練に関しての事務処理で来ているユウは、Gスーツでは無く義勇軍の野戦服を着用している。
「ユウ君、相手はまだ若いからほどほどにね」
基地司令は含み笑いを浮かべながら、ユウに応じる。
「はい、司令。
海兵隊のインストラクターと手合わせするのは、久しぶりですので楽しみです」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
ヒッカム基地、マーシャルアーツの道場。
「こんなか細い事務官?相手に、本気を出せと?」
ユウは上背は高いが、細身の外見でゾーイと違って格闘戦向きには見えない体型である。
「ユウ君は義勇軍の優秀なパイロットで、『GWOT−SM』も受勲したベテランなんだよ。
在日海兵隊員の間でも彼女は顔が売れてる筈なんだけど、知らないのかい?」
基地司令の一言にMCMAPのインストラクターは無言だが、ハードルを上げられてしまったユウははっきりと苦笑をしている。
「それでは初め!」
ゾーイの掛け声で、相対している二人は動き始める。
硬質なゴム製の床は弾力が無く、テイクダウンされるとかなりのダメージを負いそうである。
重心を低くして突っ込んでくる海兵隊員は、アマチュア・レスリングの経験者なのだろう。
床に転がして寝技で翻弄するつもりなのだろうが、太ももに触れた瞬間にユウの姿は一瞬にしてかき消えている。
後方に控えている二人の海兵隊員は、ユウがタックルを躱す度に目をこすって信じられないという表情を浮かべている。短距離ジャンプは派手さは無いが、移動先を予測出来ないので最も有効なディフェンスなのである。
「逃げ回るのが得意の様だが、いつまで続くかな!」
荒い息をつきながら海兵隊員のインストラクターはタックルを繰り返すが、何度やっても触る事すら出来ないユウに苛立っている。
繰り返しタックルしてくるタイミングを把握したユウは、ジャンプで回避した瞬間に相手の死角からハイキックを打ち込む。
ねじり込むように延髄に決まったキック一本で、相手は受け身も取れずにおかしな姿勢で崩れ落ちる。
「うわっ、ちょっとやりすぎたかな?」
口から泡を吹いて昏倒している海兵隊員を見て、ユウが呟く。
「!!!」
ユウの呟きを屈辱と取ったのか、同行していた海兵隊員2人がユウに向けて飛びかかろうとする。
だが彼等が動けたのは初めの一歩だけであり、二人は首を両手で押さえてうめき声を上げることになる。
至近距離で対戦を見ていたノエルは、手首をほんの少し動かしただけで涼しげな表情である。
「ノエル、首を落としたりしたら駄目だよ!
相手は友軍の海兵隊だからね」
ユウが笑顔でノエルに声を掛けると、ノエルは小さく頷いてゾーイに声を掛ける。
「でも相手がこれ以上動いたら、首を落としても正当防衛になりますよね?」
「ゾーイ、これ位で許して上げて貰えないか?
本人達も十分反省しただろうし」
「ノエル!」
声を掛けられたノエルが再び手首を動かすと、その場に倒れ込んだ二人は荒い息で首元を押さえている。
あらかじめ呼んであったのかこのタイミングで救急隊員が到着し、倒れている3人に駆け寄って来る。
「ノエル、不快な思いをしたなら私からも謝るよ」
道場の隅で見ていたのだろうか、ベックが何故かノエルに近寄ってきた。
「何でベックさんが謝るんですか?」
「ほら、私も海兵隊のOBで、実戦にも参加してたからね」
「はいはい、もう終わった事だから。
せっかく司令から許可をいただいたし、移動して食事にしようか」
ゾーイの場を収拾する一言で、一同は足早に道場を後にしたのであった。
☆
ヒッカム基地の士官食堂。
ユウが持参したお重には手の混んだ料理が大量に入っているが、基地司令が真っ先に手にしたのは何の変哲も無い普通のお握りである。
「ユウ君が作ったお握りは、なんでこう美味しいのかな。
コンビニでもニホン式のお握りは良く買うんだが、味が全然違うので不思議に思ってたんだよ」
「うん!ユウのお握りはとっても美味しい!」
同じくお握りを手にしていたマイラが、いち早く同意の声を上げる。
「コンビニのお握りは、機械か押し型で大量生産してますから。
お握りは作り慣れると、空気を含ませてこういう食感に出来るんですよ」
「それは、にぎり寿司と同じような技術なのかな?」
「はい。口の中に入れるとほぐれるように握るのは一緒ですね。
それと素材の米の品質が、違いを出していると思います」
「Congohの仕入れてるお米が、高級なのかな?」
義勇軍について多少の知識がある司令は、重ねてユウに質問する。
「高級ではありませんが、ニホン産の米を厳選して選んでますから。
あとは軟水器や浄水器、炊飯器の違いなんでしょうね」
「ハードウエアは何とかなるだろうが、料理人の腕前はなかなか難しいね」
和食をこよなく愛する基地司令は、隊員食堂についても改善をする熱意を持っているようである。
「自分がハワイに居る間に、奥様にレクチャーしましょうか?
ミサワ以来ご無沙汰ですので、私もお会いしたいですし」
「おおっ、ワイフもユウ君に会えると喜ぶよ!
ぜひお願いしたいな!」
ユウの意外な顔の広さに、とても驚いている一同なのであった。
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