030.Chasin' The Wind
ヒッカムから戻ったノエル達がリビングルームに顔を出すと、ハワイベース自慢のコア材テーブルでアンとユウがミーティングを行っている。手許に置かれた資料から推察すると、明日からの訓練プログラムについての確認なのであろう。
「あれっ、ユウさんいつの間に?」
ユウに話し掛けながらも、なぜかノエルの目はテーブル天板の特徴的な杢目に釘付けである。
「ああ、お帰りなさい!さっき到着したばかり」
「今回は来ないのかと思って、ガッカリしてたんですよ!」
「ふふふっ、心配してくれて有難う。
訓練はともかく夕飯の仕度が大変かと思って、時間を調整して来たんだ」
どうやら人数が膨らんだハワイベースの夕食準備のため、ユウが予定を前倒しして来てくれたようだ。
ノエルはアンに目配せしてテーブルに掛けて良いかを尋ねるが、彼女が小さく頷いたのでユウの横に腰掛ける。どうやら訓練カリキュラムの打ち合わせは、ほぼ終了していたようである。
「あっユウさん、ミーファの案内で『ピピカウラ』っていうのを食べましたよ」
ノエルはコア材で作られたテーブルがよほど気に入ったのか、分厚い天板を指先で撫で回しながらユウに報告する。モノに拘りが無い彼としては珍しい行動で、何か遠い昔を思い出したかのように彼の目線が泳いでいる。
一緒にリビングに入ってきたミーファは、長時間のバイク移動で疲れたのかソファに深く腰掛けてグロッキー状態である。
気を効かせたマイラが炭酸飲料を持ってくると、身体を起こしたミーファが漸く笑顔を見せる。
「『ピピカウラ』……それって骨付きのリブ肉でしょ?」
「あれっ、もしかしてユウさんは此処に長期滞在した事があるんですか?」
「昔空防の合同演習で来たことがあるけど、せいぜい2週間だったかな。
ピピカウラは、母さんもお気に入りで良く作ってくれてたから。
干し肉料理の中では、スパイスの癖が無くて美味しいよね」
「ところでユウ、今日の晩御飯は任せて大丈夫なのか?」
ここでゾーイが会話に割り込んで声を掛ける。
彼女はハワイ・ベースの責任者であるジョンの手料理を、身を持って体験しているからであろう。
「ええ。
マリーは学園寮で食事をするように、エイミーに頼んで来ましたから」
「そりゃ、エイミーも大変だな」
「彼女はシン仕込みで中華料理も出来ますから、大人数分の調理はお手の物なんですよ。
マリーも普段と違うジャンルの料理が食べられるので、文句を言いませんし」
「お前も料理を教えてるんだろ?
Tokyoオフィスの関係者の中でレパートリーが一番多いのは、間違い無く彼女だろうな」
カーメリで本場のピッザ調理も学んでいるエイミーは、ゾーイにとっても優秀な生徒なのである。
「今日あたりは、マリーのリクエストで散らし寿司でも作ってるんじゃないですかね」
☆
夜半のリビング。
「興奮も緊張もしてないんだね?」
ユウはいつものオールド・フォレスターを手に、つまみのホームメイド・クッキーをポリポリと食べている。
これはショッピングセンターの専門店で定期購入しているエリーの大好物で、地元産のナッツが贅沢に使われている。
「ええ。
別に戦闘をする訳じゃありませんから」
ハワイベースには当然ビールサーバーは無いので、ノエルはニホン製の缶ビールを手にしている。
Congohの定期配送便で届けられているので、近隣のスーパーで入手するよりも製造日が新しいのは当然である。
ノエルはビールを煽りながらも、ユウでは無くテーブルの杢目をじっと眺めている。
余程このテーブルが、気になっているのであろう。
「その辺りは、レイさんに良く似てるかな」
「……」
「それにしても、随分と簡単にあの子を受け入れたよね?」
「ああ、それも慣れてますから」
「???」
「うちの母さんの方針で、戦場で保護した孤児は最後まで面倒を見る事にしてたんですよ」
「へえっ、傭兵部隊とは思えない人道的な活動もしてたんだ。
それで小さい子の世話に慣れてるんだね」
「とりあえずその子たちの将来設計も一段落付きましたから、こんどは自分自身を何とかしないと。
ミーファを手許に置くのは、その一貫ですかね」
「ふふふっ、将来の嫁候補とか?」
「ははは。
ヒカルゲンジ計画を発動するには、彼女は遺伝子記憶がありますから難しいんじゃないですか?」
「へえっ、ニホンの古典文学なんて良く知ってるね?」
「うちの母さんの蔵書に、英訳本がありましたから。
パリのアパルトマンには、まだ置いてあると思いますけど」
「……なるほど」
「ところでユウさん、このテーブルなんですけど?」
☆
翌日、米帝空軍ヒッカム基地。
空域使用の時間的制約のため、回転翼機の訓練は早朝に行われている。
「おい、初めて実機を操縦するんだから少しは緊張しろよ!
シンだって、もうちょっと緊張感があったぞ!」
ガンナー席に座ったゾーイは、インカムで小さくハミングを響かせているノエルと会話をしている。
「だって僕の操縦が下手でも、前席に座ってるゾーイさんがフォローしてくれるんですよね?」
事前設定されたコースを飛行するノエルは、本日のフライト・プログラムを100%完璧にこなしている。
まるで長年の愛機のように、機体は滑らかにノエルの操縦に反応している。
「そりゃ、私も訓練で死にたくないからな」
「なんかシミュレーターと違って、とっても挙動がスムースなんですよね。
これって整備のために呼んだ、あのお二方のお陰なんでしょうかね?」
「ああ、義勇軍の装備担当のナンバーワンをアラスカから呼んでるからな。
前回はこの機体で訓練を完遂できなかったから、その反省を込めてるんだよ」
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ヒッカム基地、回転翼機ハンガー。
本日のカリキュラムを順当に消化したノエルとゾーイは、ハンガーの隅に置かれた椅子で休憩している。
「ねぇゾーイ、ノエル君には基礎訓練って要らなくない?」
コックピットでチェックプログラムを操作しながら、ツナギ姿のベルがゾーイに声を掛ける。
ツナギの襟元には大尉の階級章が付けられているが、周囲に居る米帝空軍の隊員は特に畏まった様子は無いようである。本物の将官が整備ハンガーで整備をするなど、彼等の常識ではあり得ないからである。
「……」
「別に米帝のライセンスを取得できる年齢でも無いんだから、空域を使える間はもうちょっと実戦的な訓練をやるべきだと思うけど」
「……」
「それに対空時間はどんな内容の訓練でも稼げるでしょ?
せっかくの戦闘ヘリなんだからさ」
「ああ、お前の言う事はすべて正論なんだけど、アンが作ったカリキュラムを無視出来ないだろ?
明日の慣熟飛行が終わるまでは、プログラムの変更しないからな!」
「へいへい」
「ところで、ベルさん達は何でハワイベースに宿泊してないんですか?」
「ああ。
2人でやってる整備の手間が大変だから、移動に時間が掛からない近くのモーテルに宿泊してるんだ。
ハワイベースで離着陸できれば問題無いんだが、米帝からの許可が簡単には出ないからな」
「こちらの整備担当者の、ヘルプは無いんですか?」
「これって米帝の陸軍と海兵隊の機体だろ?
ヴェテランの整備兵でも触った事が無いのが普通なんだよ」
「……それで、何でこの方は僕にご執心なんでしょうか?」
狭いベンチでは、ベルと同じツナギを着たベックがノエルの横に引っ付いている。
大柄の彼女に頭を撫でられたり抱き締められたりしているノエルは無抵抗なのだが、かなり迷惑そうな表情をしている。
「ああ、ヤツはあんまり男には興味が無いみたいなんだけど、君は例外みたいだな。
おいベック、いい加減にしないとノエル君が機嫌を損ねるぞ!」
「ええっ、だって男の子なのにこんなに可愛いんですよ!」
「おまえ、シンとはきっちりと距離をおいて付き合ってたのに、全然態度が違うじゃないか?」
「だって、シンにはエイミーが居るし、ゴツくて好みじゃないんですもん!」
ベックの一言にベルは頭を抱えているが、ゾーイはあえて知らんぷりを決め込んでいるようだ。
義勇軍においては先任であり少尉の階級章を付けているベックを、ノエルは隙を見て振り払いトイレに逃げ込む羽目になったのであった。
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