019.Rise
イルマ市のとある定食屋さんの座敷席。
ノエルは胡座が苦手だが、ゾーイは慣れた様子でリラックスしている。
畳の上に置かれた大きな座卓には、おまたせの声とともにボリュームがある定食が配膳された。
「シミュレーター訓練で缶詰になるって、聞いてたんですけど?」
注文したミックス・フライ定食にとんかつソースをたっぷりと掛けながら、ノエルが尋ねる。
濃いキツネ色のコロモが硬そうなフライは、塩で食べるのには見るからに不向きである。
「スパルタの一日18時間訓練も可能だけど、それがお望みかな?」
卵とじされたカツが二段重ねになっているカツ丼を頬張りながら、ゾーイは終始ご機嫌な様子である。
ちなみに彼女が注文したカツ丼はセットメニューなのか、横に置かれているザル饂飩もかなりのボリュームである。
「……」
「まだ君も、ニホンを堪能してないだろう?
それに飛行訓練を開始する前に、適性を見極めないとね」
「適性ですか?
もし自分がパイロットに向いていないと分かったら、どうすれば良いんですかね?」
「戦闘で自分の命を掛けたり、ヒーローになって人の命を助けるのは避けた方が良いという事だよ。
輸送機のパイロットなら、ルーティンをしっかりとこなせば長く努められるし問題も無いからね」
「はぁ……それで適性を見極めるのと、食べ歩きをするのは何の関係があるんでしょうか?」
「そりゃ移動手段のバイクの運転から、注文の仕方や食べ方まですべて見極めの材料になってるよ」
「?」
「パイロットというのは、いつでも自分の行先を的確に決められるからパイロットなのさ。
日常生活で注文を決められなくて優柔不断だったり、細かい事にクヨクヨしてる奴は言うまでも無く向いてないと断言できるね」
「それじゃ、シンさんについてはどう判断されたんですか?」
「うん、良い質問だな。
あいつは操縦席に座ってなくても、良いパイロットとして動ける稀有な人材だからな。
操縦技術であいつより優れた人材はカーメリには居るかも知れないが、総合力で敵う奴は殆ど居ないだろうな」
「??」
「司令官クラスの判断力はフウが手元に置いて育てたから身についたんだろうが、過酷な経験をして来た割には性格が素直なんだよ」
「……どうせ自分は、性格が捻れてますよ」
拗ねたような一言ではあるが、ノエルの表情は普段と全く変わっていない。
「本当に性格に難がある奴は、そんな台詞は言わないと思うぞ。
もっとも君の親族には、性格的に難があるのが居るけどな」
「それは誰の事を言っているんですか?」
「そりゃナナの事に決まってるだろう?
実の息子や娘にも、毛嫌いされてる位だからな」
「僕にはとっても優しい人ですから、それは同意出来ませんね」
「ああ、アンからもそう聞いているよ。
お前はナナの、唯一のお気に入りなんだってな」
☆
「この音は、イルマ基地所属のチヌークだな」
ヘルメットに内蔵されたインカムから、ローター音を聴き分けたゾーイの声が流れてくる。
「ああ、デュアル・ローターのでっかい機体ですよね」
「へえっ、分かってるじゃないか」
「欧州で、数え切れない位のヘリを戦場で見てますからね」
「おっと、そこの店に寄っていこうか」
通りがかった商店街の中をゆっくりと走っていたのは、面白そうな店を物色していたのだろう。
木枠の引き戸が古めかしいパン屋の前で、ゾーイはバイクを停める。
「……良く食べますね」
サイド・スタンドを掛けてノエルはゾーイのバイクの横に駐輪するが、すでにゾーイはショーケースに入っているロールパンや甘食を物色している。
「カーメリじゃ遠出しても、食べ歩きは出来ないからなぁ。
おばちゃん、コッペにアンコとバターね」
コッペパンに挟めるフィリング一覧を見たゾーイが、一番人気と書かれた組み合わせを注文する。
この店では仕込みが必要な揚げ物やタマゴは注文出来ないかわりに、かなりの種類の甘味が選べるようだ。
如何にも外国人であるゾーイの流暢なニホン語に驚きながら、店のおばちゃんは切れ目を入れたコッペパンに慣れた手つきでバターを塗りはじめる。
片面に厚くバターを塗り終えると、もう片面にはアンコをこれでもかとぶ厚く塗っていく。
「注文してから中味を入れて貰えるんですね。
じゃぁ、僕も同じものを」
「あれっ、このパンって柔らかいんですね」
小銭を支払ったノエルは純白紙に包まれたパンを受け取ったが、その柔らかい手触りに驚いたようだ。
「コッペパンというのは、ニホン独自のパンだからな」
勢い良く頬張ったゾーイの口元は、しっかりと綻んでいる。
外国人には忌避感がある黒い粒あんも、彼女は全く気にかけていないようだ。
「ハンバーガーのバンズみたいな食感ですね。
へえっ、これはなかなか美味しいじゃないですか?」
「パリのブーランジェリーも歴史がある店が多いけど、ニホンでは街中のパン屋さんでも50年とかやってる店が沢山あるからな」
「地方都市でもこういう店があるのが、ニホンの面白い処ですよね」
「でも外食産業には厳しいご時世になってるから、ジンボチョウみたいに人気があっても店仕舞いをする所も出てくるんだろうな。それじゃ、もう一軒立ち寄ったら、戻ろうか」
「まだ食べるんですか?
太りますよ」
「ニホンでいくら体重が増えても、カーメリに戻ればストレスであっという間に元通りだからな。
司令官クラスで、太った人間は見たことがないだろう?」
☆
Tokyoオフィスの夕食時。
「夕飯はゾーイさんからリクエストがあったから、ばら寿司にしましたよ」
「うわっ、凄い量ですね」
ノエルは用意されたテーブルの上の様子に、かなり驚いていてるようだ。
「今日はマリーが居るから、これでも足りない位なんだよね」
「一緒に作ってくれたソース焼きそばもあるから、大丈夫」
マリーはお気に入りのノエルが夕食の席に参加しているので、とてもご機嫌である。
積み上げられたばら寿司が入っているおひつの横には、巨大な保温パッドが置かれている。
どうやらこの中に、ソース焼きそばが入っているようだ。
「おおっ、これこれ!
このジャンキーな味の焼きそばは、ニホンに来ないと食べれないからな」
トングで大量に盛り付けた焼きそばを、ゾーイは幸せそうな表情で頬張っている。
「なんか色が濃くて、味も大味っぽいですよね?」
揚げ物が好物であるノエルは中濃ソースにはしっかりと馴染んでいるが、見るからに味が濃そうな見かけに戸惑っているようだ。
「まだまだ修行が足りない!
まずノエルだけは、先にばら寿司を食べないと駄目!」
「???」
「それはね、ソースの味が強いから焼きそばを先に食べちゃうと、ばら寿司の繊細な味が分からなくなるという事だと思うよ」
ここで笑顔のユウが、ノエルに解説する。
「なるほど」
「ゾーイさん、そもそも濃い味のソース焼きそばを、ばら寿司と一緒に食べるのは無理があるんですよ。
わかってます?」
「そりゃニホンならばソース焼きそばの材料も簡単に手に入るけど、カーメリではニホン食材なんて何処へ行っても手に入らないからな。ばら寿司と同様にユウに焼きそばを作って貰えるのも、こういう機会だけだし」
「そういえば昔アリゾナに居た頃、駐在員の人が良く注文してましたね。
元の味は知らなかったんですが、涙を流しながら食べてる人も居ましたね」
ユウはゾーイの言葉を聞いて、修行先で遭遇した常連さんの感極まった表情を思い出していた。
「きっとその人にとっては、この味がソウルフードなんだろうな」
ノエルは盛り付けられたばら寿司を、レンゲを使って頬張る。
繊細な包丁の技術で細かく切られた寿司ネタは、酢飯にしっかりと馴染み口の中に旨味がしっかりと広がっていく。
「うわっ……美味しい!
何これっ?」
ばら寿司を生まれて初めて口にしたノエルは、その味に感嘆の声を上げる。
「ふふっ、気に入って貰えたみたいだね?」
「回転寿司は行った事がありますけど、この美味しさは別格ですね!」
「細かい寿司ネタは、それぞれ別の旨味があるからね。
まぁある意味、味をどんどん足していくばら寿司は反則技かな」
ユウの調理技術が高いとは聞いていたが、高度な職人技まで駆使できるのをノエルは知らなかったのであろう。
日頃から好感を感じているユウに対する評価が、この瞬間無限大に達したのは言うまでも無い事なのであった。
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