014.Moonchild Blues
「……はい、もしもし」
夜半寮に掛かってきた音声連絡を、エイミーは自室で受けていた。
小さな物音でも目を覚ましてしまうシリウスが不在にも関わらず、何故か彼女の声は抑え気味である。
それは普段この部屋に来る事は無いクーメルが、彼女の足下ですやすやと寝ているからであろう。
「エイミー、緊急連絡があるんだけど!」
「ああキャスパーさん、多分シンの件じゃないですか?」
「……やっぱり分かっちゃうんだな。
絆の深さが、羨ましい限りだよね」
SIDによってスピーカーの指向性が調整されているのか、お腹を見せて無防備な姿で眠るクーメルが目を覚ます気配は無い。
「それで連絡事項は?」
話が雑談に流れそうになったので、エイミーは単刀直入に催促を行う。
「うん。
シンが2週間遅れで母星に到着したから、再来週にはそっちに戻るって」
「そうですか……試練は無事に通過したんですね。
気を遣って連絡していただいて、有難うございました!」
「あれっ、もう切れちゃったよ。
なんか直接連絡を受けてるこっちより、たくさん情報を持ってるのはどうなのかな?」
恒星間通信機が設置された小部屋を出ながら、キャスパーは悔しそうな声色で呟いたのであった。
☆
珍しく近所の商店街とスーパーで買い物をしたノエルは、沢山のレジ袋をぶら下げて帰宅した。
相変わらず物が殆ど無い室内だが、先日搬入されたばかりの黒光りする電子ピアノが強い存在感を放っている。
殺風景なリビングとは対照的に、キッチンには厨房機器が潤沢に揃っている。
ノエルは小型の寸胴に浄水器から水をためると、ガス台で強火に掛ける。
タワーマンションにしては珍しい広い厨房ではガスが使えるので、電磁調理器とは比較にならない強火が使えるのである。
パスタを茹でる時のように大量の塩を投入したノエルは、タコ糸で縛った豚肉の塊を茹で始める。
本物のハムを作るならば事前にソミュール液に漬け込む必要があるが、塩茹の豚肉は日持ちしないにしても美味しく仕上げるのは可能である。
数十分後、適度に煮上がったばかりの豚肉を、トングで器用に押さえながらノエルはスライスしていく。
数枚の分厚い煮豚を用意出来たノエルは、焼き立てのバゲットに煮豚と分厚く切ったチーズを挟んでいく。
「うん。美味しい!
豚肉の質は、やっぱりニホンの方が高いんだな」
バゲットサンドをパリパリと音をたてて頬張りながら、ノエルは満足そうな表情を浮かべていたのであった。
☆
翌日のTokyoオフィス。
ユウに呼び出されたノエルは、リビングで彼女と歓談中である。
「これは抹茶のババロアですか?」
「『煉』って言って、葛粉とか澱粉を使って柔らかい触感に仕上げている和菓子なんだ。
通販出来ない本当の朝生菓子だから、遠慮なくどんどん食べてね」
現在フウが出張中のため、副司令待遇のユウはTokyoオフィスを離れる事が出来ない。
こういった状況では、彼女の秘匿された能力であるジャンプが絶大な威力を発揮する。予約品のお菓子の受取ならば、世界中何処でも一瞬で往復が可能なのだから。
「うわっ、ババロアよりも柔らかくてねっとりとしてますね……これは大人向けの味じゃないですか?」
銀座で受け取ったこのゲル状?のお菓子は、和菓子に慣れていないノエルには初めての食感であろう。
抹茶由来であるのを知っているので口にいれるのに躊躇いは無いが、もし他の色ならば食べるのに相当な覚悟が必要になりそうだ。
「大人向け……なるほど。
このお菓子、何故かうちのメンバーには不評なんだよね。
リクエストを出してきたアンはもう試食済みだし、残りも遠慮しないで食べちゃってね」
「不評なのが逆に意外ですね。
これは……ブラウンシュガーを沢山入れたエスプレッソとの組み合わせが絶妙かも」
「うん。
もう少し日持ちするなら、カーメリの連中には受けると思うんだけどね。
現状だとジャンプ以外の手段では、輸送不可能だからなぁ」
「あの……ジャンプって何ですか?」
「まぁそのうち体験するかも知れないけど、特殊な奥の手があるんだよね」
「はぁ……???」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「話を聞いてると、マリーの付き合いで食べてるのは濃い味の洋食系が多いみたいね」
「はい。
飽きちゃった訳では無いんですけど、昨日は自分でサンドイッチを作りましたよ」
「ああ、私も経験があるけど、此処だと美味しいサンドイッチ用のハムって手に入れるのが難しいんだよね」
「仕方がなく煮豚で代用しましたけど、美味しい豚肉はスーパーでも簡単に手に入るのに不思議ですよね」
「白ハムはニホンだと食べる人があんまり居ないからね。
定期配送便で仕入れた分を回してあげようか?」
「ああ、それは助かります!
個人宅に定期配送して貰うのは敷居が高いので、どうやって入手するか頭を抱えてたんですよ」
実はノエルは世界中にコネクションを持っているので、加工肉を税関を通さずに手に入れるのはそれほど難しく無い。だがそのルートは当然ながらかなりブラックなものなので、商社や代理店が存在する場合にはわざわざ利用するメリットが殆ど無いのである。
「密輸かぁ……確かノエル君は、兵站の専門家だったよね?」
「専門家というか、母親から押し付けられたというか。
物心付いた頃から、やっていた業務ではありますね」
「Tokyoオフィス経由の食材の仕入れは私が担当してるんだけど、最近は手が回らなくてね。
ノエル君に正式な仕事として手伝って欲しいんだけど、駄目かな?」
「……」
「多分君の交渉力とかコネクションが、とっても生きてくる仕事だと思うんだよね」
「ユウさんからのお願いでも、仕事となりますと即答できませんのでちょっと考えさせて貰えませんか?」
「ああ、急かすつもりは無いから。
たとえば、さっき言ってた白ハムなんかも、ニホンでは簡単に手に入らないでしょ?
逆に言うと、欧州の拠点では美味しい精米は手に入らないし」
「Congohの定期配送便のリストは拝見しましたけど、扱いの範囲が異常に広いですよね?」
「一旦リストに載れば細かい事務処理はSIDがやってくれるんだけど、新規開拓する商品やルートについては人手が無いと難しいんだよね」
「……」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
ユウとノエルの雑談は、リラックスした雰囲気で続いていた。
ここ数ヶ月分刻みで世界中を飛び回っていたユウとしては、かなり贅沢な時間の使い方と言えるだろう。
「まだ此処に来てから数ヶ月なんですけど、平和過ぎて逆に不安になる事があるんですよ」
ユウが用意した煎茶を気に入ったのか、ノエルは続けておかわりをしている。
大きめの湯呑みを手にしながらリラックスしているノエルは、ユウに気を許しているのか心情を含めたかなりプライベートな内容まで話している。
「先進国ではもっとも銃刀法が厳しい国だからね。
治安は確かに悪くは無いけど、繁華街には危ない場所も結構あるから油断しないようにね」
「ええ。
それに自分自身の危険に対する嗅覚が、鈍っているような気がするのはちょっと怖いですね」
「ああ、それは心配要らないと思うよ」
「???」
「確率の偏りが大きい人が、私達の身の回りには沢山居るからね。
トラブルは好き嫌いに関わらず必ずやってくるから、鈍っている暇は無いと思うよ」
「そういえばピアさんにも、似たような事を言われましたよ」
「あの人は、私達が想像出来ないような波乱万丈の人生を送って来たみたいだから。
エイミーに言わせると『屍の山が背後に見える』そうだよ」
「……」
「今の情勢なら、此処よりもフランスに居た方が平和に暮らせたかも知れないなぁ。
欧州には中華連合の残党や、黒服機関の連中も居ないし」
「……まるで僕も、吸い寄せられて此処に来たみたいですよね」
「う〜ん、そんな事ある訳無いって、言い切れないのが辛い所かも」
ユウの冗談とは思えない真顔の一言を、思わず神妙な表情で聞いてしまっているノエルなのであった。
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