012.Calling You
夜半の学園寮。
(……あらっ、妙に静かね?)
寝室にいつものシリウスの気配が無いのに気がついたエイミーは、瞬時に覚醒する。
シンが寮に居る場合には一緒にトレーニングしたり温泉に浸かっている事もあるが、夜半に一人だけで部屋を離れる事は殆ど無いからである。
(多分シリウスの居場所は……)
エイミーはエレベーターに乗り、真っ先に屋上に向かう。
以前シンが不在の際にも、何度も屋上で夜空を眺めているのを目撃していたからである。
「やっぱり。
……シリウス、どうしたの?」
瞬きもせず夜空を見上げて立っている彼女は、可視領域を超越して『何か』を捉えているようにも見える。
理屈では何も見えていない筈なのだが、エイミーの持っている普通で無い能力がそれに異を唱えている。
「バウッ!バウッ!」
シリウスは尖った鼻面を、中天に向けて位置を指し示す。
その意味は、どう見てもシンが其処に居るというアピールなのだろう。
「あれは、双子座の辺りね。
気持ちは分かるけど、シンはまだ帰らないわよ」
「バウッ!バウッ!」
「うん。寂しいのは私も一緒よ。
さぁ、お部屋に戻りましょう」
エイミーはシリウスの首筋を一撫ですると、エレベーターへ入るように彼女を促す。
「……」
屋上から降下するエレベーターの扉が閉まるまで、シリウスは名残惜しそうに視線を夜空に向けていたのであった。
☆
都内某所の研究施設。
「あれっ、トーコじゃなくてエイミーが連れて来るなんて珍しいね」
同行して来たエイミーから離れ、シリウスはナナに組み付いて彼女の口元を舐め回す。
それは飼い犬としては当たり前の愛情表現だが、シリウスは普段シンに対してもこういう無防備な姿を見せる事は無い。
「事前連絡してあった通り、シリウスの定期検診をお願いしようと思いまして」
「ああ、なるほど。
ノーナのお使いで、シンは長期出張中なんだよね」
シリウスを床に転がせて、ナナはかなり強い力で彼女の全身を撫で回している。
普段のクールな態度とは打って変わって、彼女はエイミーも見たことが無い満面の笑みを浮かべている。
「はい。
以前よりはシンの不在を我慢できるようになったんですが、もうそろそろ2週間なので」
「成長して以前ほどでは無くても、やっぱり情緒不安定になっちゃうんだろうな」
床で無防備な子犬の様にお腹を見せているシリウスは、エイミーが聞いた事が無い甘えた声を上げている。
「……はい。
シンが不在の寮に居るよりも、暫くナナさんに預かって貰ったほうが良いかと思いまして」
久しぶりの再会に興奮気味だったシリウスは、ナナの太腿に頭を載せロングソファーで漸く落ち着いている。
ここ数週間情緒不安定だったのが、まるで嘘のようなリラックス具合である。
「了解。
今は忙しくないから、2週間後に連れ戻しに来てくれるかな?
それまで検診も含めて、預かるから」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
翌日。
「あれっ、何でシリウスが此処に居るんですか?」
学園指定の定期検診に訪れていたノエルは、見慣れたシリウスの姿に吃驚している。
施設の中を自由に歩きまわっているシリウスは、ノエルは知らないがいつもの落ち着いた様子に戻っている。
「今シンが出張中だから、里帰り。
なんたって、この子の育ての親は私だからね」
えっへんという声が聞こえそうなナナは、何故かノエルの前では口数が多くなるようだ。
「へえっ、それは意外ですね。
ドクターは、てっきり動物嫌いかと思ってましたよ」
「それは、良く言われるけどね。
そうだ、検診ももう終わったからご飯を食べていかない?」
社交性というものが著しく欠如している彼女のこの台詞は、実の娘であるアンが聞いたなら絶対に耳を疑うだろう。
「ええっ、料理は一切しないって聞いてましたけど?」
「周りは皆そう思ってるけど、そんなに料理下手じゃないんだよね」
この施設は一般の病院とは違うので、今日はノエル以外に外来患者は居ない。
検査用の患者服から私服に着替えたノエルを伴って、ナナは煩雑に書類が積み上げられた自分の研究室にシンを案内する。
応接セット以外は足の踏み場も無いカオス状態だが、強力な空調のお陰なのか埃っぽさは感じない。
Tokyoオフィスや寮でも使われている給仕用のワゴンには、大きな寸胴と炊飯ジャーが載っている。
「なるほど。
バゲットを買って来てというのは、此処に繋がるんですね」
「うん、君が白米嫌いだと困るからね」
ナナはかなり大きな平皿に炊きたてのご飯を盛り付けると、その上にチリをしっかりと盛っていく。
シリウスの前にコトリと皿を置くと、彼女はナナの顔をしっかりと見つめて合図を待っているようだ。
「よし!」
シリウスにとっては、食べ慣れた味なのだろう。
大きな尻尾をブンブンと振りながら、凄い勢いで皿が空になっていく。
「あれっ、意外と……いやかなり美味しいですね。
濃度が高めなのは、ご飯と一緒に食べるからですね」
持参したバゲットでは無く、シリウスと同じ白米を盛り付けたチリをノエルはしっかりと味わっている。
ギドニービーンズが大量に使われたチリは、辛いだけでは無くしっかりと旨味成分が感じられるニホン人好み?の味付けになっている。
「そうだろ?この料理だけは、アイも褒めてくれるんだよね。
炭水化物をと一緒に食べていれば、栄養失調にならない完全食だからね」
「ははぁ、やはりそういうオチでしたか。
うちの母親も作り置きして、同じものを何回も出すタイプでしたからね」
ノエルが予想した通り、巨大な寸胴に仕込んであるのは数日分用の作り置きなのだろう。
「でも……彼女が居ないのは、寂しいなぁ。
何度も大怪我を治療したし、君が生まれた時にも現地で立ち会ったんだよね」
ノエルの母親について言及するナナは、スプーンを持った手を止めて遠い目をしている。
「それは……知りませんでした。
でも寂しいって言ってもらえて、母は大喜びしてると思いますよ」
「そりゃぁ、彼女の知り合いは全員、寂しいって思ってるだろう?
メトセラの司令官クラスでも、彼女くらいカリスマ性がある指揮官は滅多に居ないからね」
「そうは言っても、残された我々は日々年を取ってますからね。
それに最近は宗教絡みの紛争ばかりで、正義がどこにあるかなんて誰も気にしてませんよ」
「世知辛いなぁ……それで部隊を整理する気になったのかい?」
「ええ。
僕は母さんほどのカリスマは持っていませんし、傭兵部隊としては潮時だと思います」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「ところで、人間が食べるものをそのまま与えて大丈夫なんですか?」
2杯目を食べ終えたシリウスは漸く満腹になったようだが、ナナが冷蔵庫から取り出したバルクのジェラートに気が付いたようで目線をしっかりとロックオンしている。
「この子は特別なんだ。
陸戦に同行してアシストするように作られたK9だから、人間とほぼ同じ消化メカニズムと味覚を持ってるんだよ」
深皿にたっぷりと盛り付けられたジェラートを前にして、シリウスは先程と違いすぐに長い舌でジェラートを舐め始める。
「ノッチョーラ!これはアンさんが経営する店のジェラートですね。
シンさんに育てられてるなら、シリウスは僕よりもずっとグルメなのかも知れませんね」
小さなデザート皿に盛られたジェラートを、ノエルはゆっくりと味わっている。
「グルメなだけじゃなくて、彼女に勝てる陸上生物はこの惑星には居ないと思うけどね」
「こんなに小さくて穏やかで、人懐っこいのに?」
「まぁ今となってはシンが傷つけられるという可能性はほぼゼロだから、そういう事態は起きないと思うけどね」
地上最強と評されたシリウスは、まるでアイスが好きな乳幼児のように少しづつジェラートを舐めとっている。ヘーゼルナッツがたっぷり入ったこのジェラートは、イタリアでも万人に愛されているフレーバーである。
「確かに僕よりも、遥かに味が分かっているような気がしますね」
「バウッ、バウッ!」
「ははは、当たり前の事を言うなってさ。
この子も逞しく育ってるなぁ」
親族には例外無く嫌われているナナは、まるで孫に向けるような優しい目をノエルに向けているのであった。
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