011.There Will Be A Day
夜半のTokyoオフィス。
「ノエル君が私に会いに来てくれるなんて、嬉しいわね」
「僕は初対面から、ユウさんのファンですから。
それに僕の愚痴を聞いてくれそうな人は、他に居ませんし」
「愚痴を溢すなんて、君には似合わないわよ。
それにピアさんが保護者だって、聞いてるけど?」
「後ろ盾になって貰って感謝してますけど、弱音を見せれる相手では無いですね。
余計な一言で、怒られちゃいそうですし」
冷蔵庫から見繕った余り物を、ユウは会話をしながらテーブルに並べていく。
Tokyoオフィスでは時間外で食事をするメンバーも多いので、作り置きしている副菜も豊富なのである。
「まるで居酒屋メニューみたいに、種類がありますね」
料理屋のような葉物野菜の飾りは無いが、小鉢だけでは無くボリュームがある唐揚げやピッザの皿も並んでいる。
作り置きを前提としているメニューはレンジで再加熱していないが、揚げ物や焼き物は微かに湯気が立っている。
「昨日は急遽マリーに試食のお呼びが掛かったから、余り物が多くていつもよりも品数は多いかな。
ケイさんやパピと此処で飲む機会も多いから、いつでもこれ位は用意できないと」
「どれも美味しそうですね。
此処に、引っ越して来たくなります」
「ふふふ、ノエル君はお世話のし甲斐がありそうで嬉しいかも。
君には悪いけど、どうも私から見ると可愛い甥っ子を見てる感覚なのよね。
レイさんに似てるのが、主な理由なのだけれど」
「はぁ……そんなに似てるんですかね。
この間アイさんに会った時には、容姿は似てないって言われましたけど」
「母さんは、長い間レイさんと一緒に暮らしてたからね。
君の反応も、事前に良く分かってたんじゃないかしら」
「それでユウさん自身は、レイさんとかなり親しいんですか?」
「私は父親とは離れて育ったから、レイさんが年が離れた兄代わりだったかな。
空軍の休暇の時に会いに来てくれると、とっても嬉しかったんだよね」
「僕にはそういう親戚に関する思い出が無いので、羨ましいです。
亡くなった母は父親の事は詳しく説明してくれませんでしたし、居ないものとして育ちましたから」
「いまさら会いたくも無いって感じなのかな?」
「いえ。そんな事はありませんけど。
どう接して良いかわからないというのが、本音ですかね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「やっと母さんが集めたメンバーに、ほんの少しですけど恩返しが出来て。
言うならば子供の頃から可愛がってくれたあの人達が、僕の父親代わりだったかも知れません」
旺盛な食欲でつまみを食べながら、ノエルはユウに作って貰ったハイボールを少しづつ口にしている。
強い蒸留酒はフウに見つかると怒られてしまいそうだが、かなりアルコール耐性が高いノエルは顔色も全く変わっていない。
「ああ、なるほど。
それで、今でも戦場の空気を懐かしく思う事ってあるのかな?」
ユウは珍味系のつまみを少しづつ味わいながら、濃い目のハイボールを早いピッチで煽っている。
「全くありませんね。
空防を離れたユウさんは、どうですか?」
「う〜ん。
今でもジェットに乗る機会はあるけど、コックピットに戻ってきたという感慨は無いかな。
ただ……」
「?」
「部隊のパイロットの中で私だけが生き残ったという事実は忘れられないし、絶対に空では死ねないという思いはあるかも」
「空では死ねないかぁ……その台詞格好良いですね。
僕にとって普通の生活というのは、自分の人生を取り戻したという意味があるのかも知れません。
平和ボケして鈍って来たという、恐ろしい実感もありますけど」
「ははは。
でもSATとの演習では、ぜんぜん鈍ってない所を披露したと思うけど?
ケイさんも、今後も参加をお願いしたいって言ってたよ」
「ああ、それは嬉しいですね。
喜んで参加させて貰うと、伝えておいて貰えますか?」
控えめに微笑むノエルのその表情に、ユウは確かにレイと同じ雰囲気を感じたのであった。
☆
翌日、ギンザの某所。
「私に買い物に付き合って欲しいなんて、珍しいわね?」
イケブクロから地下鉄で到着した二人は、地下街を通って4丁目交差点に立っていた。
タルサは何度か来たことがあるが、ノエルにとっては初めてのギンザである。
「此処の雰囲気は、五番街に似てますね。
普段は人に相談なんかしないんですけど、楽器の場合は違いますから」
「楽器かぁ。
もしかして、グランド・ピアノでも購入するつもりなのかな?」
「タワーマンションの防音はかなりルーズで床荷重に制限があるので、電子ピアノのハイエンド・モデルを買おうと思ってます。
それに突然居なくなった場合に、高級なグランド・ピアノとかが置き去りにされてると始末に困りますよね?」
「突然居なくなる気があるの?」
「いいえ。
ただし治安が良いこの国でも、事故とかテロに巻き込まれたりとか可能性は無いとは言えないですよね?」
「君がその程度で、くたばるなんて想像も出来ないけどね。
巨大隕石が落ちてきても、君だけは生き残りそうな気がするけど」
「恐竜より僕は頑丈って事ですか?
……でも僕は自分の楽器という奴を持った事が無いので、できれば妥協しないで良いのが欲しいんですよね」
「まぁ経済力は兎も角、君の年齢だと此処のショールームじゃ門前払いされそうだものね」
到着したビルは、ニホン有数の楽器メーカーが所有するショールームである。
エレベーターで5階に到着すると、ノエルは物怖じせずに店員さんに試奏を願い出る。ノエルの希望の機種を聞き出した店員さんは、展示してあるデモ機まで案内をしてくれる。
「電源を入れましたので、すぐに試奏できます。
疑問点がありましたら、お呼び下さい」
ノエルのニホン人離れした容姿が効果を発揮したのか、店員さんは一礼して試奏の邪魔にならないようにフロアの別の場所に去っていく。事前に操作マニュアルに目を通していたのか、ノエルはプリセットの音色を選択していきなり試奏を始めたのであった。
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4丁目交差点に近い飲食店。
ノエルは買い物に付き合わせたタルサにご馳走するために、ショールームにほど近い老舗の洋食屋に来ていた。
高級というよりも歴史を感じさせる内装は、過美では無くオールドファッションな落ち着いた雰囲気である。
「妥協しないって言ってた割には、購入を決めるまでずいぶんと早かったわね」
案内された二人掛けテーブルに腰を下ろしたタルサは、ノエルに感心したような表情である。
試奏を数分行っただけで、ノエルがいきなり購入を決めたのには店員さんもかなり驚いていたようだ。
「これが●タインウエイなら、何日か考えたんでしょうけど。
あのショールームの会社のグランド・ピアノは、欧州で良く弾いてましたからね」
「それで、良くこんなお店を知ってたわね?」
「ああ、この間ユウさんに教わったんですよ。
ニホンでも老舗の洋食屋さんで、どれを選んでもハズレが無いって聞いてますから」
二人分としては過剰な品数のオーダーを済ませたノエルは、先に運ばれてきたハウスワインをタルサのグラスに注いでいる。
「すっきりとした味のハウスワインね。
あら、揚げ物が美味しそう!」
貫禄があるウエイターさんが配膳してくれた皿は、揚げ物がしっかりと湯気を立てている。
「寮では、こんな感じの洋食は食べないんですか?」
「揚げ物は、カツカレーの具材として食べるのが殆どね。
シンがメインで作るのは、野菜をしっかりと採れる中華料理が多いかな」
サクサクとした音を立てながら、タルサはチキンカツを頬張っている。
老舗だけあってカトラリーが当たり前の様にセッティングされているが、近くのテーブルでは箸を使って食べている年配のお客さんも居る。
此処はユウから聞いていた通り、老舗ながらも敷居が低く万人に愛されている店なのであろう。
「近所の定食屋さんよりは割高ですけど、此処は居心地が良い店ですね。
ニホンはこういう店が多いから、姐さんも離れたくないんでしょう」
「そういう君も、かなりニホンを気に入ってるよね?」
「ええ。
治安の良さだけじゃなくて、此処は確かに居心地が良いですよね」
「私達メトセラは、生粋のコスモポリタンだけど。
やっぱり居心地が良い場所に、集まって来ちゃうのかも」
彼女の何気ない一言は、ノエルの心の奥底にしっかりと響いていたのであった。
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