010.Peace on Earth
翌週、都内某所のリハーサル・スタジオ。
タルサに同行してきたノエルは、セッションの纏め役であるタケさんと待合室で面談をしていた。
「タルサ、この子がシンの妹さん?
エイミーちゃん以外にも妹が居たんだ」
「タケさん、妹じゃなくてこの間電話で話した男の子です。
ノエル、タケさんにご挨拶してくれる?」
「……ピアノ弾きのノエルです。
ニホン語はまだ苦手ですが、宜しくお願いします」
「うわぁ、声も綺麗だなぁ。
髪の毛もサラサラだし、街を歩いているとアイドルとかモデルとしてスカウトされそうだね」
新人のプロデュースや発掘も行っているタケさんは、職業意識がつい出てしまった様だ。
「タケさん、ノエルは女性寄りの髪型で可愛らしいですけど『男の娘』じゃありませんからね。
繁華街を歩くとスカウトにしつこく声を掛けられるので、本人はかなり迷惑してるみたいですよ」
「なるほど。その辺りは、顔を売る事に無関心なシンと同じなのかな。
でもタルサに連れられて来たという事は、演奏するのは好きなんだよね?」
「はい!もちろんです」
「シンの弟分みたいな立場の子で、音楽的な才能は遜色ないと思います。
年齢的にはかなり下ですけど、80年代の音楽にも詳しいですし」
「バークレー主席卒業のタルサがそこまで言うなら、一緒にセッションしても問題ないかな」
「ノエル君、シンと同じで何かレイにも似てるよね?
もしかして、レイの隠し子だったりして」
レイと特に親しいヌマさんは、ノエルとシンの共通点にいち早く気がついているようだ。
セッションメンバーの間ではレイは20代後半の年齢で通っているので『隠し子』というのはあくまでも冗談なのだが、ノエルは気を悪くした様子も見せずに笑顔で返答する。
「隠し子というのは兎も角、似ているというのはTokyoに来てから頻繁に言われます。
それで、そこにあるピアノを弾いてみて良いですか?」
リハーサルルーム備品のピアノは、ノエルが殆ど触った事が無い●タインウェイである。
欧州でも言わずと知れた銘器なので、ノエルが出入りしていた安ホテルのロビーや酒場に置かれている事が無い超高級品である。
「もちろん!」
ノエルはウォームアップのつもりなのか、特徴的なメロディを弾き始める。
先程のタルサの発言に倣ったのか、80年代の米帝のヒット曲である。
♪The Way It Is♪
ノエルが奏でるリフのブレイクに合わせて、ドラムスのヌマさんが急遽ドラムセットに腰掛けてリズムを刻み始める。
そこへタルサが、特徴的な音色のハイフレットのベースラインをかぶせていく。
♪〜♪
シンプルなリフが打ち合わせ無しに完璧なアンサンブルに変化し、ノエルは演奏しながら満面の笑みを浮かべている。
リズムマシン相手では得られないバンドとしての音楽が、即興で出来上がっているのである。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「どんな曲でも即興で合わせられるなんて、皆さん凄い腕前なんですね!」
近所の居酒屋に場所を変えた打ち上げは、ノエルの参加に釣られたのかかなりの盛況である。
シンの弟分と紹介された謎の美少年に、セッション参加者は興味津々なのであろう。
「いや、ノエル君はその年齢で凄い古いヒット曲も知ってるんだね。
ビックリだよ」
真横に座ったタケさんの、ノエルを見る目は柔らかく優しい。
年齢的に自分の子供に近いので、どうしても父親としての目線になってしまうのだろう。
「ああ、僕の場合は酒場で小銭を稼ぐのに必要だったんで、インターネットラジオのクラッシック・ロックを聞いて覚えたんです」
ノエルは飲みなれたビールでは無く、『ホッピーの外』だけが入ったジョッキを持っている。
これはユウから教わった飲み方で、ノンアルビールが無い店で未成年者として飲酒を通報されないための必要な対策である。
尤も落ち着いた立ち振舞のノエルは童顔の女性客にも見えるので、通報される心配は殆ど無いのであるが。
「ニホン食にも、全く抵抗が無いみたいだね」
冷酒をちびちびと飲みながら、タケさんは刺し身の盛り合わせを頬張っている。
セッション参加者は平均年齢が高いので、和食や珍味系のメニューが沢山並んでいるのは当然であろう。
「はい。ニホンに来てから、嫌いな食べ物は全く無いですね」
上達した綺麗な箸使いで、ノエルはおつまみの珍味系メニューを次々と口に運んでいる。
「豆腐ようとか、塩辛も平気なんだね。
ニホン人でも苦手な人が多いのに、すごいね」
「こういう発酵食品は大好きなんです。
母さんがシュールストレミングが好物だったんで、子供の頃から食べてましたし」
「ああ、そういえばユウ君も同じような事を言ってたなぁ。
ユウは地球上で食べれない食品は無いって、エイミーちゃんも言ってたもの」
「ユウさんの母君は高名な料理研究家ですから、子供の頃からスパルタ教育されたと聞いています。
でもニホンの『イナゴ』とか『はちのこ』は、見掛けはともかくとっても美味しいですよね」
「……物怖じしない度胸は、ノエル君の場合はやっぱり小さい頃からの教育なんだね」
タケさんは無意識に自分の子供と比較したのだろうか、小さくため息をついたのであった。
☆
深夜のノエルの自宅。
ノエルは愛用のラップトップとスピーカーフォンを使って、スカイプ経由で会話をしている。
室内は照明を落としているので、夜景の微かな明かりとラップトップのバックライトがぼんやりと室内を照らしている。
「ノエル、前回の送金してくれた分で、全員の退職金を配布完了出来たよ。
領収書は、まとめてF●DEXで送ったから」
「面倒かけて申し訳無いです。
これでようやく、母さんに顔向けできるかな」
今日ノエルの手に握られているのはいつもの黒い缶ビールでは無く、レモン味のストロングチューハイである。
Tokyoオフィスの夕食に同席した際に生レモンチューハイを気に入ったノエルは、マリーから愛飲しているブランドを教えて貰ったのである。
「でも破格の金額だから、身を持ち崩す奴も居そうだけどね」
「ははは。それこそ自己責任でしょう。
傭兵稼業を辞めて再出発する為の資金としては、必要十分な額じゃないですか?」
レモン味のチューハイのお供は、もちろんお馴染みの柿の種である。
今日はレモン味に合わせてわさび風味を選んだので、小袋が瞬く間に空になっていく。
「ノエルは、もうこっちに戻る気は無いんだろ?」
上機嫌で柿の種を頬張る様子が見えた訳では無いだろうが、電話口の相手はノエルの現状がなんとなく分かっているようだ。
「うん。
これからはチームじゃなくて、自分の事だけを考えて生きていくつもり。
この国には母さんの知り合いが大勢居るし、なにより治安が良くて居心地も悪くないしね」
「まぁピンチになったら、呼び出してくれや。
もっともそうなっているノエルは、想像できないけどな」
「うん、ありがとう!
A la Prochaine」
飲みかけの缶チューハイを手にとったノエルは、ログアウトしたスカイプの画面に乾杯するように残りを一気に飲み干したのであった。
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