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009.More Than Anything

 寮の夕食。


「あれっ、うっすらと湯気が見える!焼き立てなの?」


 エイミーが運んできたワゴンを見たマイラが、思わず声を上げる。

 大きな寸胴の横に置かれた木製トレイには、湯気が立ち上る数本のバゲットが置かれている。


「此処のパンは、ご近所のブーランジェリーから仕入れてるって聞きましたけど?」


 多忙なエイミーが焼き立てのバゲットを用意したのが意外だったのか、今度はノエルが声を上げている。

 フランスで育った彼は、ブーランジェリーの職人が夜明け前からバゲットを焼くために長時間労働をしているのを知っているからであろう。


「アイさんがデッキオーブンで焼いてくれた分なんで、私は何のお手伝いもしてないんですよ」

 ワゴンを押しているエイミーが、テンションが上がっているマイラとノエルに説明する。


「今日のこれは、味見用かな。

 普段は近所で調達した既製品を食べてても、エイミーには本場のバゲットの味も知っておいて欲しいからね。シンが居るなら直接パリで買ってきて貰うんだけど、不在だから私が焼いてみせた方が味を再現できるから」


 アイは寮のメンバーに説明しながら、焼き立てのバゲットをカットしてバスケットに移していく。

 切り口から盛大に湯気が上がる事は無いが、まだ表面にはしっかりと粗熱が残っているようだ。


「うん!

 いつものフランスパンも美味しいけど、焼き立てはやっぱり違うね」

 真っ先に手を伸ばしたルーは、一口齧ると感心したように声を上げる。


「うわぁ、歯ごたえがあって美味しい!」

 小さな口に目一杯頬張ったマイラも、アイが焼いたバゲットを気に入ったようだ。


「……」

 リラは生まれて初めて食べた本場のバゲットを、無我夢中で齧っている。アラスカベースでもパン類はすべて自家製だが、やはりアイが作った出来たての一品は別格なのであろう。


「うん、この気泡とクラムの弾力!

 僕にとってはすごく懐かしい、ご近所のブーランジェリーの味ですね」

 普段は無言で食べるノエルも、懐かしい味に思わず口数が多くなったようだ。


「これは正統派のバゲットだけど、ニホンに来てから好みは変わってきてるんじゃない?」

 アイはバゲットを絶賛しているノエルに、ちょっと意地悪そうな口調で尋ねる。


「たぶん……いや、そうかも知れませんね。

 Tokyoの街のパン屋さんは目移りする位種類があって驚きましたし、どれも美味しいんですよね」


 コンビニの調理パンは言うに及ばず、ノエルが街に溢れている多種多様なパンに驚いているのは確かである。パリのブーランジェリーはまず大量のバゲットを早朝から焼かないと商売にならないので、同じ店頭に少量多品種の調理パンを並べるなどまず不可能なのである。


「シンもニホンに来てから、パンについては嗜好が変わったって言ってたもの。

 食べ物は国や地域によって流行り廃りがあるし、パリのバゲットの味ですら少しづつ変わって来てるからね。

 今焼いたこのバゲットも、私が幼い頃よりはかなり柔らかく焼き上げているし」


「ああ、母もそんな事を言っていた記憶があります。

 でも彼女は中身が白い焼き上がりだと、店主に必ず文句を言ってましたね」


「ふふふ。あの子らしいわね」


「ローマ時代のパンは、硬かったんでしょ?」

 学園の世界史の授業で現在ローマの文化を学んでいるマイラは、アイに尋ねる。


「こらマイラ、私はそこまで長生きしてないぞ!」


「へへっ、ゴメンナサイ」


 マイラの可愛らしく下を出した姿に、一同は大笑いしたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「ところでエイミー、今日の『牛肉の赤ワイン煮』はかなり良い出来栄えね。

 シンが調理したのと、ほとんど区別が付かないわ」


「この料理はフランスで一回食べただけなので、シンが作ってくれた分が私のお手本ですから」


「ノエルはどう?あなたは食べ慣れてるメニューじゃないの?」


「はい。でも母さんが作ってくれた分は、正直こんなに美味しく無かったです」


「シチュー料理では、これが一番好きかも!」

 濃い目ではっきりとした味が好きなマイラは、『牛肉の赤ワイン煮』をかなり気に入っているようだ。


「エイミー、バゲットがもう無いから白ご飯が欲しいな」

 空になったバスケットを示しながら、ルーがリクエストする。

 アイがデッキオーブンで目一杯焼いてくれたバゲットは、一切れも残らず無くなっている。


「もちろん炊いてありますよ。炊飯ジャーを持ってきますね」


「あっ、私もご飯が欲しいです」

「わたしも!」


 寮のメンバーは元々白ご飯が大好きなので、業務用の炊飯ジャーは毎日フル稼働しているのである。


「この濃い味は、カレーと一緒で炭水化物との相性が良いのよね。

 でもスネ肉よりも、ヒレの量が多いなんて随分と贅沢な使い方をしてるのね?」


「それは……シンが不在で牛肉を余らせちゃったので、煮込みに使ったんです」

 ルーの特大丼にご飯を盛り付けながら、エイミーはアイに白状する。

 何事にも完璧を求める彼女としては、珍しい失敗なのだろう。


「料理の腕前は上がってるけど、在庫管理はまだまだみたいね」


「はい。

 帰ってきたらシンに教わって、精進します」



                 ☆



 昼食時の学園のカフェテリア。


 ノエルとの形ばかりの授業を終えたタルサは、二人で日替わりのランチメニューを食べていた。

 本来ならばピアノ演奏に関するカリキュラムなのだが、現実的にはタルサのベースに合わせてセッションをしている時間が殆どなのであるが。


「これは……単純なカレーピラフみたいだけど滅茶苦茶美味しいね!」


 日替わりは一見すると長粒米を使ったシンプルなピラフに見えるが、味わってみると複雑なスパイスが効いている濃淡がある絶妙な仕上がりになっている。


「ああ、多分これはインド料理の『ビリヤニ』じゃないですか?

 パキスタン出身の料理人が作ったのを、中東で食べた事がありますよ」


 最近常駐するようになった担当コックは、メトセラ特有の国籍不明な容姿の女性である。

 ユウはキッチンで親しげに話をしているので、彼女とは以前からの知り合いなのであろう。


「それで、私の授業はためになってる?」


「ええ、もちろん。

 僕はレヴェルの高いバンド演奏の経験が無いので、リズムマシンとベースがあるだけでとっても楽しいです」

 

「う〜ん。

 いつも二人で演奏していても煮詰まっちゃうから、来週はもうちょっと大人数でやろうか?」


「???」


「シンさんの仲間が集まる定期セッションがあるから、一緒に参加してみない?」


「それは……僕が明らかに場違いじゃないですか?

 参加されているのは、一線級のプロの方々なんでしょう?」


「ノエルの演奏技術なら問題無いと思うけど、貴方の場合は別の意味で目を付けられる可能性があるかも」


「?」


「シンの場合は実年齢より大人びて見えるから大丈夫だったけど、ノエルの場合は中身とのギャップが大きいからね」


「??」


「まぁ無理強いしてくる粘着質の人は居ないから、大丈夫だと思うけど。

 ニホンのショービズの世界も、ハラスメントが酷いみたいだからね」


「……」


「腹が立っても、いきなり『キュッ』としたり『バラバラ』にしちゃ駄目だよ!」


「もしかして、トーコさんから余計な事を聞いてませんか?」


「ううん。別に」

 含み笑いをしているタルサに、何も言い返せないノエルなのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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