006.Better Man
雫谷学園に在籍しているノエルは、まだ履修登録を殆どしていない。
現時点では体育(軍隊格闘技)と音楽(ピアノ演奏)のみを登録しているので、授業の履修は週2コマのみである。
最優先事項であるニホン語の自習は順調に進んでいるので、最近は空いている時間は散策して日常会話の機会を自主的に増やしている。もともとマリーと知り合ったのも街歩きの際の偶然なのだが、最近は彼女からの呼び出しで一緒に食べ歩きをする機会も増えている。
☆
夜明け前のTokyoオフィス。
散策の延長である日帰りのツーリングに出掛けるトーコとノエルが、駐車スペースで暖気中のバイクを前に雑談をしている。寮生の中では最も社交性に乏しいトーコであるが、何故かノエルとは短期間で仲良くなり一緒にツーリングに行く事になったのである。
ちなみにトーコの愛車はいつもの赤いイタ車だが、ノエルがピアから借りた銀色のクルーザーは排気量が1.3リッターVツインのワコー技研製である。
「ねぇ、ノエルって本当に男の子なの?」
朝食抜きだったトーコは、犬塚製薬特注のエナジーメイトを口に含んでいる。
パウチ一つを完飲すると今日一日分のカロリーが採れてしまうので、彼女は半分を残してポケットに仕舞っている。飲み干したとしても胃袋が膨れる訳では無いが、空腹を丸一日感じなくなるのは確実である。
「はい。
なんなら一緒に温泉に入って、確認しますか?」
まるでトーコをからかっているような台詞だが、残念ながらノエルはまだニホン語に微妙なニュアンスを込められるまでに上達していない。
「ううん、また鼻血を吹いて倒れそうだから遠慮しておく。
でも普通に女の子が好きなんだよね?」
「それが、自分でも良く分からないんですよね。
LGBTでは無いと、あの変わった医者は診断してくれたんですけど」
「でもユウさんと一緒に居ると、ノエルは何だか嬉しそうだよね」
「ええ、わかります?
僕は母親ベッタリで育てられたんで、年上の凛々しい女性には弱いんですよね」
「まぁそれを言うと、シンもかなりのマザコンだからね。
年上の偉い女性には、頭が上がらないし」
「ええっ!あの人がマザコンなんて、絶対に嘘だと思います!」
「ノエルは、シンの事はあまり分かっていないみたい」
「???」
「私は男の子が苦手なんだけど、ノエルと居ると全然緊張しないのよね。
ねぇ、そのバイク幾らなんでも大きすぎない?」
ワコー技研が米国向けに生産しているこのバイクは、銀色のフレームや流線型のタンクが美しい大型クルーザーである。和光技研のロゴマークも小さく目立たない位置に付いているので、一見手の込んだカスタムバイクにしか見えないであろう。
「そうですか?
ハンドルバーは長いタイプにカスタマイズしてありますし、足つきもバッチリですよ」
「なんか映画のヒロインみたいで、格好良いのは認めるけど。
まぁ日中に走るなら、大丈夫かな」
「治安が良いニホンで、暴走族が居るっていうのも不思議な感じがしますけど」
「でも本来ならば、免許を取れる年齢じゃないよね?」
「車もそうですけど、非常事態では自分で運転できないと生死に関わりますから。
当時から偽造免許は携帯していましたし」
「ノエルに交付された免許は、年齢の虚偽記載があるけど本物だからね。
まぁ小柄な女性ライダーでも、ハーレーとかに載っている人もいるから大丈夫でしょ」
まだ日の出前で周囲は真っ暗だが、トーコはゆっくりとバイクをスタートさせたのであった。
☆
「此処ってTripeの店なんですよね?」
グンマの峠道で、トーコは大きな駐車場があるドライブイン?にバイクを停車させる。
もちろんニホンで遠出の経験が乏しいノエルは、ドライブインを利用した経験も無いのであろう。開店直後らしく車は数台停まっているが、行列は無く店内にはまだ若干空席があるようだ。
「うん。ロードサイドにある専門店では、かなり有名なんだよ」
「でもTripeの、独特な匂いがしませんね?」
「ニホンのもつ料理は丁寧に処理されてるから、米帝のチタリングみたいな(臭い)店は無いんじゃないのかな?」
トーコは匂いというキーワードで、シンから聞いた事がある、テキサスのソウルフードについて思い出したのだろう。
慣れた様子でカウンターに座ったトーコは、お勧めが書かれているホワイトボードには目もくれずに注文を行う。
「もつ大の定食を2つ」
「ご飯は並盛りで大丈夫?」
店のおばちゃんは、小柄な二人連れにライスの量についていつもの口調で確認する。
「はい。空腹なんで大丈夫です」
「……はい。もつ大の定食2つお待ちどうさま!」
間髪入れずに配膳された定食は、並盛りでもご飯はかなりのボリュームである。
「あっノエル、この店ではトレイは縦に置くんだよ」
「???」
ここでトーコはカウンターに置いてある大きな七味入れを、無造作にモツ煮に振りかける。
ノエルはトーコに倣って七味を手に取るが、手の甲で辛味を確認してから少しづつ加えている。
多分他の食堂で、調味料を掛けすぎて失敗した経験があるのだろう。
「どう、美味しいでしょ?」
「はい。
味は濃い目ですけど、とっても美味しいですね!」
ノエルは後から加えた七味が気に入ったようで、しっかりとご飯が進んでいる。
箸使いはまたたどたどしいが、周りのお客もこの店では珍しい外国人の食べっぷりに感心しているようである。
「モツ煮以外のご飯とか味噌汁は、須田食堂の方がぜんぜん美味しいんだけどね」
「……」
小声のトーコの辛口評価に、小さく頷いているノエルなのであった。
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食後。
ツーリングを再開した2人だが、懸念していた田舎の暴走族からお約束のちょっかいを受けていた。
目立つバイクを運転している女性?らしい2人が、タンデムで田舎道を走っているとやはり目立つのであろう。
「あの後ろからしつこく煽ってる変な車が、朝言ってた暴走族ですか?」
ヘルメットに内蔵されたインカムで、ノエルはトーコに尋ねる。
「うん。この辺りの道路は監視カメラが多いから、まだ手を出しちゃ駄目だよ」
「了解。暫く我慢しましょうか」
「それにしても煽り方が悪質だよね。
これは常習犯なのは間違い無いかな」
「……よし、高解像度のカメラが無いからこの辺りなら大丈夫でしょう」
「えっ、何をする気?
ハンドガンとかぶっ放しちゃ駄目だよ」
ノエルがクラッチペダルから離した左手首を振ると、トーコのバックミラーにおかしな光景が映る。
出っ歯のように不格好なエアロパーツやボンネット、サイドパネル、ドアパネルが、はじけ飛ぶように走行中の改造車から続けざまに脱落していく。
ほとんどシャーシだけになった車は惰性でまだ走行しているが、外れたフロントガラスに乗り上げた振動でエンジン周りのパーツがボロボロと剥がれていき、ここでようやく車が停車する。
周囲に大量の鉄屑をばらまいたドライバーは、茫然自失の状態でシートベルトをしたまま固まっている。
「WOW!まるでDVDで見たドリフのコントみたいだね!」
「???」
インカムから聞こえてくるトーコの弾んだ声に、意味は分からないが微かな笑みを浮かべたノエルなのであった。
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