003.Change
某日。
本日の演習は防衛隊とは関係ない警●庁SATが相手だが、場所は陸防から使用許可を貰ったアサカ駐屯地である。警●庁の演習施設は都内にも数カ所あるようだが、そこではバックストップの関係で火薬を使った銃器の使用が大きく制限されているからである。
スケジュールを前倒しして試射用のショート・レンジに現れたケイ達は、特殊ペイント弾が装填されたハンドガンを試射している。演習用として警●庁から貸し出されたSIGやMP5はリコイルスプリングを含めて調整されているが、やはりコンバージョンキットを使っているのでジャムが起こりやすいのである。
ノエルはハンドガンのゼロ・インを早々に済ませ、自発的に使用する弾丸の選別を行っている。プラスティックに刻みが入った弾頭は肉眼で見てもバラツキが大きく、フィーディングトラブルの原因になってしまうのが明白だからである。
戦場では供給される弾丸の品質は、己の生死を左右する大きな要素になり得る。
ノエルは幼少時より兵站の手伝いをしていたので、演習だからと言って弾丸の品質について妥協することが生理的に難しいのであろう。
「なんだよ、プロメテウス義勇軍が相手だと聞いて楽しみにしていたのに。
女が相手かよ!」
試射をしているレンジに現れたのは、ボディビルダー風?の上半身が肥大した大男である。
相手が理解出来ないと決めつけているのか、空気を読めていない暴言は勿論ニホン語である。
「Musclehead!」
「His bark is bigger than his bite」
「You Stink!」
「Un Salop!」
大男はケイ以外のメンバーから浴びせられた罵声を全く理解できないらしく、ただ首を傾げている。
英語すら理解出来ないのは、国内でしか作戦行動が無いSAT隊員としては珍しくも無いのであろうが。
「おい、演習の本番前だろ!失せろ!」
ケイのニホン語を使った強い叱責に言葉を返そうとした大男は、大尉の階級章と殺気が篭った視線にビビってしまい即座に言い返す事が出来ない。
「……礼儀を知らない馬鹿が!申し訳無い」
後から登場したSATの部隊長が、大男の尻を蹴飛ばして追い立てているのを一同は冷たい視線で眺めていたのであった。
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演習に使用するステージは海兵隊の訓練設備を模して作られているが、コンクリート造りの建物はサイズが小さくニホンの家屋の標準サイズである。
今回ディフェンスを担当するケイ達は、ホステージの人形をオフェンス側に確保された時点で敗北が決定する。SATの上層部で陸防のOBから本気を出して良いと言われているケイは、かませ犬としてあっけなく白旗を上げる事など全く考えていない真剣勝負のつもりである。
「お相手は、このステージを頻繁に使ってるんですかね?」
ノエルの流暢な英語の発言に、ケイは一瞬だけ驚いた表情を浮かべた。
初対面では片言のニホン語とフランス語だけで会話していたので、英語での会話が意外だったのであろう。
「ああ、建物の間取りや構造も、もちろん熟知してるだろうな」
「大尉、最終のディフェンスは僕一人に任せて貰えませんか?
ちょっと考えがあるんで」
「……なるほど。
突入出来るメンバーの数を減らしておいて、土壇場で一網打尽にする気か?
でもホステージが置かれている部屋は、椅子があるだけで待ち伏せできるような遮蔽物は無いぞ」
「相手もそう思い込んでいますよね?」
にやりと笑ったノエルの悪い表情に、ケイは小さく頷く。
見掛けの幼さから想像出来ない、ノエルの過酷な戦歴を思い出したのであろう。
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小一時間後、演習終了後の控室。
「すごいな!ノエルはまるでニンジャみたいだったね」
チーム同士がホステージを奪還するルールだったが、天井にまるでスパイダーマンのように張り付いていたノエルによって敵襲は簡単に制圧されていた。
天井にはぶら下がれる手掛かりが無いので、頭上に注意を怠ったSATチームは何の反撃もできずに頭部を狙い撃ちされたのであった。
ドゥン!
額をペイント弾で見事に撃ち抜かれた大男が、ドアを蹴破る勢いでいきなり乱入してくる。
脳震盪から短時間で回復したのは、やはり脳の容積が少ないからなのであろうか。
「こんなインチキが許されるのか!
おいお前、もっと尋常に勝負できないのか!臆病者!」
言い掛かりに近いクレームを喚き散らしている大男は、ノエルを指差して飛びかかりそうな興奮状態である。
返却するための銃器とペイント弾のチェックをしていたケイはウンザリした表情を浮かべているが、ノエルからのアイコンタクトに直ぐに気がついたようだ。
ケイの頷きを確認したノエルが右手の指を動かすと、ここで大男が動きを止め首を押さえてもがき始める。
肉眼では全く確認できないが、何かに首を締められているようだ。
「Veux−tu mourir?」
床に突っ伏してもがいている大男を見下ろすように、ノエルは冷たい表情で宣言する。
感情を削ぎ落とした表情は、整った容姿のノエルにマネキンのような人間離れした印象を与えている。
「ノエル、そこまで。
こんな愚か者を殺しても、意味が無いからね」
「Oui、ユウさん」
「ぜぇぜぇ……お前ら全員ぶっ殺してやるっ!」
手を広げて無防備にノエルに向かっていった大男は、前に立ちはだかったユウの目前で崩れ落ちる。
側頭部に入ったハイキックはほとんど目に止まらないスピードで、受け身も取れずに頭から床に突っ伏した大男のダメージはかなりのものだろう。大男は口から泡を吹いて、全身をぶるぶると震わしている。
「警視庁のSATは選抜されたエリート部隊だと聞いてたけど、最初に精神鑑定してから採用するべきじゃない?」
騒ぎを聞きつけてやってきたSAT側の責任者に、パピが呆れた表情で苦情を言う。
もちろん室内のメンバーは痙攣している大男の状態に、注意を払わずに無視している。
「隊長、貴方の顔を立てて協力しましたけど、次回はありませんから。
ほらみんな撤収するぞ」
銃器の返却書類を隊長に押し付けながら、ケイは麻痺している大男の横をすり抜けて退出したのであった。
☆
学園寮。
早々に帰寮した一同は、リビングでエイミーが用意した軽食を食べていた。
アサカの隊員食堂を利用する予定だったのだが、パピがあそこで食べるのは絶対に嫌だと拒絶したからである。
「ミャウ」
ソファでサンドイッチを齧っていたノエルは、いきなり膝に乗ってきた黒猫に驚いていた。
以前寮に来た際にも遠巻きに姿を見せていたが、決して至近距離には近づいて来なかったからである。
「へえ、シンにも懐いていないのに。
クーメルが自分から膝を取りに行くなんて、珍しいね」
「……」
「猫は好きなのかい?」
「Oui」
ここでノエルは、クーメルがサンドイッチを持った右手をじっと見ているのに気がついて、エイミーに視線を投げる。
エイミーが笑顔で目配せすると、ノエルはサンドイッチを小さくちぎりながらクーメルに手づから与え始める。
「ねぇエイミー、この黒猫ってこんなに人に慣れてたっけ?」
パピが大皿の炒飯を取り分けながら、不思議そうな表情をしている。
クーメルは口元に置かれた手のひらから、サンドイッチを行儀良く食べているのである。
「いいえ。気安く触れるのはトーコさんだけですね。
シンは良く引っ掻かれてますし」
クーメルはとりあえず満足したのか、シンの太腿に体を寄せお腹を見せてリラックスしている。
ノエルが食べていたサンドイッチはシンお手製のコンビーフが使われていたので、味見をしたかったのかも知れない。
「C’est un piano merveilleux?」
クーメルのお腹を優しく撫でながら、ノエルはエイミーに尋ねる。
このメンバーの中では年齢が近く見える彼女が、他の年長者のメンバーよりも話し掛け易いようである。
「シンがたまに弾いてますけど、あとは寮生が触る事はありませんね。
ノエルさん、良かったらどうぞ」
クーメルを驚かせないようにゆっくりと立ち上がったノエルは、フォールボードを静かに引き上げたのであった。
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