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001.Because of that Blood

 夜半、ヒガシイケブクロの高層オフィスビル。


 ショッピングエリアの営業が終了したこの時間帯は、上層階へ向かうメインエレベーターも停止している。よって正規の利用者であっても、上層階オフィスへの立ち入りは時間外出入り口を経由する必要がある。


 もちろんテナントとして入居している雫谷学園も同様であるが、殆どのオフィスが無人になる時間帯であっても学園内のカフェテリアと自習室は終日利用可能になっている。この辺りは米帝の大学運営に倣ったと思われがちであるが、実は別の目的が存在している。


 新しい環境に放り込まれた新入生を学園に馴染ませサポートするというのが本来の目的であり、カフェテリアに料理が出来る正規職員が当直しているのは時間外の見守りという特別な役割があるからなのである。


 そんな中、最近の常連と言える小柄な人物が、自習室の窓際でCongoh専用端末を凝視している。遅い時間帯に専用エレベーターを使って登校してきたその人物は、自習室へ直接向かったので他の生徒とは顔を合わせて居ない。


 焦げ茶色のショートボブ、大きな目と長い睫毛、そして中背のスリムな体躯は、中間色の地味な服装にも関わらず周囲に華やかな印象を与えている。

 その立ち振舞もボディバランスに優れたバレイ・ダンサーのようで、実に無駄が無い優美な動きである。


 端末の画面を眺めながら分厚いリングノートに書きなぐっている文字は、容姿から伺えるようにニホン語では無い。そしてノートのそばにある4つ折りされた競馬新聞が、場違いであるように見えるのは当然であろう。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数時間後、立ち上がった彼女?は隣室のカフェテリアに向かう。

 目的はもちろん学園生に無償で提供される、食事の為である。


 学園のフロアは彼女以外の人影が無く、高層ビル特有の静寂に包まれている。

 今日の当直は学園の最高責任者であるジー(校長)であるが、お互いに小さく頷いただけで大袈裟な挨拶は無い。


「Voulez−vous quelque chose a manger?」


「Je veux manger de la nourriture delicieuse」


「Je comprends」


 学園ではもちろんニホン語が公用語だが、二人の会話は初対面の数週間前から常にフランス語である。

 実は入学条件としてニホン語の日常会話能力が必須なので、この人物がフランス語しか喋れないという事はあり得ないのであるが。


 数分後カウンターに置かれたサンドイッチは、バゲット丸一本に新鮮なモッツアレラ・チーズとジャンボン(腿ハム)が挟まれている夜食?としては過剰なボリュームである。夜番の当直担当者は自分の得意メニューを提供するので、こういった偏ったメニューになっているのであろう。


「C’est très bon!(おいしい)


 ジー(校長先生)に向かってサムアップするその表情には、屈託の無い笑顔が刻まれていたのであった。



                 ☆



 同時間帯の学園寮のリビング。


「ルー、ちょっと相談したい事があるんだけど?」

 いつものように風呂上がりにビールを煽っている彼女に、ラップトップで作業中のピアが声を掛ける。


「はい?

 ピアさんが自分に相談なんて、珍しいですね」

 先日入れ替えがあった黒生ビールの味に、ルーは満足しているようで続けざまの2杯目をサーバーからパイント・グラスに注いでいる。


「ああ。この件に関しては、シンも不在だし寮生の中で相談出来るのはルーだけだからな」


 ルーが手渡されたのは、Congohの人事情報が記載されている標準形式のファイルである。


「ああ、このショートカットの子、カフェテリアで会った事がありますよ。

 凄い整った容姿だから、しっかりと覚えてます。

 でもピアさん、この書類間違ってませんか?」


「ああ、ジェンダーの欄だろ?

 この子、こう見えて男だからな」


「へえっ……本当ですか?

 うわぁ、経歴も変わってるなぁ……自分と似たような経歴の人物って居るものなんですね」


「最近は此処の年少組も、以前よりは手が掛からなくなっただろう?

 ルーには、この子を注意して見ていて欲しいんだ」


「寮に入れて面倒を見るというのは……ああ、この経歴を見ると簡単には行かないかも知れませんね。

 というか、平和なニホンでの生活に適合できてるんですかね?」


「今のところは、何の問題も無いな。

 行動範囲も狭いし、競馬場以外には危なそうな場所には立ち入らないしな」


「競馬場??

 でもなぜニホンに滞在することになったんですか?

 欧州でも適当な場所が、いくらでもあるのでは?」


「学校に通ってみたいというのが、本人の希望だからな。

 あと母親の遺言で、父親の(ゆかり)のある土地で成長して欲しいというのがあるみたいだ」


「亡くなった母親というのは、もしかしてピアさんのお知り合いですか?」


「ああ、息子の面倒を見る約束をしてたからな。

 私が、ニホンに長期滞在している理由の一つでもあるな」


「確かに行動範囲は狭いですけど、週一回の競馬場通いというのは珍しいですね。

 まさか馬券を買ってるんじゃないでしょうね?」


「ああ、生活費は学園からそれなりに支給されるんだが、どうやら自分でも稼いでいるらしくてな。

 最近は人目につくのを自覚して、馬券はネット経由で購入しているみたいだ。

 最近はその金額が大きすぎて、後々問題になりそうな気がしてるんだけどな」


「うわぁ、ニホンの銀行口座から送金してる額が凄いですね。

 競馬だけじゃ、この金額にはならないでしょうね」


 入国管理局が用意した口座は、常時監視され入出金が把握されている。

 便宜上口座所有者の年齢は20歳以上になっているので、学園の在校生であっても『勝ち馬投票』に使えてしまうのである。


「金儲けの才能は、並じゃないみたいだな。

 デイ・トレーディングと運用で増やしてるんだろうが、メトセラの中でも典型的な『知能犯』タイプなのは間違いないだろう」


「競馬で儲けた金を元手にして、株の運用でこんな金額になるなんて。

 もしかしてタイムライン系のヴィルトスを持ってるんですかね?」


「ああ。

 紛争地帯で磨かれた『アノマリア』だから、かなり長いスパンで使える『セクンドゥ』になったんだろう。

 エイミーもシンの資産を運用しているみたいだが、このレヴェルまでは到達していないだろうな。

 貯め込んで将来に備えるという段階を逸脱してるから、関係各所から目を付けられるのは時間の問題だろう」


「金銭に執着するようなタイプには見えませんけど、本人はなんて言ってるんですか?」


「『金は天下の回り物』だってさ」


「???」


「それとこの子は強力な『セクンドゥ』を使えるのに、何故かSOL値が低いんだよ」


「……へえっ、メトセラでは珍しいパターンなんですね。

 そうすると、コミュニティの中で生活するのは、やっぱり難しいのかな」


「だからなおさら似た環境で育った、ルーに見守って欲しいんだ。

 無理かな?」


「……いえ、どれくらいこの子の力になれるか分かりませんけど、引き受けます。

 経歴を知った以上、もう他人とは思えないし」



                 ☆



 翌日。

 ルーはSIDの指示によって、馴染みの須田食堂に来ていた。

 店内を見渡すと、まず見知った顔に遭遇する。


「あれっ姐さん、夕方に此処で会うのは珍しいね?」


「今日はユウが居ないから。

 ルーこそ?」


「ほら、今シンが出張中だからさ。

 エイミーにばかりに負担を掛けるのも、申し訳ないから」


 ルーが探していた相手は、何故かマリーと4人掛けのテーブルに相席している。

 夕食の繁忙時なので、ルーはマリーの横に腰掛ける。


「あら、ルーちゃんも『何時もの』で良い?」

 既に顔なじみである店のオバちゃんが、ルーに声を掛ける。


「はい。お願いします」


 マリーと相席している人物は、マリーが注文している『何時もの』と同じ定食を食べている。

 ラーメン丼に山盛りにされたご飯と、同じ丼に入った豚汁、そして積み上げられた唐揚げの山はどうみても4〜5人前の分量であり、まるでフードファイターのチャレンジ・メニューの様である。

 一見のお客に提供される事が無いこの『何時もの』という名称の定食を食べているという事は、偶然相席したのでは無く既にマリーと顔見知りになっているのだろう。


姐さん(マリー)、その子は?」


「私の新しい舎弟のノエル。

 ほらルーに、挨拶」


「……Enchante(はじめまして)


 ぽつりと小さな声の一言を、ノエルと呼ばれた子が発する。

 容姿と同じように、甲高い声色も性別を疑わせる要素になっているのだろう。


「この子はお喋りすぎるのが、玉に傷」


「……おねえさん、ごはんのおかわりをください」


 テーブルから振り返って、ノエルが発したのは意外にもかなり流暢なニホン語である。

 Congohや学園の関係者は皆ニホン語が達者なので、店のオバちゃんも全く違和感を感じていないようだ。


「あら、あなたも良く食べるのね。

 もしかしてマリーちゃんの親戚なの?」


「マリー、シンセキ(親戚)って?」


「Familie!

 このルーと同じ家族っていう意味」


 ノエルと一緒にお代わりを催促しながら、珍しくマリーが自ら説明する。

 確かに髪色を除けば、同じテーブルに付いている3人は血縁と言われても違和感が無いほどに似ている。

 外見から見るとルーが一番年長のように見えるのは、やはり身長が少しだけ高いからであろう。


「Tu as raison(たしかに)

 窓ガラスに映る自分たちの姿を見て、ノエルはポツリと呟く。


姐さん(マリー)も自分も母親の顔すら知らないから、家族の記憶があるのは羨ましいけどね」

 悲壮感が微塵も無いルーの口調に、ノエルは返す言葉も無く黙っている。


「今は家族が沢山居るから、そう悪くは無い。

 ルーは?」


「うん。姐さんのことは、いつでも頼りにしてるよ」


「えへん!この間、シンにも同じ事を言われた!」


 まるで年長者とは思えないマリーの一言に、ルーとノエルは顔を見合わせて微笑んでいたのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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