046.Are You Ready
終了前夜のブートキャンプ。
今回は卒業試験に該当する単独行軍が無かったので、打ち上げ前日の夜は全員参加の食事会になっていた。
翌朝は訓練も無く階級章を手渡されて、ブートキャンプは目出度くお開きになる予定である。
シンが対応した件以外には大きなトラブルが無かったので、この場はとても和やかな雰囲気である。
インストラクターも全員食事会に参加し、上機嫌でアルコール飲料を煽っている。
ちなみに食い気が優先のパピは、ジャンプでシンが運んできたエイミー謹製ちらし寿司に釘付け状態である。
「ねぇ、シンさんっていつも笑顔でイライラしてるのを見たことが無いけど、どうやったらいつでも平常心で居られるの?」
連日の雑談ですっかり打ち解けた訓練生が、シンに少しだけ赤い顔で尋ねる。
ビールサーバーについては訓練生でも呑み放題なので、パイントグラスでぐいぐい飲んでいる訓練生も多い。
「ああ、それはね……自分自身でコントロール出来ない部分は気にしないって事かな」
「???」
「自分自身にはいくら厳しくしても良いけど、自分の価値観を他人に押し付けないっていうのは大事な事だと思うよ」
訓練生のメンバーは、コックとして炊事を担当している穏やかなシンしか知らない。
だがシンの死線を何度も潜って来た経験は、訓練生とほぼ同年代である彼に独特の雰囲気を与えている。それが訓練生からみると、ある種の余裕に感じられるのかも知れない。
「あの……上官である少尉さんが、それで良いんでしょうか?
尉官の方は、全ての部分で気配りが必要だと私は思いますが」
サラから名前を聞き及んでいたジルという訓練生は、控え目ではあるがシンに対して異論を唱える。
いくら無礼講であっても上官を目の前にして批判するのは、他国の軍隊は考えられない非常識な発言であろう。
ちなみに生真面目な彼女はビールを口にしていないので、ビールで酔った上での暴言では無い。
「僕のモットーは『Nobody beats me in the kitchen』だからね」
元ネタを知っているケイやパピが思わず吹き出すが、言葉を返されたジルは首を傾げて怪訝な表情である。
タフガイとして有名なハリウッド俳優の台詞は、細身で優しい印象のシンには相応しくないと思ったのかも知れないが。
「ジル、それじゃ明日ブートキャンプを終了した後に、お前の得意な分野でシンに挑戦してみるか?
シン、お前の階級章が飾りじゃないのを証明してくれ」
既に訓練は終了しているだけあって、ケイの口調も咎めるどころか面白がっている感じに聞こえる。
「良いですけど、しばらくハンドガンは触ってないけど大丈夫かな」
「ふん!もう負けた時の言い訳ですか?」
トーコの強い口調で場が凍りつくかと思いきや、訓練生達はこの一言を『生暖かい目』でスルーしている。すでにシンとトーコの関係は、訓練生全員が知る処になっていたのであった。
☆
翌朝。
アリゾナ・ベースに隣接したシン専用のシューティング・レンジには、ブートキャンプを打ち上げた後の数名が集まっていた。
チャーターバスが近隣の民間空港まで送ってくれるので殆どのメンバーは帰路に付いたが、ジルとシン以外にも学園寮在住のケイとパピ、トーコはこの場に残っている。彼らはベースの中にある滑走路を使って、迎えに来たワコージェットで帰国する予定なのである。
この場所はジャンプで定期的に訪れるシン専用レンジだが、同行したルーやユウが個人練習に使う場合も多い。
ターゲットについては廃業したレンジの備品をそのまま使っているので古めかしいものも多いが、頑丈に作られた鋼鉄製なので実用上の問題は無い。
「選んだのはトリプル・スレッドですか?随分と古めかしいコースを選びましたね」
シンはサラから借用したハンドガンを、フィールドストリップしながら尋ねる。
フィールドランプがピカピカに磨かれスライドがタイトに組み上げられたハンドガンは、実戦向けとしてはかなり追い込んだチューニングしてあるようだ。
「時間を掛けて優劣を決めるよりも、短いステージで一発勝負の方が良いだろう?」
「弾数制限無しのルールで良いんですか?」
「ああ、その方がより実戦的だからな。
トライアルした中で、合計では無くてベストタイムで勝敗を決めよう。
異論は無いな?」
当事者の二人が頷いたので、ジャッジを担当するサラが話を続ける。
「それじゃシンはホルスターの準備が無いから、お互いにツーハンドのスタンバイからスタートとしようか」
ジルはシンに目線を投げるが、シンが頷くのを見て先にシューティングボックスに入る。
ターゲットは15ヤード?程の距離から並んでいる3枚の大きなサイズのもので、振り幅も小さく一見簡単そうに見える。勿論スピードシューティングの的として単純な配列という事は、タイムがとても短くなるという事である。
ケラウノスをツーハンドで握ったジルはスタートポジションを取って、クリーム色のシューティングタイマーを握っているサラに大きく頷く。
通常ならボックスに入ってからマガジンをロードするのだが、ケラウノスはマガジンが無いのでその動作はもちろん省略されている。
「Shooters Ready Stand By!!」
『ビーッ!』
サラが持っているシューティングタイマーが、大きなビープ音を奏でる。
『カ!カ!カン!』
ユウが使っている専用モデルとは違って、ジルが使っている量産試作モデルはライフリングが採用されている。
そのためハンドリングが難しいのだが、彼女はまるで22RFのハンドガンのように容易く反動を相殺している。
ほとんど発射音がしないケラウノスを見たトーコは、首を傾げてジルの射撃を見ている。
事前知識が無い彼女にとって発射音が無音に近い上に、ブラスが飛ばないケラウノスはまるで手品のように見えているのだろう。
ちなみにホルスタードローからヘッドショットを楽々1秒を切る上級シューターにとって、斜め45度のツーハンドスタンバイからのスタートはハンデにもメリットにもならない。
2秒を余裕で切るタイムで、ジルはトライアルを重ねていく。
「実に安定しているな。
ベストタイムは1.5Xだな」
サラから事前に貸し出して貰った40SWのハンドガンを手にしてシンはボックスに入るが、貸し出した当人であるサラが何故か物言いたげな表情をしている。彼女はシンがこのレンジでは、ガンパウダーを使った普通のハンドガンを撃っていないのを知っているからである。
ベルトに差してあったダブルカラムのマガジンをロードすると、スライドを引いてシンはツーハンドの姿勢でスタンバイする。
「Shooters Ready Stand By!!」
『ビーッ!』
『バン・ババン!』
『カ!カ!カン!』
メジャーロードの40SWの発射音は、それなりに大きい。
イヤマフをしていないトーコは、思わず両手で耳を塞いでいる。
ダブルカラムのマガジンを交換する事無く、シンは5回のステージを終了する。
リカバリーショット無しの15発だが、ターゲットをヒットするリズムはジルと殆ど変わらないように聞こえている。
「へえっ、最速タイムは同じだな。
勝負は引き分けかな?」
ハンドガンをアンロードして、ボックスから出たシンはサラにタイムを確認している。
「……シンさん、私を馬鹿にしてるんですか?
ぜんぜん本気を出してないでしょう?」
「いや、ヴィルトスを使わない全力は出したよ。
ステイツ・チャンプの君と同タイムなら、悪くは無いと思うけど?」
「それじゃ、出し惜しみしてないで本気でお願いします。
全力を出してないシンさんと同タイムというのは、目覚めが悪いですから」
「う〜ん……SID、周囲の状態は?」
「周囲で監視している様子はありません。
高解像度の監視衛星は、現時間ではローテーション外です」
ここでシンはサラに向き直ってアイコンタクトをするが、彼女が小さく頷いているのを見て再度シューティングボックスにハンドガンを持たずに『手ぶら』で入る。
『手ぶら』であるシンを見てジルが怪訝な表情になるが、サラは何も言わずにスタートの合図を行う。
「Shooters Ready Stand By!!」
『ビーッ!』
自然体で立ったままのシンの右手の指が、僅かに振動しているがそれは傍で見ていても分からないだろう。
『カカン!』
ターゲット3枚が、発射音が聞こえないままに打撃音を発する。
ストップターゲットをヒットした音が、サラが持っているシューティングタイマーに記録される。
「Oh My!?」
観戦しているメンバーの中で、驚きの声を上げているのはジルだけである。
「0.6Xだな。
さぁ、撤収しようか」
シューティングボックスから出たシンは、ジルが一瞬目線を反らした隙に姿を消している。
キョロキョロとシンの姿を探しているジルに特に説明や解説をせずに、サラを含めた一同はベースの建物に向けて歩き出したのであった。
☆
場所は変わって隊員食堂。
既にシンの炊事兵としての仕事は終了しているが、残ったメンバーの為に彼はレンジからいち早く戻って昼食の支度をしている。これから帰還する数名のメンバーは長い道中を控えているので、空腹のまま帰宅して欲しくないというシンの心遣いなのであろう。ご飯は既に炊き上がっているので、あとは丼を仕上げるための餡を用意するのみである。
「どうだ?こいつは見掛けは優男だが、凄かっただろ?」
厨房で忙しく動いているシンを見ながら、サラはまるで自分の事のように自慢気である。
「はい。自分の失礼な態度を謝罪させて下さい。
それにしてもシンさんは、ずいぶんと沢山の引き出しをお持ちなんですね」
「ああ、米帝の大統領顧問としてのNASAでの活動や、カーメリで最新鋭機のテストをやってるのも極秘事項だからな」
「ええっとサラさん、口に出したら極秘事項にならないと思いますが。
僕は単なる『ハンサムなコックさん』で、それ以上でも以下でもありませんよ」
全員分の巨大な丼を配膳しながら、シンはここで漸く自分が話題にされているのに気がつく。
「自分でハンサムって言いますかね?」
トーコの遠慮無いツッコミが、またしてもシンに炸裂する。
ブートキャンプを無事に終了できた開放感から、トーコは普段よりも雄弁になっているようだ。
「圧縮空気弾を使える人は、今は義勇軍でもお一人だけだと聞いていましたけど?」
ジルは知り合いのユウからも事前リサーチをして、シンの能力についてしっかりと把握していたようである。
「僕以外の使い手のアイラさんが今後軍籍に戻るのは、ちょっと考え難いかな。
相手がターゲットだから使ったけど、実戦ではあまり使い勝手が良く無いんだよね」
「ふん。出来る事が多い人の、贅沢な悩みですね!」
スプーンで魯肉飯を嬉しそうに頬張りながらも、トーコの発言は常に辛口である。
彼女の容赦ない憎まれ口の連発に、隊員食堂の一同はいつもの苦笑を浮かべていたのであった。
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