043.Different Light
「カレーがこんなに人気があるとは……ちょっと驚きましたね」
隊員食堂と繋がっている厨房から、シンとドナは前日とかなり違う食卓の様子を眺めている。
本日のメニューもビュッフェ形式ではあるが、メインは予定通りにカレーである。
訓練生は白い大皿に自分で盛り付けたカレーにトッピングの揚げ物を並べていくのだが、お代わりを繰り返す度にそのボリュームがどんどんと増えていくのである。
カレー自体は定期配送便で手に入るユウ謹製のレトルトだが、トッピングの揚げ物はカレー以外でも食べられるようにバリエーションを揃えている。
トンカツがあるのは当然だが、牛カツやチキンカツ、コロッケ、エビフライとニホンでメジャーな揚げ物は一通り揃っている。
もちろん福神漬けやラッキョウの酢漬けも大量に用意してあるが、これらの食べ方はカレーの盛り付けを含めてトーコが他の訓練生に指南しているようだ。
トッピングに揚げ物が載ったカレーはニホン人にとっては当たり前のメニューであるが、欧米出身者が殆どである訓練生には新鮮な美味しさに感じるのであろう。
「カロリー補給という点では香辛料は食欲を増進しますから、カレーは良いメニューだと思いますよ」
様子見に厨房に顔を出していもドナは、庶務担当としてシンに控えめにアドバイスをしている。
「カレールーは食べた事がある筈なのに、どうしてこう人気があるんでしょうね?」
ひたすら無言でカレーを掻き込み、お代わりを繰り返しているメンバーも多く、2台用意してあった業務用の炊飯ジャーはほとんど空に近い状態になっている。
「いやニホン式の料理は、カレーに限らず意外と敷居が高いんですよ」
「『敷居が高い』ですか?」
寮やTokyoオフィスの食環境に慣れているシンには、ドナの一言は直ぐには理解できないのであろう。
「シンさんは普段から当たり前のようにニホン食を調理しているから、気がつかないんでしょうね」
「ええっと、どういう意味でしょうか?」
「ニホン以外の国では、軟水器を使ってお米を炊くのも、揚げ油をブレンドするのも、衣のパン粉を手作りするのも誰も教えてくれないんですよ。
ニホン食の調理サイトは沢山あっても、使われている言語は相変わらずニホン語オンリーですからね。その差がこの食堂での喧騒を起こしてるんです」
「はぁ……そんな大した事はやってないんですけどね。
そう言えばテキサスの知り合いに、似たような相談を受けた事があるなぁ」
グレニスに相談を受けたのは数ヶ月前だが、まさかメトセラの関係者ですら同じ苦労をしているとは思っても見なかったのであろう。
「あの……ハンサムなコックさん、ご飯もっと欲しいんですけど!」
保温ジャーがついに空になったらしく、トーコが厨房に居るシンに声を掛けてくる。
彼女は訓練から落伍せずに顔色も良く、食欲もしっかりとあるようだ。
「はぁい、お嬢さん、ちょっと待っててね!」
厨房にスタンバイしてあった保温ジャーを抱え上げて、シンはトーコにウインクを返したのであった。
☆
数時間後。
予期せぬトラブルが発生したらしく、サラを含めた上官達の食堂到着はかなり遅くなっていた。
シンは追加で炊飯した保温ジャーをビュッフェ・テーブルにセッティングしながら、食堂の大型モニターに注意を向けている。
国家規模のトラブルが発生すれば、真っ先に●NNにニュースに流れる筈だからである。
「サラさん、何か厄介事ですか?」
漸く食堂に顔を見せたサラやケイに、シンは声を掛ける。
未だ重大ニュースが流れていないという事は、何か軍事機密に関するトラブルが起きたのであろうか。
「シンも当事者だから、詳細を明かしても問題無いかな。
DDの自律型のロボットの事は、当然覚えているよな?」
「ええ。ケイさんの対戦車ライフルでトドメを刺した、あの多脚ロボットですよね?」
当事者であるケイもブートキャンプに参加しているのは、偶然としては出来過ぎかも知れない。
「Congohから払い下げられたあの機体が、どうやら脱走したらしいんだ」
「脱走って……払い下げ先は、やっぱりLM●ですか?」
「ああ。義勇軍もF−16の再利用で、目をつぶって貰ってるからな。
あそこの企業グループとは、ギブアンドテイクの関係なんだろう」
「でもアラスカに運んだ時には、完全に動かない状態だったんですけど。
あれを修復するなんて、可能なんでしょうかね?」
「その点は確認できていないが、もしかしたらAIの部分はまるごと無事だったのかも知れないな。
アクチュエーターでは無くて人口筋肉の駆動部分は、最近動作原理が解析されたとニュースでも流れていたしな」
「ねぇSID、テキサスの研究拠点から脱走したなら……あの高性能AIが何か仕出かす可能性はあるかな?」
シンは食堂に設置されている壁面のコミュニケーターに、前触れ無く呼びかける。
「軍事ネットワークに介入しようとしたら、こちらも対抗措置を取るように警戒中です。
LM●でおかしな改造でもしていない限りは人畜無害だと思いますけど、とりあえず脱走した近隣の発電所がターゲットでしょうね」
「そうなると簡単には行かないな。
テキサス州には、数百もの太陽光発電施設があるだろう?」
さすがに地元民であるサラは、電力事情についても熟知しているようだ。
「前回のメンバーが揃ってますから演習場に現れても対処は可能だと思いますけど、そう都合の良い話は無いですよね」
「いや、市街地で大騒ぎになるよりは、ここに現れてくれた方が都合が良いんじゃないか?
前回も発電所におびき寄せて、鹵獲に成功してるからな」
ケイが第三者の立場で現状を指摘するが、此処の近隣には発電パネルが設置された発電所は存在しない。
何も無い荒野を選んで設置された演習場なので、それは当然であろう。
「話はこれくらいにして、遅くなったけど夕食を済ませようか!」
「『腹が減っては戦は出来ぬ』ですよね?」
シンがサラ用に盛り付けた大盛りのカツカレーを、彼女の前に配膳する。
「おおっ、フライは冷たいけど、ご飯が炊きたてだから気にならないな!
やっぱりシンの用意してくれたカツカレーは美味しいなぁ!」
「シン、この丼は?
カレーソースが載ってないみたいだけど?」
ビュッフェテーブルを物色していたパピは、見慣れない丼が並べられているのを発見する。
「ああ、これは試作中のタレかつ丼です。
マイラがお気に入りで、寮でも食べたいってリクエストがありまして」
「へえっ、カツカレーほど重くなくてさっぱり食べられて美味しいね!」
寮でも出された事が無いメニューなので、早速手に取ったパピが絶賛の声を上げている。
「そのタレかつ丼って、もう無いの?」
カツカレーを頬張りながらも、サラは新メニューにも興味があるようだ。
「トッピングのカツがありますから、まだ用意できますよ。
ソースの味付けは、ユウさんから教えてもらって試行錯誤中なんですけどね」
「これこそ、シンプルだけど真似出来ない味だよね。
ご飯とカツが美味しく出来てないと、この味にはならないだろうし」
ケイも手に取ったタレかつ丼の味を、気に入ったようである。
尤も彼女はニホン育ちで各地の駐屯地で勤務した経験があるので、ニイガタのご当地メニューを食べるのは初めてでは無いのかも知れない。
「この濃い味付けに慣れれば、素材の味が楽しめるシンプルな料理ですね」
食卓に途中から参加したドナも、慣れない箸使いながらもしっかりとタレかつ丼を味わっている。
「シン、いつもの奴はあるかな?」
タレかつ丼を食べ終えたケイは、シンに目配せしながらリクエストする。
「はい。もちろん用意してありますよ。
ちょっと待ってて下さいね」
厨房に戻ったシンは、トレイに一通り揃った定食を用意してケイの前に配膳する。
「手間をかけさせて、申し訳ないな」
「いいえ。カツが冷めてるのはご容赦下さいね」
「いや、この冷めてるのが私にとっては美味いんだ」
「ええっ、ケイの分だけ特製なんてズルいんじゃない?」
パピがタレかつ丼を頬張りながら文句を言うが、日頃食事では便宜を図ってもらっているので説得力はゼロである。
「特製というか、これは脂身が特別多いロースカツなんだよ」
「げっ、脂身嫌い!」
「特製というか寮でも苦手なメンバーが多いから、ケイさん用のトンカツは別にしてるんだ」
「なんで態々そんなのを、用意して貰ってるの?」
「ああ、陸防の隊員食堂のトンカツは、昔から脂身が多い薄いロースカツが定番だったんだよ。
食堂の予算が無くて脂身が多いトンカツでも、自分達にとっては凄いご馳走だったんだ」
「……」
「その頃の習慣で、ロースカツは脂身が無いと物足りなくてね。
寮でもシンに頼んで別に調理して貰ってるんだ」
「ユウさんも、薄いチキンカツが懐かしいなんて言ってましたよ。
昔ミサワ基地の食堂では、月に一度のご馳走だったなんて聞いた記憶もあります」
「ユウってスクランブルのパイロットだったんでしょ?
防衛隊って、そんなに待遇が悪かったっけ?」
世界各国の軍隊を渡り歩いたパピは陸防の隊員食堂で食事をした経験もあるが、そんなに悲惨だった記憶は無い。
「まぁ義勇軍は防衛隊よりも、食堂の予算は恵まれてるからな。
それに尉官の凄腕料理人が、調理を担当してくれてるし!」
隊員食堂のシンの側には、食事を先に済ませたシリウスが床で伏せをしている。
目を閉じて眠っているようにも見えるが、耳がぴくぴくと動いているので警戒中なのであろう。
シンの視線に気がついたメンバーは、シリウスの愛らしい仕草に思わずほっこりしている。
「今回はシリウスが居てくれますからね。
もしあの多脚ロボットが現れたら、彼女が真っ先に気がつくと思いますよ」
シリウスの様子を眺めながら、シンはサラのおかわりの丼にご飯を盛り付けている。
急遽レンジで温めたカツを、小さなソースポットに浸して丼に載せていく。
「躰のサイズはほとんど同じなのに、ワイリーはシリウスに絶対に近づかないな。
やっぱり格が違うのを理解してるのかな」
大きな丼を両手で受け取りながら、サラは小声で呟く。
「ああ、散歩させていてもシリウスは殆どの飼い犬と仲が悪いですからね。
さすがに面倒を見ていたクーメルを邪険にはしませんけど、以前よりは距離感があるみたいです」
「そりゃ、シリウスとしてはシン以外は眼中に無いからね。
寮のメンバーと仲良くしてるのも、シンが居るからだからね」
パピの一言は紛れもない事実だが、ここに居るメンバーですらシリウスの『K−9』としての特殊な出自を忘却しているのかも知れない。
シンは敢えてそれに触れずに、まるでニホン人のような曖昧な笑顔を浮かべていたのであった。
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