042.When You Got a Good Thing
ブートキャンプ初日のアリゾナ・ベース。
「Fall In!!」
すべての参加メンバーが、大尉の階級章を付けたケイの前に整列する。
全員プロメテウスの標準野戦服を着用しているが、ケイとパピだけはいつもの3型迷彩にプロメテウスの階級章を付けている。
ちなみにアリゾナにある基地であるから、義勇軍やCongohの規定に倣って公用語は米帝語である。
今回の参加メンバーも10名に満たない少人数だが、シンもトーコ以外に面識がある人物は居ない。
そのトーコの戦闘服姿だが、よりショートにした髪型と合わせて不自然さを感じさせない凛々しさである。
「これがハリウッド映画ならば君達を罵倒するシーンが入る処だが、生憎と義勇軍にはそんな『伝統芸』を見せる余裕が無い。
参加メンバー全員が、人としての良識を持っているものとして訓練を開始する」
これは毎回ブートキャンプの冒頭で述べられる『決め台詞』であり、前回も同じような文言をサラが言っていた記憶がある。
軍歴が長いケイはこういった訓示を述べる機会が多かったからだろうか、その態度は威厳に溢れ実に堂々としている。
キャンプのスタートなので他の下士官やシンも離れた上座に整列しているが、特にやることは無い。
また基地の総司令であるサラも戦闘服を着用して顔を出しているが、ブートキャンプの初日にわざわざ将官が出てくるなど他国の軍隊ではあり得ないであろう。
簡単な訓示の後にケイに引率された一同は兵舎に入っていくが、ここでシンは顔見知りに声を掛けられる。
「少尉、お久しぶりです」
「ああドナさん、お元気そうで何よりです。
ワイリーもすっかり飼い犬みたいになってますね」
首輪をしてドナの横にくっついているワイリーは、シンの足下に居るシリウスと直接目を合わせないように横からチラチラと覗き見をしている。
これはイケブクロ周辺を散歩する際にも、近所の犬達に良く見られる光景である。
「今回は事前準備出来たみたいで、いまから食事が楽しみですね」
食材をハウス冷蔵庫に搬入するのに立ち会った彼女は、シンが入念な準備をしていたのを把握している。
「想定通りに行かないのは毎度の事ですから、あとは現場で臨機応変にメニューを変えていきますよ」
☆
夕刻の隊員食堂。
他国の軍隊のブートキャンプとは違い訓練生しか居ない食堂の様子は、他拠点のフードコートとほとんど違いが無い。
シンも階級章が無い作業用のツナギを着ているので、尉官として彼を見ている訓練生も皆無であろう。
本日のメニューは完全にビュッフェ形式であり、何をどれだけ食べるかはあくまで個人の裁量に任されているのである。
(初日は緊張してるし食欲も落ちてるだろうから、出来るだけ食べ慣れてるメニューが良いかな)
シンが用意した主なメニューは、切り分けられた四角いピッザと、パスタ各種、カットステーキ、大判サイズのフライド・ポテトである。
「あれっ、食欲が無いのかな?」
サラダとポテトだけをのせたトレイを抱えて、彼女は困った様子で立ちすくんでいる。
「あのコックさん……Steamed Riceなんてありませんよね?」
シンが渡されているメンバーの個人情報では、タイワンやニホンに長期滞在していた経験があるメンバーは居なかった筈なのであるが。
「ああ、君は炊飯したご飯が好きなんだ。
此処には出してないけど、厨房の中には仕込んであるから大丈夫だよ。
それで、豚肉は大丈夫かな?」
「はい。もちろん豚肉は大好きです。
我儘を言って、申し訳ありません」
「ちょっとこのまま、座って待っててね」
シンは白ご飯があると聞いて嬉しそうな表情の彼女にウインクすると、炊いてあったご飯と事前調理してあった肉餡を使った大きな丼を用意する。
用意してあった器は丼というよりも、大きめなサラダボウルのようなサイズなのであるが。
「お待たせ!」
「ああっ!魯肉飯じゃないですか!
おまけに美味しそうな煮玉子まで載ってる!」
「へえっ、君は台湾料理に詳しいんだね。
ちょっと本場より味付けをマイルドにしてあるけど、どうかな?」
「おいひいです!
台北で食べたのを、ほもい出しまふ!」
「あの……私にも同じものを頂けませんか?」
「私も!」
「ああっ、私にも下さいっ!」
シンとのやり取りを見ていた他のテーブルから、遠慮なくリクエストが寄せられる。
意外にも白米を好むメンバーが大勢いたので、シンは初日からブッフェのメニューを見直す羽目になったのであった。
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自由時間になった頃、食堂では上官達が時間差で遅い夕食を始めていた。
シンは夕食のブッフェで余った料理に加えて、リクエストがあった各自の好物を追加で調理している。
もちろん軍隊の食堂にも関わらず、メンバーはアルコールを呑み放題である。
「シン、初日の食堂はどうだった?」
大量のピッザを皿に取りながら、サラはとても嬉しそうである。
何故ならシンがTokyoから持ってきた携帯型ビールサーバーとタンクで、冷たい生ビールが呑み放題になっているからである。
「前回のブートキャンプでも丼メニューは大人気だったんですけど、今回の参加者はご飯を『主食』として食べ慣れてる子が結構居ましたね」
「たぶん母親がニホンとかタイワンに長期滞在して、現地の食生活に慣れているんだろうな。
ところで、このピッザはシンが仕込んだのか?」
「カーメリで研修したエイミーが、用意してくれた分です。
次回からはもうちょっと、焼く量を減らしても大丈夫みたいですね」
「ステーキもかなり余ってるよね?」
満遍無く食べ続けているパピが、あまり手を付けられていないステーキの山を見て驚いている。
こういう米帝流のシンプルな料理を、寮でシンが作ったのを見たことがなかったのであろう。
「これはニホン産の牛肉なんで明日の朝食用のサンドイッチに流用しますけど、パスタはスパニッシュオムレツにしても余っちゃいそうですよね」
「いや、このボロネーゼは私が処分するから余らないだろう。
普段はシンが作らないメニューだけど、とっても美味だしな」
意外にもケイは、ボロネーゼのパスタが好物だったようである。
「うわっ、サラさんずいぶんと食べましたね。
ピッザは殆ど残ってないな」
「テキサスのピッツェリアは、厚手のパンピザが主流だからな。
こういう本格的なマルゲリータは、滅多に食べれないんだよ」
「なんだ、言ってくれればいつでもカーメリまでジャンプで送迎するのに」
「行くならエイミーが居るTokyoにしておくよ。
カーメリに行くと、仕事が絡んできてゆっくりとピッザを味わう余裕が無いからな」
サラは生ビールの泡を唇に付けたままで、にこやかに返答する。
「今日は、カレーを用意しなかったんだね」
ケイは普段シンが作らない料理を堪能しながらも、ニホン式のカレーが無いのを意外に思ったのであろう。
「定期配送便でカレールーが世界中の拠点に行き渡っていますから、初日から出さなくても良いかなと。
明日はメニューに加えますけど、盛大に余ったりして」
「いや、シンそれは甘いな。
ニホン式カレーは、美味しいご飯とトッピングとのバランスが大事だからな。
誰が食べても、お前が用意したカレーはレヴェルが違うのが分かると思うぞ」
自分の皿にパスタを大盛りで補充しながら、ケイが呟く。
調理後かなり時間が経っているボロネーゼ・スパゲティは見た目が良くないが、ソースに関してはアイ直伝のソフリットを使ったものなので冷めてもそれなりに美味しいのだろう。
「そうですかね?
まぁ初日の事がありますからトッピングのカツは大量に用意しますけど、想定外の事が良く起きますからね」
☆
ブートキャンプ2日目。
前回のブートキャンプでは重点項目で無かった『初級ハンドガン』を、今回はかなり時間を掛けて行うようである。国民皆兵であるプロメテウスであってもトーコのように実銃を触るのが初めてというメンバーも多いらしく、カリキュラムはまず初歩である座学からスタートしている。
「構造と種類については、これで大まかな説明は終了だ。
それでハンドガンを手に取る場合、まずやる事は何かな?」
メインのインストラクターであるケイは、最前列に座った自信満々のブラウン・ヘアの子を指名する。
「はい。薬室に残弾があるかどうか『自分自身』で確認する事です」
「その通り。
母親から既に教わっているメンバーも多いと思うが、銃器に関しては『だと思った』や、『筈である』という思い込みは非常に危険だ。
マズルコントロールを含めて、習慣というよりも無意識に身体が反応するようになるのが絶対に必要だ」
ケイは教壇のテーブルに置いてある1911A1を手に取ると、マガジンを外しスライドオープンの状態に固定する。なんとここまでの動作に、1秒も時間は経過していない。
「それじゃ、全員にまず基本中の基本を覚えて貰おうかな」
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メンバー全員が反復練習を繰り返し、座学が再開される。
「トーコ、いままでの人生で本物の銃を撃った事は無いと思うが、実物を手にしてどう感じる?」
「……正直に言うと、とっても恐ろしいと思います。
特に銃口を目の前にすると、不安を感じます」
「そう。それが正しい感情だ。
銃を扱い慣れてくるとぞんざいに扱う奴が出て来るが、そういう奴は因果応報で酷い目に合うのは間違いない」
「教官、このハンドガンはかなり年季が入ってますけど、何か由来があるんでしょうか?」
「ああ、この1911A1は、我々の同僚が常に携帯して50年以上使い続けたMasterpieceだ。
フレームや銃身を含めて殆ど全てのパーツが交換されているが、このグリップパネルだけは唯一交換されていないそうだ」
サムセフティは通常より大きめのものに交換され、リアサイトもアジャスト機能が無い競技用のものに変更されている。
トリガーも含めてかなりチューニングされているが、外見は地味であり虚仮威しのモディファイで無いのが一目でわかる。
摩耗したチェッカリングが入ったグリップパネルは今では入手が難しい黒々としたエボニー材のようだが、ところどころ赤黒い滲みのような模様?が見える。
「我々の同僚には、ライフルで地対空ミサイルを撃ち落とす腕前を持った猛者も居る。
またキャリアが長い司令官諸氏は、例外無くハンドガンの腕前はグランドマスタークラスだ。
携帯するハンドガンやライフルは、自分の身を守る最後の武器であるのを決して忘れないように」
血飛沫を浴びながら半世紀に渡り生き残って来たこのハンドガンは、単なる携帯武器では無くまるで生き物のような存在感が感じられる。
訓練生達は自身の人生の数倍長生きし強烈な存在感を発する『鉄の塊』を眺めながら、身の回りにはこんなに長持ちしている道具は何も無いのに改めて気がついてしまう。
(シンが言っていた付喪神というのは、楽器以外にも宿るものなのでしょうかね)
弾き手を選ぶ古い楽器のように、このハンドガンも持ち主を選ぶのかとトーコはぼんやりと考えていたのであった。
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