015.Far Cry
雫谷学園のカフェテリアは、年中無休の24時間営業である。
寮には自由に使えるプロ並みの厨房設備と常時補充されている豊富な食材はあるが、食事を作ってくれる専任の職員は居ない。
よって入学当初のトーコのようにカフェテリアの食事で生活の全てを賄っている生徒もいるので、いつでも空いているのがとても重要なのである。
学園の入っているオフィスビルは夜間は入り口が閉鎖されているが、生徒や教師は夜間通用口から専用エレベーターを使って登校する事が出来る。
校内は他から独立したフロアになっているのでビルの警備員が巡回することもないし、多数の監視カメラによるSIDのチェックがあるのでセキュリティは万全である。
もちろん学園の職員は夜間には最低限度の人数が常駐するだけで、基本的に校内に居る人間は少ないのであるが。
ユウは週一コマの授業を担当するようになったが、併せてカフェテリアの夜間の厨房を同じ日に任されるようになっていた。
メトセラのコミュニティから距離を置いて育ったユウは、料理の腕前以上にヒューマンスキル?を評価されているので夜間のシフトには最適なのだそうだ。
また彼女が担当している時間帯には普段出されない本格的な寿司や刺身盛り合わせが注文出来るので、それを目当てに夕方から晩酌に訪れる教員や学園関係者も多い。
「Estoy con hambre.
Dame algo para comer!」
夕食の時間帯が過ぎて深夜に近い人が疎らな時間帯に、小柄な女の子が厨房のカウンターに居るユウに早口で話しかけて来た。
ユウにとっては久々に聞いたスペイン語である。
マリーと良く似た可憐な容姿だが、マラソンランナーのような印象を受ける筋肉質のアスリート体型はマリーとは大きく違っている。
髪型も似ているが、色が灰色がかってくすんだブロンドなので見間違えることは無いだろう。
「今日は日本食しかないけど、大丈夫?」
ユウもくだけた口調のスペイン語で返答する。
「あれっ、いつもの叔父さんじゃないんだ。どんな料理があるの?寿司?天ぷら?」
こくりと首をかしげる仕草も、マリーにそっくりである。
「直ぐに出来るのは、揚げたチキンとライスに甘辛いソースを掛けた奴。時間をもらえれば、日本食なら何でも出来るけどね」
「それ美味しそう!すごくお腹が空いてるから、量多めでお願い!」
マリーを連想させる容姿からユウはかなりのボリュームで大皿に盛り付けてしまったが、彼女はそのボリュームに驚くことも無く凄い勢いで食べ始める。
「足りなかったら、好きなだけお代わりできるから言ってね」
フライヤーで追加のチキンを大量に揚げながら、ユウは彼女に声を掛ける。
食べる勢いがCongohトーキョーで見慣れているマリーとそっくりなので、直ぐにおかわりしてくるだろうとユウは見当をつけていた。
「おかわり!」
満面の笑顔で彼女はカウンターにやってきて、米粒一つ残さずに綺麗に平らげた皿を出してくる。
都合3回のおかわりとラーメンどんぶりの豚汁も飲みほして、彼女はやっと満腹になったようだ。
「気に入った?」
他にお客は全くやって来ないので、同じ席に座ってユウは彼女の話し相手になっていた。
「チキンもスープもすっごく美味しかった!お姉さん、いつもここに居てくれると良いのに」
初対面のユウに対しても物怖じしない堂々とした態度は、マリーと共通しているかも知れない。
「あはは。
私はユウ、ここは頼まれて臨時にやってるんだ。
あと週一回の格闘技のクラスも受け持ってるよ」
「えっ先生だったの!失礼しました……私はルーと言います」
「ルーは普段はどんなものを食べてるの?」
「食事するのはここだけだし、サンドイッチとか、パスタとか。
あの優しい叔父さんは話し相手にはなってくれるけど、メニューはワンパターンだから……」
「あはは、その人ここの校長先生だよ!」
「えっ、ホントに?」
「ニホンに来てどれくらいなの?」
「先月来たばっかり。自習室でニホン語を勉強してるんだけど、難しくてまだ昼間に来るのは気おくれして……」
「殆どの先生が英語かスペイン語が分るでしょ?」
「うん……でもクラスメートはみんなニホン語を話してるんでしょ?
生まれて初めて通う学校だから、友達をたくさん作るためにもニホン語がまず話せるようになりたいんだ」
「ねぇ、SID聞いてる?」
「はいユウさん」
天井のコミュニケーターから突然聞こえてきた声に、少女は驚いている。
ユウがスペイン語で尋ねたので、SIDの返答ももちろん同じスペイン語である。
「ここの自習室にあるニホン語教材って、どういうの?」
「一般的な市販の教材ですね」
「Tokyoオフィスの、HMDを使うアレと比べると?」
「学習効率が著しく違うと思います。ただしHMDを使えるかどうかは、適性の問題がありますから」
「……ねぇ、ルー? しばらくうちのオフィスに来て勉強しない?専用のプログラムがあるから、短期間で二ホン語を覚えられるかも知れないよ。
校長先生には、私から許可を貰うから」
SIDの発言を聞き一瞬だけ考えた後、ルーの目を見ながらユウは言った。
ルーがメトセラの血筋なのはユウは既に気が付いていたが、初対面である彼女の性格まではわからない。
押し付ける事で逆効果を及ぼしてしまうのを、ユウは懸念していたのである。
「……」
「それに……うちのオフィスの御飯は凄く美味しいよ」
「行く!」
食事で釣るのが有効なのは、マリーと共通している様である。
☆
「という訳で、しばらくこちらで預かることになりました」
ユウは同席しているルーに不安を与えないように、スペイン語でフウに話しかける。
「ああ、了解。彼女のことは、ジーから聞いてるし好きなだけ居て大丈夫だ。
それにしても、マリーに似てるなぁ」
フウも流暢なスペイン語で答える。
「フウさんもそう思います?」
リビングに居合わせたマリーは、ルーを身じろぎもせずにじっと見ている。
ルーは先日の堂々とした態度から一変して遠慮がちに目を合わせずに居るが、気になるのか時折マリーをちらちらと見ている。
「マリー、暫く彼女はここに滞在するから内部を案内してくれる?」
「了解!
それじゃあ建物の中を案内するから、付いてきて」
マリーがいつものニホン語のたどたどしい語り口とは違う、滑らかなスペイン語でルーに話しかける。
初対面にも関わらず自然とお互いの手を握って横並びに歩く姿は、どう見ても血の繋がった姉妹のようにしか見えない。
「ナナに問い合わせるまでも無く、あの子はマリーと血縁があるんだろうな。
お互いに直ぐに分かったみたいだし」
ニホン語に切り替えて、フウが真剣な口調で呟く。
「あの娘もやっぱり『ノア』なんですかね」
「ああ、不遇に育てられた彼女達を保護するのも、我々の大きな使命だからな。
校長のやつ、これを分かっててお前を夜間シフトに入れたな」
「なんでそんなに回りくどい事を?」
「面と向かって世話しろというよりも、お前が自ら手助けするように仕向けたんだろう。
マリーがお前に懐いている実績もあるしな」
「利用されるのは構わないんですが、それよりも彼女が学園に馴染めるようになって欲しいですね」
防衛隊大学校で集団生活に馴染む苦労を経験したユウは、真剣な口調で呟く。
ユウの場合は言葉が通じただけましだったが、異なる文化圏の中でいきなり集団生活をするのが如何に大変であるか身に染みているからだ。
「ああ、優秀な人材確保は人手不足の我々にはいつでも優先事項だからな。
ニホン語がある程度習得できたら、シンに声を掛けておけば大丈夫だろう」
「はぁ……」
いつもの事ながら、何かと難題を押し付けられてしまうシンを気の毒に思うユウなのであった。
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