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039.You're Worthy of My Praise

「シンって、苦手な事ってあるんですか?」


 朝食後の寛いだ時間の中で、タルサはシンと雑談をしている。

 エイミーとトーコは体術の訓練のためTokyoオフィスに向かったので、既に寮には居ない。

 シリウスは散歩と護衛を兼ねて、二人と一緒である。

 リラは最近の習慣で街歩きに繰り出しているが、ルーは土地勘の無い彼女の為に保護者として同行している。


 ここで漸くハナが気怠げな動作で起き出して来た。明け方までコーディングをしていたのか、瞼が重そうでまだ半分寝ている状態である。

 シンは意思を振り絞って起きてきた彼女の為に、ソファから立ち上がり朝食のお膳をセットし始める。

 朝方のメンバーが揃っているこの寮では、マイペースで夜型の生活をすると疎外感を感じてしまうのである。

 

「苦手な事……得意じゃない分野ってこと?」

 ハナの前でてきぱきと配膳しながら、シンは思案をしているような表情である。


「だって何をやっても、完璧にこなしてるじゃないですか?

 もしかして苦手な事って、何も無いような気がして」


「そりゃ買い被りすぎじゃない?

 ハナ、今日は納豆は要る?」


 彼女はいまにも崩れ落ちそうな様子ながら、シンにコクリと小さく首肯する。

 大盛りにした丼飯(どんぶりめし)の横に、シンは小鉢に入れた納豆を置いてから作ってあったハムエッグの皿を配膳する。

 納豆はアイの提供してくれた納豆菌から作った自家製で、小粒大豆が使われている。


 ここでリビングの床で背伸びをしていたクーメルが、ソファに腰掛けているタルサに近付いてくる。

 警戒心がとても強い彼女にしては、まだ初対面に近い彼女に自ら接近するのは珍しいだろう。

 もしかしたら、自家製納豆の香りに誘われたのかも知れないが。


「……ああ、それを言うと、食べ物と音楽以外のモノづくりは苦手かな?」


「???」

 ここでタルサの膝の上に、クーメルがよじ登って来る。

 出かける前にシリウスが体をこすりつけて挨拶していたので、彼女の着衣に残り香があったのだろうか?

 クーメルは安心した表情で、タルサの膝の上に収まり欠伸をしている。


「この間厨房にピッザ窯を作って貰ったんだけど、ああいう機能的でしかも美しいモノを作れる人は尊敬しちゃうよね」


「シンさんって、工学系や造形を勉強した事があるんですか?」


「いや、機会が無くて全然。

 幼少時は詰め込みでハイスクールの授業は免除されてたから、音楽以外の芸術(アート)は全く学ぶ機会が無かったんだ」


 シンはハナから空になった丼を受け取って、お代わりを保温ジャーからよそっている。

 想定外にご飯が余っているので、シンは出かける前にお握りでも作ろうかと在庫している具材を思い出していた。

 今日はケイとパピが非番なので、まだ自室で寝ているからである。


「うちの母が言ってましたけど、無限の時間がある私達にはそれぞれ学ぶべき季節があると。

 多分シンさんはまだ音楽の季節の真っ最中で、他の能力を伸ばす時期じゃないんでしょうね」


 クーメルの背中や頭を優しくマッサージしながら、タルサは穏やかな声で返答する。

 彼女はリラックスして寝たままなので、タルサは猫の扱いにもかなり慣れているのだろう。


「ああ、そうかも知れないね。

 今は新しい事を始める余裕は、僕には無いかも知れないなぁ」


 ハナの為にカプセルマシンにラテをセットしながら、シンはソファに再び腰掛ける。

 クーメルが羨ましかったのかシンの膝の上に乗ってきたマイラは、シンとタルサの話題をじっと聞いている。

 彼女は見掛けの幼さと違って、二人の会話の意味をしっかりと理解する高い知能を持っているのである。


「うちの母も、ピアノが凄く上手なんですけどシンさんは知ってましたか?」


「いいや、全然。

 サラさんとは話す機会も少なく無かったけど、音楽の話はした記憶が無いなぁ」


 シンはマイラの体に腕を回して、リラックスしている。


「そういえばマイラは、ここ最近は料理の手伝いを一生懸命やってくれてるよね?」


 一時の気紛れでは無く厨房で作業を手伝ってくれるマイラは、かなり厨房機器の取り扱いに慣れてきている。


「うん!此処は、美味しいものに溢れてるから!

 でも他にも興味があるものがあり過ぎて、困ってるんだ!」


 体術にも興味があるマイラだが、エイミーと比較すると筋力が足りていないので訓練への参加は保留になっている。

 ただし料理については日々の食事の用意を手伝っているので、エイミーと一緒にニホン料理の基礎をユウに習い始めている。


「いつかユウさんみたいになるのが、目標なんだ!」


「ユウさんの料理の腕前は、小さい頃からの修行の成果だからね。

 諦めずにずっと続けるのが、何より大切なんだろうね」



                 ☆



「何か買うものはあるかな?」

 タルサのリクエストでオチャノミズまで来たシンは、連絡車を停めた駐車場から楽器街に向けて歩いている。

 今日は授業が無いマイラが同行しているので、シンとまるで親子のように手を繋いでいる。

 お出かけでシンを独占出来る機会は多くないので、マイラは終始ご機嫌である。


「ええっと、5弦ベース用の弦ですかね。

 あとは面白い小物があれば、買いたいですけど」


 エレクトリックベースを扱っている店舗を数件回ると、通り掛かった管楽器の専門店の前に小さな人だかりが出来ている。


「へえっ、メーカーのデモ演奏は珍しいね」


 シンセの自動伴奏に合わせて、デモは生音で行われている。

 街角の生演奏の割には、その音色はかき消される事も無く楽器店通りに心地よく響き渡っている。


「楽器が売れない時代ですから、ポリカーボネイトの廉価な管楽器が沢山出てきたんですよ」


「へえっ、音色を電子制御しない、ほんとのウィンド・インストルメントなんだね」

 ソプラノサックスを少しだけ連想させる音色は、リコーダーやケナーにも聞こえる。

 さすがにメーカーのデモ要員だけに、表現力を強調した演奏は聴き応えがある。


「シン、私でもあの位演奏できるようになれるかな?」


 以前体格的にベース・ギターは無理と言われてしまったのが悔しかったのか、マイラはシンに尋ねてくる。

 配っているカタログを見たシンは、リコーダーのようなサイズのデモ楽器がサイズ的にも小さく軽いのを確認する。


「リード楽器だから最初は音を出すのも苦労すると思うけど、頑張り次第ですね」

 ここでタルサが、マイラの頭を撫でながら呟く。


「もしかして、タルサは管楽器の経験もあるの?」


「ええ。サックスなら人前で演奏する位は出来ると思いますけど」


「ねぇタルサ姉、教えてくれる?」


「うん、いいよ。

 シン?」


 シンは既に店内に入って、デモ中の楽器を購入しているようだ。

 初級の教則本と一緒に手提げのビニール袋に入った楽器を、店内から出てきてすぐにマイラに手渡している。


「ああっ、シンありがとう!」


「マイラにはいつも料理の手伝いをして貰ってるし、これはお駄賃代わりかな」


 マイラには学園から定期的に小遣いが支給されているのだが、彼女が私物を買っているのを見たことが無い。

 コンビニや駄菓子屋でおやつは買っているようだが、無駄遣いをしないのは過去の経験があるからなのだろう。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「シン、お腹空いた!」

 駐車場に向かう途中で、嬉々としてビニール袋を下げているマイラが声を上げる。


「う〜ん、この辺りは色んな店が有りすぎて困るんだよなぁ」


 学生向けのボリュームのある定食屋もあるが、いつも行列が出来ているのでマイラを連れていくのは躊躇われる。

 彼女はかなりの量を食べれるが、高いカウンターの店だと身長の関係で食べ難いのである。


「そうだマイラ、『タレカツ丼』は食べた事があるかな?」


「それって、普通のカツ丼と違うの?」

 言うまでも無いが、卵でとじたカツ丼はマイラの大好物である。


「うん。ニイガタのご当地メニューで、卵を使っていないカツ丼なんだよ」


「ふぅ〜ん、食べてみたい!」


「それじゃお昼は『タレカツ丼』にしようか。

 癖がないから、タルサも食べやすいと思うし」


 今までの食事の様子から半熟卵を彼女が苦手にしているとは思えないが、地雷というのは意外な処にあるものである。

 暖簾が掛かった店は、ランチタイムも一段落したようで背の低いカウンター席が3人分しっかりと空いている。

 マイラが問題無く使えるのを確認した後に、3人はカウンター席に腰掛ける。


「二段盛りかつ丼を2つ特盛りで、あと1つは普通盛りで下さい……あと温玉を1つ追加で」

 カウンターに迷う事無く注文したシンは、過去に来店した経験があるのだろう。


「マイラ、カウンターの高さは苦しくないかな?」


「うん。そんなに高くないし、大丈夫だよ」


 当然の事ながら、マイラの前には普通盛りが配膳されそうになるが、シンは自分の方が普通盛りだと店員さんに配膳しなおして貰う。

 こちらからリクエストしていないのに関わらず、マイラのお膳には割り箸以外にもレンゲが食べやすいように置かれている。


「うわぁ、ほんとに卵を使ってないんだ」


「途中で味を変えたい時には、この温玉を掛けると良いよ」


「うん、この甘辛い味付けが美味しい!

 ご飯に染みてる分は、鰻丼みたいだね!」


 普通のカツ丼よりも濃い目のタレの味は、寮で甘辛い味に慣れているマイラの嗜好に合っているようだ。


「ニホンの人はこういう甘辛い味付けが好きなんですね。

 なんか食欲が刺激される味です」


「あっ、中のご飯にもカツが入ってるんだ!」

 丼ものを食べ慣れているのか、マイラの食べる様子は米粒を飛ばす事も無く綺麗である。


「ねぇシン、今度寮でも食べたいな!

 これなら作りやすいでしょ?」


「そうだね。今度ユウさんにタレの作り方を習っておくよ」


「やたっ!」


「寮のご飯も美味しかったですけど、ここのご飯も美味しいですね。

 粘り気が少ない分、こういうタレが掛かったご飯に合っているような気がしますね」


「ニホンには美味しい品種のご飯がたくさんあるからね。

 それに掛け合わせて、さらに新しい品種がどんどん作られてるから。

 ユウさんと一緒にテイスティングをすると、ほんとうに驚かされるんだよね」


 Congohの定期配送便のお米は、毎年ユウが銘柄を選定している。

 ただ美味しいだけでは無く流通量の確保も必要なので、選定作業はかなり大変なのである。


「僕はユウさんほど繊細な味覚を持ってないから、ユウさんには頼り切りなんだけどね」


 ここでTokyoオフィスで体術の授業中のユウが、クシャミをしたかどうかは定かでは無い。

お読みいただきありがとうございます。

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