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037.Strong Enough

 コンサートの翌日。


 シンはタルサと一緒に、カナガワの某所を訪れていた。

 今日は楽器以外にも荷物があるので、移動にはジャンプでは無くCongohの連絡車を使用している。


「飛び込みで作業をお願いしちゃって、申し訳ありません」


 シンは習慣になっている差し入れを渡しながら、工房主のマツに頭を下げている。

 同行して来たタルサは、粗末なプレハブに似つかわしくない室内設備とのギャップに驚いているようだ。


「いや、他ならぬシンの頼みだからな。

 それで彼女は、シンの新しいガールフレンドかい?」


「……ははは。彼女は僕の住んでいる学生寮の新人さんです。

 年は若いですけど、かなりの凄腕ベーシストなんですよ」


 タルサは一瞬だけ首を傾げていたが、すぐに普段の穏やかな表情に戻っている。

 もしかして『新しいガールフレンド』という点をシンにスルーされたので、感情が動いたのであろうか。

 テキサス育ちの彼女は、想像以上にサラの気質を強く受け継いでいるのかも知れない。


 ちなみにシンは、マツに対して昨日のオープニングアクト出演についての説明は省いている。

 本来ならニホンにこの時間に戻れる筈が無いので、当然の事なのであるが。


「今日持ってきたのはピーカン・パイなんですけど、すぐに食べますか?」


「ああ、丁度3時休憩しようと思ってたんだ」


「それじゃ、僕がお茶を入れますね」


「客なのに、悪いな」


「これは……カスタムショップのNOSかと思ったら、正真正銘のデッドストックなんだな」

 頑丈なギグバックから取り出したエレキ・ベースを見て、マツはすぐにこの楽器の正しい由来を言い当てる。


「はい。母の知り合いの方が秘蔵していたのを譲り受けたんです」


 彼女はかなり流暢なニホン語で、マツに返答する。

 入寮の為に学習していたとは言え、短期間で知らない語学を習得できるのはメトセラの特徴的な能力なのである。


「ヴィンテージとしての価値よりも現役の楽器として調整して貰うなら、マツさんの所しか無いと思いまして」


 シンがケーキを切り分けながら横から補足するが、これはタルサに対する説明という意味が大きいのであろう。

 マツはニホンでもトップクラスのギター製作者だが、一般的には知名度が高くないからである。


「いやぁ、工場で作られた大量生産品なんだけど、このハードメイプルの質が良いこと!

 この時代のF●nderの素材は、羨ましいの一言だな」


 マツは細部をチェックしながら、感嘆の声を上げている。

 アラスカの個人倉庫で保護用ラップが外れていたパレットを思い出したシンは、このベースの由来について密かに納得していた。


「NYのリペアショップでセッティングして貰ったんですけど、音が今ひとつしっくり来ないので。

 もっと良い音が出ると思うんですけど」


「了解。大きな加工は必要なさそうだから、今この場でバランスを取るために組み直してみようか。

 そこのウッドベースでも弾きながら、待っていて貰えるかな?」


 マツは気が急いているのだろう、ピーカンパイを手づかみで口に収めて立ち上がろうとしたが

 頬張ったケーキの味に思わず動作を止めている。


「美味い!相変わらずシンのお土産はハズレが無いな!

 ニューヨークの高級ステーキ屋で食べたのより、こっちの方が美味しいぞ!」


 切り分けた残りのケーキも急いで頬張ると、ここで改めてマツが立ち上がる。


「マツさん、このベースは曰く付きじゃないですよね?」


 タルサがチューニングを初めたウッドベースを見て、シンが念のためにマツに確認をする。

 この工房では作業待ちの依頼品は厳重に鍵の掛かる保管室に置いてあるので、無造作に立てかけてあるのは殆どがマツの私物なのである。


「ははは。もちろん曰く付きだけど、例のギターほどは極端じゃないから普通に弾けると思うぞ」


「ああ、それじゃあの壁のギター、借りて良いですか?」


「おおっ!あいつはシンに弾かれると格段に良い音が出るからなぁ」


 ウッドベースをチューニングしたタルサは、慣れた様子でスケールを弾き始める。

 普段はフレットレスの楽器は弾いていないにも関わらず、運指は滑らかでピッチもとても正確である。


「あれ、ウッドベースも弾き慣れてる?」

 シンはチューニングしながら、彼女のスムースな運指に驚きを隠せない。


「ええ。

 バークレーの授業でも、かなり弾いてましたからね」


 チューニングを終えたシンは、ベースラインに合わせてカッティングを始める。

 それはブルーズの演奏というよりも、まるでジャンゴ・ラインハルトのようなメランコリックなコード進行である。


 ここで彼女が奏でるメロディが、ジャズのスタンダードナンバー風に変わる。

 シンは一瞬にしてコード展開を変えて、ベースラインについて行く。


 コンサートではあくまでも裏方(バッキング)に徹していた彼女の演奏だが、こうしてメロディを奏でるスタイルも実に素晴らしい。

 息の会ったデュエットは時間を忘れたように続き、気がつくと一時間以上が経過していた。


「いやぁ、良いものを聞かせて貰えたな!作業しながら耳の保養になったよ」

 作業を終えたベースをタルサに手渡しながら、マツは上機嫌である。


「いえ。こちらこそ久々にウッドベースを触れて気分が良かったです!」


「アンタの演奏スタイルだと、5弦ベースが合ってそうだな。

 このベースも素晴らしいが、もうちょっとハイの音が欲しいんじゃないかい?」


「はい。

 でも地元の楽器店で試奏しても、ピンと来る5弦ベースが無いんですよね。

 私は楽器メーカーのスポンサーを受けてる訳じゃないので、中々良い楽器に巡り会えないんですよ」

 

 マツが組み直したベースを、タルサは気持ちよさそうに弾いている。

 この工房の試奏用アンプであるヴィンテージBASSMANから、実に締まったベースサウンドが飛び出してくる。


「どうだい?」


「凄い良いです!」

 タルサは満面の笑みを浮かべて、しっかりとサムアップをしている。


「ふふん。シン、この後何か予定が入ってるかい?」

 マツは腕組みしながらも、なにかを企てているような不思議な表情をしている。


「いいえ。特に用はありませんけど」


「それじゃ、ちょっと待っててくれ」

 マツは金庫並に厳重な保管室の扉を開けて、中に入っていく。

 数分後、マツはかなり分厚いクッションが入ったセミハードケースを持って戻ってきた。


「これは俺が作った最後の5弦ベースだ。

 オーナーが金欠なんで、やむを得ず売りに出したのを預かってるんだ」


 くすんだ黄金色(アンバー)に塗装されたボディは、一見してF●nderと同じようなボディラインだが細部が違っている。

 5弦ベースを手渡されたタルサは、膝の上に置いたベースを確認するようにゆっくりとチューニングする。慣らし運転のようにスケールを弾き始めると、険しかった彼女の表情が一転して和らいでくる。

 先程のウッドベースの演奏よりも細かい音符を刻む速弾きは、一昔前の超絶技巧を誇ったニューヨーク出身のベーシストの曲であろう。

 速いパッセージにも破綻しない芯のあるその音色は、周囲で聞いている人間を不快にしない音楽性に溢れている。


「……こんなピッチが正確なベースは、生まれて初めて弾きました!

 ボディも重すぎないし、実に身体にフィットする感じです!」


 絶賛する彼女の表情は、5弦ベースを如何に気に入ったのかひと目で分かるものである。


「マツさん、これ売りに出てるって言ってましたよね?

 幾らなんですか?」


「う〜ん、本来なら俺もマージンを取るとこなんだけど……利益殆ど無しで4,000Bucksかな」


「ああ、それならマージンを含めて僕が出しますよ。

 彼女の母上にはお世話になってますし、彼女の昨日分のギャラとして丁度良いでしょう」


「シンさん、いくらなんでもオープニングアクトのギャラとしては高すぎますよ!」


「いや売り主から、コレクターや下手糞な奴には絶対に売らないでくれって言われててさ。

 あんたなら持ち主として相応しいんじゃないか?なぁ、シンもそう思うだろ?」


「ええ。

 きっとこのベースに、タルサが呼ばれたんでしょうね」


 『呼ばれた』というシンの一言に、大きく納得したように頷くマツなのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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