035.Be The Change
小一時間後。
タルサの旺盛な食欲に驚かされながら食事を終えた一行は、シンに促されてボックスシートから立ち上がった。
ほんの数分前にコミュニケーターの画面を見てからシンは口数が少なくなったので、何か問題が発生したのかも知れない。
「ヌマさん、タケさん、このまま裏口から出てホテルへ戻って下さい。
お二方が巻き込まれると厄介な事態になりそうなんで」
レンタカーのキーを渡しながら、シンは二人にニホン語で呟く。
店の裏口の近くである従業員スペースに駐車したのは、どうやらこういう事態を想定していたのであろう。
「???」
訳がわからずにシンの指示に従った二人が裏口から出たのを確認し、シンは時間を稼ぐ為にゆっくりと会計を済ませる。
テーブルに置いたのと別にチップを渡しながら、シンは馴染みのウエイトレスの耳元に何かを囁いている。
彼女は即座にレジ横の電話機を取って、短縮ダイヤルで連絡を取り始めている。
「……シンさん!」
ここでタルサは正面入り口の付近で、制服姿の数名がウロウロしているのに気がつく。
その服装は彼女も見慣れている空軍基地の憲兵であり、彼らの背後には見慣れた人物が腕組をして正面ドアを睨んでいる。
レンタカーがスタートしたのを確認し二人が両開きドアから外に出た瞬間、恰幅の良いその人物から鋭い声で憲兵二人に命令が出される。
「その男を連行しろ!」
「少将、あの……彼は軍人に見えませんし私達には逮捕権がありませんが?」
「娘の誘拐容疑だ!
現行犯だから問題なかろう!」
タルサ本人は、無言で父親をじっと見ている。
その呆れたような表情は、過去にも同じような事があったのを連想させる。
「……君、申し訳ないけど拘束させて貰うね。
すぐに誤解は解けると思うから」
ここでシンは少将に向けて踵を鳴らし両足を揃え、慣れた様子で敬礼を行う。
その叩き込まれた動作で、憲兵である二人にはシンが軍務経験者であるのを即座に理解する。
「サー、自分はプロメテウス義勇軍環太平洋部隊所属のシン少尉であります!
自分が米帝第19軍に拘束される理由を、伺っても宜しいでしょうか」
ここで2人の憲兵はシンが名乗った所属を聞いて、拘束する手を止めて少将の反応を見ている。
軍属であっても他国の士官を拘束する権限は彼らには無いし、国際問題になることは必至だからである。
「そんな戯言で誤魔化されると思うなよ!
さっさと拘束するんだ!」
タルサの鋭い視線を避けながら、憲兵に命令する少将の怒鳴り声はヒステリックで常軌を逸している。憲兵二人は対照的に落ち着き払っているシンの様子に、どうして良いかわからない状態である。
ここで駐車場へレンタカーと入れ違いにタイヤを鳴らしながら、ミアータが入って来た。
急ブレーキをかけた車からは、スマートフォンを片手にしたシンが良く知る人物が颯爽と降りてくる。
「ちょっと待った!
Dick、私の店の前で随分と勝手なことをしてくれてるわね」
どうやら制服姿の少将は、アイと面識があるようだ。
「か、勝手では無いっ!この若造は私の娘を誘拐しようとしていたのだ!」
少将はアイの鋭い視線に顔をそむけながら、打って変わってモゴモゴと小さな声で弁解をしている。
正面から顔を見れないのは、どうやらアイに対して苦手意識があるのだろう。
「誘拐犯が所属まで明らかにする訳は無いでしょう?
ちょっとこの電話の相手と、話をしてみる?」
ハンズフリーのスマホからは、シンがこれも良く知っている相手の声が響き渡る。
「リチャード少将、いろいろと裏で危ない事をしてるみたいね!」
「だ、大統領閣下!」
思わぬ事態の進行に、憲兵二人は動きを止めてフリーズしている。
「そこに居るシン君はホワイトハウスの嘱託職員でもあるんだけど、それでも拘束するつもり?
あなたの首が飛ぶ位で済めば良いけど、国家反逆罪で軍法会議がお望みかしら?」
「私は娘を守りたかっただけだ!こんな若造は娘には相応しく……」
「あなたも良く知っているホワイトハウスの空爆事件だけど、解決したのは殆ど彼一人の功績よ。
彼は優秀な歩兵というだけでは無く、パイロットとしても超一流の腕前を持っているわ」
「……こんな若造が……そんな功績を!
何かの間違いに違いない!」
「あのねぇ……彼はあなたが崇拝しているレイ准将の秘蔵っ子なのよ?
いい加減に、自分の立場を弁えなさい!」
「そんな……」
がっくりと項垂れた彼は、大統領にダメ押しをされて呆然自失な表情である。
「あなたは暫く自宅で謹慎してなさい。
タルサ、久しぶりね。元気にしてた?」
「はい大統領閣下。
暫くシンさんの処でお世話になりますので、元気溌剌です」
「正直羨ましいけど、あなたはシンの側に居るのが最善かもね。
子離れができない父親の元では、窮屈で仕方がないものね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
ホテルの部屋を訪ねると、タケさんが安堵した表情で駆け寄ってくる。
シンが憲兵に詰め寄られていたのをミラー越しに見ていたが、何処に助けを求めるべきか分からなかったのであろう。
テキサスにもプロメテウスの在外事務所はあるのだが二人はその存在を当然知らなかったし、シンの国籍に関しても雑談で聞いただけで覚えていなかったのである。
「シン君、心配したよ!
なんであんな事に?」
「父が過保護なもので、ご心配かけて申し訳ありません」
シンの後ろに居たタルサが、流暢なニホン語を喋りながら頭を下げる。
「えっ、タルサちゃんてニホン語も出来るの?」
ここでヌマさんが驚いた表情で、タルサに返答する。
「まだ習い初めてから数ヶ月ですけど、日常会話程度ならなんとか」
「これだけ出来るなら、スタジオの仕事は問題無くできるかな」
シンのトラブルの件をすっかり忘れて、タケさんは嬉しそうな顔で呟いたのであった。
☆
翌日、本番のステージ。
バックステージでは、ジョーが上機嫌でシンと会話をしている。
「なんかシンが出演するって地元のラジオで告知したら、チケットが急遽完売してさ。
もしかして前列に居るのは、みんな君のファンじゃないのかな?」
確かにバックステージから客席を確認しても、普段のジョーのツアーよりは女性比率が高いかも知れない。
「まさか!
確かに全米アルバムチャートの下の方には入ってますけど、アルバム一枚しか出していない新人目当てにお客さんは来ないですよ。
あっ、すいません!追加のボーカルマイクはステージ中央でお願いします。
急遽参加するコーラスメンバーが使うので、レヴェルは高めで!」
シンは開演直前に、ローディーにボーカルマイクの追加をお願いしている。
「いや、そうとも言えないかな。
君はプロモーションビデオが一本あるだけで、実際に人前で演奏する機会が無かっただろ?
注目度はそれなりに高いと思うよ」
「それにしても、皆さんお揃いでどうしたんですか?」
「ああ、皆冒頭から参加したいみたいだよ。
オープニングアクトから出てもギャラは増えないって、全員に確認したんだけどね」
「そういうジョーも、やる気満々じゃないですか?」
ジョー本人もギターをぶら下げて、準備万端の様である。
「自分自身のショーだと制約が多くてさ。
ちゃんとボーカルを取らないと、プロデューサーから怒られるし。
たまにはギャラの範囲外のセッションで楽しませてよ」
「それじゃ行きますか!」
かなりの大人数になったオープニングアクトは、こうしてスタートしたのであった。
お読みいただきありがとうございます。