023.Begin Again
翌日、学園寮の厨房。
エイミーはワコージェットで到着したばかりのベルと、早速ミーティングをしている。
アラスカベース以外でも頻繁に顔を合わせている二人は、既に旧知の間柄である。
「設置場所は此処ですかね」
エイミーが指定したのは、空きスペースになっている換気ダクトの真下である。
普段なら厨房機器はシンの要望に従って設置されるのだが、今回のピッザ窯はカーメリで修行を積んだエイミーがメインで使う事になる。
シンも厨房の離れた場所に居るが、口を出さずに夕食の野菜の下拵えをしている。
「カーメリよりは、ほんの少し低めに作ろうか。
あそこは身長が高いメンバーが多いから、研修中も大変だったろう?」
メモ帳に大雑把な図面を描きながら、ベルがエイミーに尋ねる。
実はカーメリに設置されている薪窯も、彼女の作品なのである。
「ええ。でも足場も置いて貰ったし、こう見えて筋力はありますから作業には支障はありませんでしたよ」
「そういえば、会う度に身長が伸びているような気がするな」
「はい!シンの横に並んでも、見劣りしない身長になるのが目標ですから!」
エイミーとの距離が近すぎるシンは、彼女の日々の成長について実感するのは難しい。
横抱きにして運ぶ機会も一番多いが大統領や司令官クラスは上背も高く筋肉も多いので、彼女らに比べれば羽のように軽いとしか思えないのである。
「床の強度は大丈夫ですか?」
「ああ、この建物自体が異常な強度で出来ているからね。
既存の建物に入居したんじゃなくて、最初から要塞として使えるレヴェルで設計されているから」
「そういえば、全ての窓についたシャッターもチタン製ですものね。
壁も厚いし、要塞と言われてなるほどと納得しちゃいました」
近場にある雫谷学園は高層オフィスビルの中にあるので、有事の際には安全であるとは言い切れない環境である。
この学園寮はそれを補うために、かなり頑強な構造になっているのであろう。
入国管理局の二人が間借りしているのも、思わず納得出来てしまう建物なのである。
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夕食時。
カーメリからの帰還組が到着したので、寮の夕食は一気に賑やかになっている。
フェルマはアラスカ基地に長く居たので、当然ベルとも面識があるようだ。
「シン君、いつもこんなにご馳走なの?」
寮の食事に参加するのが久しぶりのフェルマは、ずらりと並んでいる大皿に驚いた様子である。
中華の炒め物やビーフン等の家庭料理ばかりなのだが、初めて見ると品数があるので豪勢に見えるのであろう。
「ええと、品数は二人で作るので大目になりますけど、フカヒレとか上海蟹とかの高級食材はありませんよ。
ちなみにマイラは好き嫌いも無くなって、今では自分でバランスを考えて食べてますね」
「シンの作る食事は、何でも美味しいんだよ!
食わず嫌いをしてると、いつの間にか無くなっちゃうから!」
「やっぱり、ここに預けて正解だったみたいね。
……うん、この細い麺の料理とっても美味しいわ!」
中華料理が得意なコックが居ないので、彼女が長期滞在していたアラスカベースでは中華料理は殆ど提供されていない。
食材としてのビーフンは定期配送便のリストに載っているのだが、調理方法が分からなければ発注するのも躊躇するであろう。
ちなみに冷蔵庫に入っていた作り置きの魯肉飯の餡は、今日はビーフンの具材にも使われている。
薄味に調理されたビーフンにかけて、混ぜ合わせて食べるのがタイワン風の作法なのだろう。
ピアは食べ慣れている様子でビーフンと白いご飯を交互に、左手のレンゲと右手の箸を両方使って食べている。
「シン、これはやっぱり新竹のビーフンなの?」
「ええ。
僕のリクエストで定期配送便のリストに載るようになったんですけど、良くご存知ですね」
「だってビーフンは大好物だもの!」
「米帝のテイクアウト中華だと、Mei Funって言うんだよ。
でもこれだけ野菜や具材が多いと、味が複雑で飽きなくて良いよね」
ベルは米帝暮らしも長かったらしく、テキサスやニューヨークの中華料理事情について説明をしてくれる。
現在の中華連合の領土は荒廃した汚染地帯なのであるが、中華料理だけは世界中に広まりこうして綿々と生き続けているのである。
「Tokyoオフィスのメニューはもうちょっと和食寄りですけど、あっちも美味しいんですよ」
エイミーはラーメン丼に入れた大量のご飯に、魯肉飯の餡をガッツリと盛り付けている。
カーメリに居た間はほぼ毎食がピッザだったので、ご飯を頬張りながら実に嬉しそうな表情である。
「ユウさんは、エイミーの料理のお師匠さんですからね。
今日は食事の支度があって、来れなかったのは実に残念でした」
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夕食後のリビング。
「それじゃ、早速ピッザ釜用の資材を手配しないといけませんね」
シンはいつものパイントグラスで、注ぎたての生ビールを飲んでいる。
カーメリやセルカークでもニホン製の缶ビールは手に入るのだが、やはり鮮度の違いで味が劣化するのは避けられない。定期配送便でも冷蔵クーラーは使用されているが、コストの関係で常温で配送される食材の方が多いのである。
「ああ、それはSID経由で発注済みだよ。
ただしかなりの重量があるから、玄関から設置場所まで運ぶのが大変だけどね」
大分体調が良くなってきたベックは、シンの傍でビールを片手に設置計画について耳を傾けている。
湯治以外に特にやることが無いので、暇を持て余しているのだろう。
付き添いのフェルマは、ユウが残していったオールドフォレスターのボトルをどんどん空にしている。
目の前に置かれた切り落としのチーズはシンがカーメリから拝借して来たもので、濃厚な味で蒸留酒のツマミに最適なのである。
「君はリハビリ中みたいだけど、設置を手伝ってくれるかな?」
ベルは介護要員として来ているフェルマに目配せするが、彼女は無言で小さく頷いている。
リハビリとして設置を行っても問題無いという、確認なのであろう。
「はい。基本的に暇なんで、喜んでお手伝いさせて貰います。
それに物を作るのは、大好きなんで」
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ベックとフェルマが自室に引き込んだ後、残っているシンにベルが話し掛ける。
「リハビリ中のあの子は、ヴィルトス能力が乏しいって聞いたんだけど?」
「ええ、僕もちょっと前までそう思っていたんですが。
でも先日のヘリの墜落時にコクーンを作ってましたから、潜在能力はかなり高いんじゃないかと」
ここでSIDがリビングの大画面に墜落現場の映像を表示させる。
食事時には見たくない凄惨な画像だが、此処に残っているのはベルとピア、シンだけなので問題は無いだろう。
「へえっ、このコクーンは綺麗な球形じゃないか。
あの子もしかしたら、造形の才能があるのかもね」
原型を留めない機体やその他の物体には触れずに、ベルは感心した様子である。
「注文した耐火煉瓦が来るまで数日あるから、その間にノルマを消化しようか?」
「でもこのリストだと、一日4軒になってますけど?」
シンは手渡されたプリントアウトに、目を通している。
言うまでも無いが訪問予定の店舗はすべてラーメン専門店であり、ご丁寧に営業時間や定休日も記載されている。
「大丈夫!黄色い看板の店がある場合には、3軒に減らしてるからね」
「小盛りのある店が多いのを、祈りたいですね」
「相変わらず、この寮では一番の小食なんだな」
「ええ。
長年の習慣で胃が小さくなってるのは、自覚しているんですけどね」
☆
翌日。
シンはベルを伴って、まず商店街の黄色い看板の店に来ていた。
当然ながら今回のラーメン店巡りの、一軒目である。
「へえっ、ここがルーが言ってた店か」
「平日の開店前ですから、行列も少ないですね」
シャッターが半開きの店は、開店準備の真っ最中なのであろう。
既に行列が出来ているので、もしかしたら最初のロットを茹で始めているのかも知れない。
「豚骨の香りが強く漂ってるという事は、店でスープも仕込んでるんだね」
「最近は近隣の住人が匂いでクレームを入れるらしいですから、世知辛い世の中ですよね」
シャッターが開いて入店が始まったので、ベルは券売機で小盛りチャーシューを2人前購入する。
すぐに着席出来たので、なんとか最初のロットを食べる事が出来そうである。
追加トッピングのコールは無しで、配膳された小盛りチャーシューを二人は食べ始める。
「スープの味は違うけど、この捩れた太麺はたしかにラグマンっぽいかな。
このタイプの麺はインスタントじゃ食べられないから、来た甲斐があったかも」
ベルの作成したリストは、カップ麺になった有名店が数多く含まれている。
カップ麺で食べた味と本物の違いについて、知りたいというマニアの心理なのであろう。
「ニホン人はうどんで太麺に馴染みがあるから、こういうのも好きなんでしょうね。
製麵機の最後のカットで、この手打ち風の捩れを出してるみたいですね」
シンは厨房の隅に見える、製麺機を見ながらベルのみに聞こえる小声で呟く。
周りの客に聞こえるようでは、内容にもよるが営業妨害になり兼ねないのである。
「……小盛りにしては普通のラーメン店の大盛り並のボリュームがありますね」
少食のシンは、既に満腹に近い状態になっているのだろう。
「シン、この間カーメリで危機一髪だったんだろう?
マリーみたいにエネルギーを備蓄できるようにならないと、いざという時に自分の身も守れないんじゃないか?」
「ええ。
実はアイさんにも同じ事を言われてるんです」
「アノーマリーはガス欠になるほど酷使すれば、どんどん能力が上がっていくからな。
ただそうすると体重減の反動が大きくなるから、マリーみたいに日頃から胃袋を鍛えておかないと」
「胃袋はすぐに大きく出来ませんから、まずはエナジーメイトのゼリーを改良しようと思ってます。
味のバリエーションが無いと、口に入れるのも苦労しますからね」
シンは無類の料理好きではあるが、どちらかと言えば食べるよりも作るほうに情熱を注ぐタイプなのである。
まさか自身がフードファイターのような食べ方を要求されるとは、数ヶ月前には想像も出来なかった事態なのである。
お読みいただきありがとうございます。