018.Love Rescue Me
グレッグ・オールマンが亡くなったそうです。
合掌。
場所は変わってカーメリ。
Gスーツ姿のシンは、割り当てられたテストフライトの為にハンガーへ向かっていた。
数日前の無理なヴィルトス行使から時間が経過しているので、顔色も良く体調も回復しているように見える。
『Midnight Rider』を小さく口ずさみながら、見上げるカーメリの空は雲一つ無いテストフライト日和である。
いつになく上機嫌のシンがハンガーの扉のセキュリティを解除した瞬間、胸元に入っていたコミュニケーターの画面が赤く点滅する。これは滅多に起きないコンディション・レッドである。
微笑みを浮かべていたシンの表情が、一瞬にして戦闘モードの無表情なものに変貌する。
Congohのコンディション・レッドは、身内の人命に関わる緊急事態なのである。
『シン、至急こちらが指定する座標へ向かってくれ!』
コミュニケーターから流れてきたフウの声は、無駄な説明が一切無い。
つまり説明の時間すら惜しい、本当の緊急事態なのだろう。
「了解。SID、ゾーイに説明をお願い!」
借用中の超高価な専用ヘルメットを知り合いの整備兵に預けたシンは、その場から一瞬にして姿を消す。
以前は不可能だった亜空間飛行中のコミュニケーターによる誘導があるので、現場までは一瞬で到着が可能である。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「指定座標に到達……ここは中東ですか?」
通常空間を重力制御で飛行しながら、シンはフウと軍事ネットワーク経由で音声通話を行う。
空間迷彩を起動しているのでシンの姿は目視できない上に、航空機に比べて表面積が小さいので防空レーダーには判別出来ない筈である。
「今回の任務は、特定人物1名の救出だ。
生存しているかどうかは兎も角、BODYは確実に回収して貰いたい」
「ビーコン補足。
あれはMV-22のローター……もしかしてベックですか!」
光学映像の補助が無くても、視力が良いシンには微かな噴煙が上がっている墜落現場を判別する事が出来る。
山間の文明とはかけ離れた場所では、人為的な噴煙はものすごく目立つのである。
ただし特徴的な形状のローター以外は、機体は原型を留めている部分が全く見当たらないのであるが。
「コミュニケーターからの緊急通知は、発信されてからまだ30分も経過していない。
お前がイタリアに居たのが、ラッキーだったという事だな」
「これは……単純な墜落じゃないですね」
空間迷彩を起動したまま、シンは低空を飛行している。
肉眼でも破片が小さく分断されているのが分かるので、これでは搭乗員の生存は絶望的だろう。
「地対空ミサイルが直撃か……シン、良く見えるように回り込んで旋回してくれ」
シンの胸元にあるコミュニケーター経由の画像を見ているフウから、感情を排した冷徹なコメントが返ってくる。
数えきれない修羅場を経験している彼女にしてみれば、見慣れた光景なのかも知れない。
「了解」
過去の墜落事故の当事者でもあるシンは、幸いな事に墜落現場を直接見ていない。
自身は無意識の内にアノーマリーを行使して、墜落現場から離れた場所に軟着陸していたのである。
「残骸が細かくて、原型を留めてる隊員の姿はありませんね……えっと、あれは!?」
シンには見慣れた形状である卵型の物体が、少し離れた場所の地面にめり込んでいる。
『シン、周囲に接近してくる航空機があります。
注意して下さい』
今度はSIDからの警戒情報が、コミュニケーターに入る。
当然の事ながら、ミサイルを発射した側が状況確認に駆けつけているのだろう。
「こんな『コクーン』を一瞬で作れるほど、ベックはヴィルトス能力が無かった筈なのに」
空中分解した機体の外壁を、まるで粘土細工のように丸めた球体はこの場所にそぐわない現代美術の作品のように見える。
墜落現場に降り立ったシンは、身に着けたばかりの重力制御を使ったブレードでその外殻を躊躇無く切り開く。
「ベックの生存を発見、回収して現場を離脱します。
他の生存者は……残念ながら居ません」
身体に負担が掛からない状態で彼女をそっと抱きかかえたシンは、即座に現場を離れる。
去り際にアノーマリーで形成されたコクーンを、通常の残骸に見えるように破壊しておくのは当然である。
「シン、脈拍を確認出来るか?」
「手足は骨折してるみたいですけど、呼吸はしっかりとしていますね」
数か月ぶりに見るベックは身体が絞り込まれ、フォースリコーンの隊員として違和感が無いコンディションに見える。
コクーンによって破片の直撃は回避できたが、彼女は重力制御の能力が無いので衝撃を緩和できなかったのだろう。
「それじゃ、そのままナナの研究所まで連れて行ってくれ。
治療を開始するなら、Tokyoの方が設備が整ってるからな」
ここでフウの声色に、少しだけ感情が戻ってきたように聞こえる。
身近で育てたベックがかろうじて無事だったので、ようやく人心地が付いたのであろう。
「了解」
☆
Tokyo某所の研究施設。
「背骨はなんとか守れたけど、それ以外を複数個所骨折してるみたいだな。
呼吸は浅いけど、呼吸器系統は無事みたいだ」
処置室では、ナナが普段とは違うシリアスな表情をしている。
レントゲン画像を見ながら、まるで救急救命医のように状況を迅速に把握していく。
「……」
助手であるフェルマが鋭利な刃物で迷彩服を切断し、身体から取り除いて行く。
カーキ色の汗が染みている下着姿になると、手足を含めた骨折が複数個所に及びかなり危険な状態なのが分かる。
「ジー、お願い!」
隣の処置台に寝そべってマンガを読んでいたジーは、素早く立ち上がって彼女に近づく。
彼は普段通りの派手なTシャツ姿で、知らない人間が見たらなぜこの場所に居るのか理解できないだろう。
「それじゃぁ……
骨盤、癒合。
右大腿骨、癒合。
左脛骨、癒合。
……」
まるでマッサージをするように四肢に触れているジーは、感情のこもらない声色で『治癒』作業をしている。
多種多様なヴィルトスを行使するメトセラの中でも、人体治癒の技術を持っているのは歴史上彼一人なのである。
最後にベックの乱れた前髪を直しながら、ジーは手間の掛かる教え子の額に掌を当てる。
まるで最終チェックを脳内で行っているエンジニアのように、彼の視線が宙を泳いでいる。
「……ふうっ、これで大丈夫」
ジーの一言を受けて、ナナが再度触診と聴診器で状態を確認する。
どうやら当面の問題はすべて処理出来たようで、ここでナナは漸くジーに笑顔で頷く。
「シン、ご苦労さん!」
ジーは治療に立ち会っていたシンの肩をポンと叩き、処置室から静かに出て行ったのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
翌朝。
「あれっ……此処は?」
「やっと目を覚ましたか」
ベックが寝ている居室は、以前にはユウも利用した事がある入院用のものである。
「あれっ、フウさん?
自分はどうやって此処に?」
ベットから起き上がろうとしたベックは、ここで漸く手足が上手く動かせないのに気が付く。
首を折り曲げて四肢が無事な事に安堵するが、自由に動かせるのは首から上だけなのである。
「シンが偶然近場に居て、ラッキーだったな。
致命的な損傷は、校長先生が優先して直してくれたから。
後は暫く安静にしてれば、元通りの身体に戻れるだろ」
フウの手を借りてようやく身体を起こしたベックだが、過去に骨折した肘や手首の大きな傷跡も消えているのに気が付く。
「人体治癒は器官を新品状態にするから、身体に馴染むのにそれなりに時間がかかるんだ。
お前の場合は両手足に深刻なダメージがあったから、歩行訓練から始めないといけないな」
☆
時間は遡り数時間前。
ホワイトハウス、地下のシチュエーションルーム。
カーメリ基地の訓練中と同じGスーツ姿のシンは、以前に顔を合わせた重鎮達の中で今回の作戦について説明を受けていた。
シンが過去にホワイトハウスの危機的状況を解決したのは全員が知っているので、彼の事を侮るようなメンバーは誰も居ない。
「大統領、大使館からの救出作戦の概要は分かりました。
今回はうちのベックも関わっていましたから、格安のギャラで協力するとフウさんからの言付けです」
「それはこちらとしても助かるけど、部隊を再編成しないといけないから数日時間がかかるわよ」
全滅したのは海兵隊の精鋭部隊であり、同様の部隊を任地に召集するのは移動時間が必要なのであろう。
「基本的な大使館からの救出は、我々義勇軍の3名だけでやります。
装備はお借りしますけど、それ以外に近隣の友好国にセーフハウスと医師だけを至急用意して下さい」
シンの簡単な一言で、大統領はジャンプを多用した作戦について理解したようだ。
作戦の担当だった海兵隊の重鎮に、頷きながら協力を促す。
「救出用のヘリが必要無いなら、6時間以内には用意できます」
「それで人質の中には、子供や妊婦さんは居ないんですよね?」
「ああ、それは確実だ。
睡眠ガスの使用は、その前提条件が無いと死者が出るからな」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「へえっ、フォースリコーンの装備はやっぱり高品質だなぁ。
一度海兵隊の装備を着てみたかったから、役得かな」
作戦の開始場所であるセーフハウスでは、シン以外にもルーとユウが準備を行っていた。
装備一式は海兵隊から貸し出されたものであり、Congohに関係する装備はコミュニケーターのみである。
「サブマシンガンとハンドガン以外は、返却しないで良いって」
「おおっ、それは太っ腹だね」
「今回の作戦は、ルーに掛かってるから。
なんせ僕が人質を運搬中は、一人ぼっちだからね」
「ああ。私ではルーの役割は無理そうだね。
こういう奪還作戦の経験と、度胸が私には足りないし」
シンとルーは海兵隊仕様の防毒マスクの装着方法を、お互いに確認している。
これが正常に使えないと、作戦全体が破綻してしまうのである。
「こうやって見ていると、二人は息がぴったりだね」
「ええ。こういう作戦ではルーが居てくれると本当に心強いですよ。
それじゃ!……ハプニングが無ければ、ユウさんは現場にジャンプする必要はありませんから」
手馴れた様子で装備を付けたルーを横抱きにすると、二人の姿はユウの目の前から瞬時に消えたのであった。
お読みいただきありがとうございます。