016.Anyway
同日ハワイベース。
早朝のジョギングを終えた滞在組4人は、朝食前にトレーニングルームに集まっていた。
最近は朝型になっているトーコはともかく、ハナは時差ボケに体が適合しきれていないようで表情が虚ろである。
本来ならば無理に団体行動する必要は無いのであるが、彼女は義勇軍のブートアップキャンプに参加したように意外と協調性が高いのである。
「朝のジョギングだけだと、体が鈍るからな。
丁度良いだろう?」
「あの……ストレッチはともかくとして、お二人レヴェルのハードな軍隊式格闘技は勘弁して貰いたいのですが」
指示された太腿のストレッチを繰り返しながら、トーコはケイに尋ねる。
学園の授業で格闘技を見学していたトーコは、シンがユウに何度もKOされているのを見ている。
あの授業はまるで総合格闘技の試合と変わらないレヴェルなので、腰が引けてしまうのは当然なのであろう。
「ああ、大丈夫。
私はインストラクターの資格も持ってるから、いきなり組手をやらせたりはしないよ」
「……はぁ、それなら良いんですが」
ケイとは普段から接点が少ないトーコは、その返答を疑わしいという表情をしている。
「……」
ハナはストレッチをしながら、床に突っ伏して寝てしまいそうである。
彼女は柔軟性が高いので、ストレッチでは眠気覚ましにならないのであろう。
「それにトーコはだいぶ身体が出来てきたみたいだから、もうちょっと制御する方法について学ばないとね」
どちらかと言えば痩せ過ぎだったトーコは、今はハナとほとんど変わらない体重になっている。
ハナは一時期不摂生が祟ってダイエットに励んでいたので、ダイエットした状態が現在のトーコと同じ位なのである。
「それはどういう意味なんでしょう?」
「たとえば、ここでパピを……」
「うわっ、いきなり酷いな!」
前触れなく合気道?の技で投げ飛ばされたパピは、マットの上で綺麗に受け身を取っている。
その衝撃が床に伝わり、半分寝ていたハナが顔を上げてキョトンとした表情で周囲を見渡している。
「こういう無意識に受け身できるのは、ボディコントロールが出来ているからなんだ」
「???」
「たとえばバイクで事故った時、こういう無意識の防御ができるかどうかで怪我の程度が変わってくるんだよ」
「……なるほど」
未だにバイクで転倒した経験が無いトーコではあるが、説得力がある一言に今度は大きく頷いている。
「まぁトーコの場合自ら危ない状況を作る事はないと思うけど、徐々にこういうトレーニングもしておかないとね」
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トレーニング後の朝食は、シンプルに?コンビニで買ってきたスパムむすびなどの既製品だ。
日系コンビニの配送時間に合わせて買い占めているので、他のお客に多大な迷惑を掛けているのはここだけの話である。
実は食材庫にはオーブンで焼くだけで食べられる冷凍ブリオッシュも有るのだが、このメンバーではその存在を思い出すのすら難しいのであろう。
「それにしても、オワフ島に来てから食事は、外食とコンビニばっかりだな」
文句を言いながらも、ケイは大量のスパムむすびを食べ続けている。
分厚いスパムと卵焼きが乗ったおむすびは、ニホンのコンビニでは食べられないボリュームのあるメニューである。
「これじゃ寮に引っ越しする前の、昔の食生活と変わらないよね。
まさか久々のハワイで、食事で苦労するとは予想外だよ」
パピはこれもコンビニで買った、地元有名店のスコーンを食べている。
ニホンのコンビニでは焼きたてのスコーンは売られていないので、これはオワフ島ならではのメニューなのである。
「エイミーもシンも、カーメリですからね。
こちらに来たメンバーは、全員料理が苦手ですから」
トーコは、ニホンのコンビニとは厚みが違う、具が大量に入ったサンドイッチを頬張っている。
ハムサンドのハムの量が桁違いだが、今のトーコは食事量も増えたので楽に食べ切れるだろう。
今回の休暇ではシンとエイミーが揃ってカーメリに行っているので、ハワイベースには料理が出来るメンバーが誰も居ない。
タイミングが悪いことに、普段の調理を担当しているジョンもベルとの打ち合わせでアラスカに出張中なのである。
「う~ん、休暇の事だけ考えていて、食事については盲点だったなぁ。
ああ、シンの作ったご飯が食べたいよぉ」
客観的に見るとそれほど悲惨な食生活では無いのだが、作りたての食事に慣れてしまったメンバーは侘しさを感じてしまうのだろう。
「私が作れるのは、マカロニチーズとステーキ位ですからね」
漸く頭が回り始めたハナは、朝食とは思えない料理名を列記する。
ニホン式のカツ丼弁当を頬張りながら、漸く目が覚めて来たようである。
「おいパピ、前にゲームで負けて夕飯を作ってたじゃないか?」
「あれは結局シンが指示してくれたから、出来たんだよ。
自力で全部やるのは、やっぱり無理!」
「それなら、今日は私がミートソースを作るよ!」
朝食の席に加わっていたエリーはコンビニメニューに手をつけずに、自分でフルーツを盛り付けたグラノーラを食べている。
彼女にとっては地元のコンビニメニューは見慣れたものだが、毎日食べるものでは無いとしっかりと理解しているようである。
「あれっ、エリーって料理が出来るの?」
「前にレイさんに習ったから、ミートソースは得意!」
☆
午後の厨房。
料理が出来ない滞在メンバーの中で、比較的ましなパピが厨房に手伝いで入っている。
エリーは自前のエプロン姿で、やる気満々である。
「あれっ包丁は?」
「レイさんが、私が料理する時にはまだ使っちゃ駄目って。
切るのはぺティナイフで、皮むきはピーラーで、微塵切りはフードプロセッサーでやりなさいって」
玉ねぎは芯だけを抜き、ニンジンもピーラーで皮を剥きながらエリーは下処理をどんどん進めていく。
ピーラーには慣れているようで、ニンジンを扱う手付きも危うさを全く感じさせない手際の良さである。
「レイにしては、過保護だなぁ?」
パピはペディナイフで、野菜類をすべて粗みじんのサイズにカットしていく。
ペティナイフは扱い慣れたコンバットナイフに刃渡りが近いので、まるで熟練したシェフのようなスピードである。
「ユウさんから正式に料理を習ったら、使っても良いって」
フードプロセッサで次々と微塵切りを作りながら、エリーは応える。
回しすぎると細かくなり過ぎるので、彼女は粗みじんの段階でしっかりとブレードを止めている。
「ああ、そういう事ね」
「パピ、これもペティナイフで細かくして!」
「げっ、この包丁でブロックから挽肉を作るの?」
「まさか。
このままだと挽肉器に入らないから」
「なるほど」
「みじん切りにした野菜は、焦がさないように炒めてね!」
古典的な挽肉器のハンドルを回しながら、エリーはフライパンの前のパピに指示を出す。
パピは少量のオリーブオイルを垂らしたフライパンで、まずニンジンから炒め始める。
「えっ、ニンジンと玉ねぎは分かるけど、セロリもこんなに大量に炒めるの?」
「うん、硬いものから順番に加えていってね。
野菜を時間を掛けてよぉ~く炒めると、ダシになるんだって!」
「ふぅ~ん。
肉以外の材料は、ぜんぶ定期配送便の素材なんだね」
「ミートソースの場合は、その方が美味しくできるみたい。
牛肉だけは、地元の知り合いの肉屋さんから卸してもらってるんだ」
ここでエリーは炒めて貰ったみじん切りを寸胴に移して、挽肉を大量に加えていく。
挽肉はほぐさずに、まるでハンバーグを作るようにフライパンの底に押し付けている。
「あれっ、挽肉もちゃんと炒めないと焦げちゃうよ?」
「大丈夫。
ここで炒めすぎるとお肉から肉汁が逃げて美味しくないんだって。
それに野菜の水分があるから、簡単には焦げつかないから」
牛肉の香ばしい匂いがしてきたタイミングで、冷蔵庫から取り出した飲みかけの赤ワインを鍋にたっぷりと注いでいく。
「あとはアルコールが飛んだタイミングで、この水煮缶を入れてから味を調整して……」
定期配送便で送られてくる大きな水煮缶は、本物のイタリアントマトを使っている正真正銘のイタリア製である。
数分後、煮詰まってきたミートソースを小皿に移して、エリーはパピに味見を促す。
「塩加減は大丈夫?」
「うん!美味しい!
こんな美味しいミートソースは、食べた事がないかも!」
「レイさん直伝だからね!」
「コンソメとか、旨みを足すものは何も入れないんだね」
「本物のトマト缶が手に入る場合は、入れちゃうとバランスが崩れるんだって」
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「パスタは、こんなもので足りるのかな?」
「茹でると2.5倍になるんだよ!」
「お湯も大量にあるから、大丈夫でしょ。
一袋全部茹でちゃおうか」
「ああっ!
じゃぁ湯切りは力があるパピに任せるね。
出来上がりは12Kg位の重量になるから!」
☆
夕食のテーブル。
パスタだけの夕食だが、それに文句を付けるようなメンバーは誰も居ない。
数日ぶりの手作りの食事は、やはり期待感が高いのであろう。
「チーズは前にシンから貰ったパルミジャーノがあるから、これで細かくしてから掛けてね!」
大きな塊のチーズをおろしていると、ミートソースに負けない香ばしい匂いが漂ってくる。
エリーは普通のサイズの皿だが、パピとケイはオードブルを載せるような大皿に盛り付けている。
それにも関わらず茹でたパスタがまだ余っているのは、お代わりを考慮したというよりも量を間違えただけなのだが。
「「「「「Buon appetito!」」」」」
メンバーは凄い勢いでパスタを食べ始める。
一応白ワインのグラスは全員分に行き渡っているが、喉を潤すことも無くがっついているのはやはり出来栄えが良いからなのだろう。
ここでリヴィングに予想外の人物が姿を見せる。
「あれっ、ユウさん?」
「食事に不自由してるかと思って、差し入れに来たんだけど。
なんか美味しそうなミートソースを食べてるじゃない?」
「ユウ姉ちゃん、私とパピ二人で作ったんだ!
味見してくれない?」
頻繁にハワイに来ているユウは、エリーにとって姉のような存在になっている。
エリーが盛り付けた試食用の皿を受け取ったユウは、ケイの横に腰掛けてフォークを手に取る。
Tokyoでの夕食からそれほど時間が経っていないが、大食漢であるユウには苦にならない程度の分量である。
「うん、とても良く出来てるね。
いつの間にレイさんから習ったのかな?」
ユウは幼少期にレイの作ったミートソースを何度も食べているので、その味は容易に判別可能である。
野菜の旨みが凝縮されたその元々のレシピは、フランス料理の技法を応用したアイが考案したレシピなのである。
「やった!
ジョンを尋ねて来た時に、教えてもらったんだ!」
いつも食事をご馳走になっている姉貴分からのお褒めの一言に、エリーは誇らしげな表情を浮かべたのであった。
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