015.Ain't Drinkin' Beer No More
本日分のテストフライトを無事消化したシンは、先日ピッザをデリバリーしてくれたポピーナへお礼に来ていた。
ゾーイが営業時間外にデリバリーを命令したのはシンの健康状態を気遣っての事であり、迷惑を掛けた従業員にも感謝の一言が必要だと彼は考えていたのである。
カーメリの隊員食堂に隣接するポピーナは、NY市街地にあっても違和感が無いモダンな作りである。
おまけに各テーブルにはニホンの回転寿司店で見られるタッチパネルと、お湯では無いドリンクサーバーが2系統備え付けられている。
勿論ドリンクサーバーにはお決まりの『SE BEVI NON VOLO(飲むなら飛ぶな)』という標語がしっかりと書かれている。
シンは知り合いの従業員に挨拶しながら、客席奥の厨房へ入っていく。
顔を合わせたメンバーはシンの事情を理解しているようで体調を気遣う一言が向けられるが、シンは笑顔とサムアップでそれに応えている。
「この間のピッザ、とっても美味しかったです」
シンは厨房に入っていたエプロン姿のサラを見つけて、声を掛ける。
どうやら生地の仕込みについて、エイミーに指示をしているようだ。
現在エイミーはピッザ作りを一から学ぶために、ポピーナの厨房に籠り切りで研修を行っている。
マイラと同じレヴェルでセスナのシミュレーターを乗りこなしているエイミーであるが、今回は本人の希望でピッザ作りに専念しているのである。
「ホント?エイミー、今の感想を聞いた?」
マイラと同じ小児用パイロットスーツにエプロンをしているエイミーは、サラの一言に無言のまま笑顔を返している。
「?」
「実はデリバリーした分は、彼女が焼いてくれたんだ。
到着したばかりだったから生地は仕込み済みのを使ったけど、それ以外の作業は全部一人でやって貰ったんだよ」
「へえっ、それは凄いな!
もうあんなに美味しいピッザが、焼けるようになったんだ」
もちろん宿舎では同じ部屋で過ごしているが、さすがに体力があるエイミーでも連日の厨房での作業で就寝が早くなっている。ユウの仕込みの手伝いや日常の調理で長時間作業には慣れている彼女だが、さすがに高温になる厨房での作業は勝手が違うのであろう。
シンは出来るだけ彼女に負担を掛けないように注意しているので、研修の様子を詳しく尋ねていなかったのである。
「それはシンの普段の料理と一緒で、特定の人のために調理したからだと思いますよ。
それとやっぱりここのForno a legnaが、素晴らしいんですよね」
「……この釜が寮にあれば、いつでも美味しいピッザが食べれそうだよね。
職人さんを紹介して貰っても、ニホンまで来て貰うのは難しそうだけど」
シンは目の前のタイル張りが美麗な、ピッザ釜を眺めながら言う。
ピッザテリアにおける薪釜は店の看板に等しい存在なので、見掛けにも拘って作られているのは当然なのであろう。
「あれっ、この釜はシンも良く知ってる人が作ったんだけど?」
「えぇと、僕の身近でこれを作れそうな人は……やっぱり一人だけですけど。
もしかしてベルさんですか?」
「ご名答。Tokyoオフィスのガス釜はスケジュールが合わなくて職人をイタリアから呼んだみたいだけど、この窯は店をオープンする時に彼女が作ってくれたものなんだ」
「ああ、この美しいドームのラインは熟練した職人さんでも難しいかも知れませんね。
へえっ、それじゃ今度休暇の時にでも頼んでみようかな」
耐火煉瓦を組み合わせて作られた『滑らか過ぎるドーム状』の薪釜は、煉瓦自体を個別に曲面加工しなくては出来ない形状である。これは彼女のヴィルトスを駆使して作られた、趣味性の高い一品なのだろう。
「彼女シンの事は気に入ってるみたいだから、簡単にOKが出るんじゃない?」
☆
プロメテウス官舎のトレーニングルーム。
「二人とも、良く鍛えてるみたいだね。
特にリコは、以前とは見違える位に体力が付いたみたいだね」
今日は整備の関係でフライトが無い日なので、ルーとリコはサラの監督の下で体力測定をしている。
長距離のトレッドミルは毎朝トレーニングしているルーにとっては何の問題も無いが、リコも息を切らす事が無く設定した距離を完走している。
「ハワイベースで苦労したので、ニホンに戻ってからトレーニングを積んでますから」
「それでリコは体術の方はどうなんだ?」
「授業でユウさんに教わってますけど……正直さっぱりです」
「それならルーに教えてもらえば……いや無理だな。
ルーは並みのインストラクターより強いから、レヴェルの差がありすぎるな」
「組手をするのは歓迎ですけど、自分は基礎を教えるのは無理だと思いますよ」
ルーが日常トレーニングで組手をするのはアイやシンなので、確かにレヴェルの差がありすぎるのだろう。
「Tokyoに戻ったら、エイミーと一緒にユウの個人レッスンを受けたらどうだ?」
「そうですね、戻ったらお願いしてみます」
「射撃以外は、ユウさんは教えるのが上手だからね」
「???」
「ああ。
あいつの射撃は技術じゃなくて、異能の類だからな。
実弾機銃での空戦になったら、彼女に勝てるのはレイくらいなもんだろ」
☆
久々に空き時間が出来たので、シンは基地構内をシリウスを連れて散策していた。
リラはゲストとして滞在しているので立ち入り出来ない場所が多かったが、最新鋭機のテストパイロットをアサインされているシンならば自由に歩きまわる事が可能なのである。
「シン、この間の弁当美味しかったよ!
また手が空いた時にでも、宜しくね!」
シャッターが閉まったブーランジェリーの前で、シンは顔なじみの職人さんに声を掛けられる。
「こちらこそ、いつも差し入れを頂いて。
あのティラミスは、うちのシリウスの大好物なんですよ」
「ふうん、違いが分かる子なんだね」
しゃがみこんだ彼女は、シリウスの顔や背中をモフモフしている。
シリウスは全く嫌がっていないので、彼女はかなり犬の扱いには慣れているのだろう。
「普段僕が作ってるフランは食べないのに、ティラミスだとビスキーのかけらも残さないですからね」
「シンの作るフランって、本物のバニラビーンズを使ってるでしょ。
あれって、嗅覚の鋭い犬には、香りがきつ過ぎるのかも知れないね」
「ああ、そういえば八角の香りもそんなに好きじゃないみたいですね」
「もしかして、ティラミスに使っているアルコールが好きなんじゃない?」
「う~ん、ビールはそれほど好きじゃないみたいですけど」
シンの飲んでいたグラスからビールを口にしたシリウスは、ホップの風味が好みでは無かったのかそれ以来おねだりする事は無くなった。
だがシン自身も他のアルコールについては飲む機会がほとんど無いので、試していないのは事実である。
「うちのティラミスは、マルサラをふんだんに使ってるから。
その味が好みなのかも」
「ああ、官舎の食材庫にあの黒いボトルのタルガがありましたから、今度試してみましょうか」
「バウッ!」
「へえっ、もしかして君は本物の『ワインドック』なのかも知れないな」
「バウッ!」
ワイナリーで飼われている看板犬は、もちろんワインを飲む事が出来ない。
普通の犬は体内でアルコールを分解する事が出来ないので、少量でも昏睡状態に陥ると言われている。
「マルサラならそんなに高価じゃないから良いですけど、ヴィンテージワインが好きなんて判明したら困っちゃいますよね」
「バウッ!バウッ!」
いつもなら吼え声で意思疎通が出来るシンなのだが、何故かこの場では困った表情を浮かべるばかりなのであった。
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