013.Hungry
食後のリビング。
前夜とほぼ同じメンバーがリビングで寛いでいるが、ナッツの盛り合わせだったつまみがピッザにアップグレードされている。
これらのピッザは夕食で辛そうに炒飯を頬張っていたシンを見かねて、目先を変えるためにゾーイが急遽注文してくれたものである。
イタリアの習慣としてカット済みのピッザを複数人でシェアする習慣は無いのだが、デリバリー用の紙箱に入ったピッザはあらかじめ米帝風にカットされている。
中佐を前にして、シンは失った体重を取り戻す為にピッザを食べながら事故の顛末を報告している。
悲壮な表情で炒飯を食べる様子を見ていた中佐は、報告しながらピッザを頬張っているシンに対して文句を言う事が出来ない。『そういう能力』によってシンの体重が失われたのを、状況から察しているのであろう。
タイピング中の中佐だが香ばしいダブルチーズの誘惑には勝てないようで、時折作業を中断する羽目になっている。
大量に積み上げられたピッザは、断熱機能があるデリバリーボックスのお陰でまだ熱々である。
敷地内にあるピッツェリアの存在は知っていたが、スケジュールに余裕が無い彼女はポピーナまで出向いて食事する心の余裕が無かったのであろう。
「ミラノの有名ピッツェリアにも、負けてない味だな。
こんなに旨いなら、早く利用すれば良かった」
中断する度に手をウエットティッシュで拭っている中佐だが、暫くするとまたキーボードを打っている手がそろそろとピッザに伸びてしまう様だ。
彼女は佐官としてデスクワークも多いがテストパイロットとしても現役であり、カロリー制限など微塵も考えた事が無い締まった体系なのである。
「寮でもたまに焼いてましたけど、粉は同じカプートなのに味が全然違いますね。
耐火レンガで作った本物のピッザ釜だと、やっぱり焼きあがりの温度が違うんでしょうかね」
失ったカロリーを取り戻すためにシンはピッザを頬張り続けるが、チャーハンを無理矢理咀嚼していたような悲壮感は無い。
やはり熟練した職人が作った?ピッザの味は、格別なのであろう。
「パイロットの名前を堂々と記載出来ないから、報告書はちょっと厄介なんだよな」
プロメテウスにシンが提出する為の報告書ならSIDに口述筆記を頼めば一瞬にして完成するのであるが、シンの訓練参加は非公式なのでロイヤルアーミーに提出する報告書は中佐自身が配慮しながら作成する必要がある。
「歴史がある軍隊は、やっぱり報告書もまだ紙なんですね」
「ああ。
殆どのマニュアルも電子化されているし、作戦も軍事ネットワーク経由で行われているのに、この部分だけ時代錯誤なんだよな」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「もともとリフトファンはカラカラとおかしな音がするだろ?良く異音に気がついたな」
口述筆記に疲れたのか、中佐はICレコーダーをスタートさせて音声記録に切り替えている。
ピッザを摘まみながらキーボードを打ちしかも合間にスコッチを口にするのは、あまりにも非効率だと気が付いたのであろう。
「一応僕もミュージシャンの端くれなので、音が加算されたのはすぐに気がつくんですよ。
それに航空機の墜落事故は、実際に経験した事がありますしね」
今日もニホン製のビールを手にしているシンは、数万キロカロリーを急速に摂取して漸く人心地がついたようである。
「……まぁお前の特殊能力があれば、墜落事故から無事生還できるだろうな」
「ええ。
ただし当時は僕自身が生き延びるのが精一杯で、母親とは生き別れになりましたけどね」
事故のトラウマを克服しているシンは、過去に遭遇した航空機事故についても客観的な見方が出来るようになっている。
かと言ってWikiに記載されている『乗客乗員には生存者無し』という項目を、自ら編集する気も無いのであるが。
思いがけずデリケートな話題に触れてしまった中佐は、話題を別の方向へ無理矢理転換しようとする。
「ところでシン、こんな事を聞いて良いかどうか分からないが」
ソファの上でシンの太腿に顎を載せて満ち足りた表情?で寝ているシリウスを見ながら、中佐がシンに尋ねる。
「?」
「お前の愛犬は、ただの犬じゃないよな?」
中佐はプロメテウスの母体であるCongohが、生化学については突出した技術を持っているのを知っている。
臨終間際の大富豪が少年まで若返ったとか、記憶を代替ボディへ移植した等の、タブロイド誌に掲載されるような怪しい話題には事欠かないのである。
「ああ、やっぱり分かっちゃいました?」
「そりゃぁ、あんなに賢くて、人間の食べ物が大好きな犬が普通な訳が無いだろう?」
「ご想像の通り、シリウスは人間とほぼ同じ味覚と、消化メカニズムを持っているらしいですよ。
まぁ普通のドックフードも食べますけど、最近舌が肥えちゃって好き嫌いがはっきりして来ましたね」
特殊な軍用犬であるK-9は、人間に同行して惑星間移動をする前提で作られている。
その遺伝子を持っているシリウスは、当然の事ながら人間の食べ物なら何でも食べられるのである。
「普通の犬とは桁違いに賢いのはわかるが、あれだけしっかりと躾けるのは大変だったんじゃないか?」
「ああ、そういう意味での躾けは一切やってないんですよ」
「???」
「シリウスはペットじゃなくて、僕の妹みたいなものです。
今の時点で10歳児位の知能がありますから、長期間放置したり構って上げないと情緒不安定になりますから」
「まるで寂しいと鬱になってしまうウォンバットみたいだな。
今回連れてきたのも、その為なのかい?」
「ええ。
Congohの基地ならどこでも滞在許可が出ますので、必ず同行するようにしています」
自分の名前が聞こえた所為か耳がピクピクと動いているシリウスだが、シンと密着してソファで寝ている状態がとても快適なのだろう。
彼女はシンがソファから立ち上がるまで、安らかな眠りから目覚める事は無かったのであった。
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「よし、報告書はこれでOKだろう。
明日の予定も確認したし、私は宿舎に戻るよ」
シンの周りに置いてあるピッザのデリバリーボックスは、ほぼすべて空になっている。
大部分はシンが片付けたのであるが、中佐は予想以上の健啖家らしく食後にも関わらずかなりの量を平らげていた。
「お疲れ様です」
ソファから立ち上がったシンは、横に置いてあったエプロンを腰に巻き付けて何やら作業を行うような雰囲気である。
あれだけ大量に食べたのにウエスト周りがすっきりとしたままなのは、マリーと同じで謎なのであるが。
寝ぼけた状態のシリウスは顔を一瞬だけ上げたが、シンがまだ居室に戻らないのを察知してソファの上でそのまま目を閉じている。
「えっ、シンまだ仕事があるのか?」
「いいえ。ちょっと胃がもたれる感じなんで、腹ごなしに差し入れのお返しを作ろうかと思いまして」
「?」
「ブーランジェリーの方々は超朝型だから、うちの夕食の時間帯には就寝しちゃってるらしいんですよ。
だから夕食を誘うよりも弁当の差し入れの方が、喜ばれるんです。
幸い余った総菜がかなりありますから、弁当として差し入れれば食材も無駄になりませんし」
「このカーメリに来てからプロメテウスの人達と付き合うようになったが、軍隊というより全員がまるで親戚付き合いしてるように見えるな」
「ええ。
義勇軍は守るべき領土や資産はありませんけど、お互いの信頼関係ついてはどんな軍隊より強いと思います。
まぁ頼りがいが有りすぎる司令官が居るのは、玉に瑕ですけどね」
シンはリヴィングのソファでバーボンを飲みながらリラックスしている、司令官にちらりと目線を投げる。
「おいシン、良い機会だから|懲罰房《MonkeyHouse》に暫く入ってみるか?」
亜空間飛行が出来るシンを閉じ込める檻はこの惑星には存在しないので、これは中佐にアピールする為のジョークなのだろう。
実際にプロメテウスの官舎にも|懲罰房《MonkeyHouse》が存在するのだが、使われたケースは皆無なのである。
「いいですよ。でも一旦入ったら、食事の時間も出てきませんからね」
「おおっ、折角のシンの作った食事が食べられないのは、こっちの懲罰になってしまうな。
今の命令は取り消しだ!」
軍隊と思えない緩い上下関係を見た中佐は、曖昧な微笑みを浮かべる事しか出来なかったのであった。
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