012.Everyday
授業、DD捜索、シリウスの世話、食事の仕度、等々……
シンの日常はせわしなく、ストリートミュージシャンとしての活動は滞り気味だ。
レイとの約束どおり演奏で集めたお捻りでカーボン・ギターの代金は支払済みではあるが、演奏出来ない事で欲求が高まってくるとシンは部屋でギターを爪弾く。
寮の各部屋は壁も厚く防音効果が高いので苦情が来ることも無いし、シリウスが首を傾けてシンの歌うスタンダード・ブルーズをじっと聴いている姿は、あの有名な『ニッパー君』のようで実に微笑ましい。
最近のシンはギターケースの代わりに仔犬を肩に載せて歩き、トレードマークのサングラスや帽子が無いせいでグルービーの女の子に正体を気付かれることも無い。
もっとも最近はハーメルンの出没情報が無くなった為か、それらしき女の子がイケブクロの街中をうろうろしているのも見かけないが。
大型のハスキー犬と幼児の頃から暮らしていたシンは犬の行動の意味を良く理解していて、外出時に限り肩に乗りたがるシリウスを躾の点からはあまり好ましくないと感じていた。
飼い犬が寄りかかって来るのは、相手に自分の優位を示すための恣意行為だとシンは理解していたからである。
だが普段のシリウスはとても従順で、シンに対して常に表情を伺いおかしな態度を取ることは無い。
その行動のギャップからシリウスが高い位置に居たがるのは、普通の犬では無いというエイミーの一言もあって何か特別な意味があるのだろうシンは考えるようになっていた。
エイミーは履修希望した科目以外にも貪欲に知識を吸収しようと努力しているので、シンがつきそって学校に居る時間も増えている。
下校時には地下街のフード・エリアや隣接する大型のホームセンターに立ち寄る事も多く、地道に実生活での経験や知識を蓄えている様だ。
トーコはプログラミングの委託業務が多くすべてに付き合うのは不可能だが、それでも以前に比べると学校に顔を出す日が多くなっている。
昼食時のカフェでは許可を受けて連れてきているシリウスが大人気で、犬好きの生徒達に囲まれて彼女はご機嫌である。
わざわざ自宅から持参したのか、犬用のおやつを与えて貰ってもしゃもしゃと大きな口を動かしている。
悪意に敏感なこの仔犬は危害を及ぼす人間の接近は許さないが、この校内での様子はとてもリラックスしている。
校舎の外にでると途端に態度が変わるので、シリウスにとってもこの学園の中は安心できる環境なのだろう。
エイミーは食事を取りながら、近くの生徒と気軽な様子で会話をしている。
ランチタイムに時折持ち掛けられる相談はかなりシリアスな内容が多そうだが、エイミーはバステトとしての本領を発揮して嫌な顔一つ見せずに対応している。
最初はエイミーの可愛らしい笑顔につられて集まった生徒達だが、今では貴重なアドバイザーとして信頼を得ているようである。
☆
寮での夕食時。
自分用のドックフードをあっという間に食べ終えたシリウスは、よじ登ったシンの膝の上からいつもの上目づかいでシンを見ている。
テーブルの上の山盛りになっている『鳥の竜田揚げ』を狙っているようだが、味が濃いめなのでつまみ食いは絶対にダメだろう。
シンはじっと見続けるシリウスに根負けし、キッチンでサンドイッチ用に作り置きしてあったササミの蒸し鶏を取り出しシリウスに与える。
バクバクと何でも食べる彼女だが、特にタンパク質が取れる脂身の無い肉類は好物のようだ。
この食欲だとあっという間に成長しそうだが、ハスキーみたいな巨大サイズになるなら飼い方も考える必要があるかも知れない。
「ねぇ、SID。シリウスってどこまで大きくなるのかな」
リビングダイニングに備え付けのコミュニケーターに、唐突シンが話しかける。
「ナナさんの研究データベースには、『原種アラスカン・クリー・カイ』とありますから、大きくなっても柴犬程度だと推定できます」
聞き耳を立てている訳では無いだろうが、具体的な質問に対しての返答はいつでもSIDから瞬時に返ってくる。
「知能が高いのは数日で分かったけど、外出時に何か周囲をキョロキョロ見ているんだけど」
「その子は、エイミーとトーコのボディガードですから、周囲を警戒しているのでしょう」
「ボディガードって?」
「雫谷学園の方でも、エイミーの介助犬として許可が下りてますから」
「このチビが介助犬って……かなり無理があるんじゃない?」
「詳細はまだ話せませんが、『役に立つ』というナナさんの言葉に嘘は無いと思います」
「??」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
食事を終えた後、シンの居室でエイミーにブラッシングをされているシリウスは超ご機嫌だ。
毛並みは黄金色に輝き、長くて太い尻尾がバタバタと動いている。
「ところでシン、この間のDDの件でフウさんから召集が掛かってますよ」
雑談から一転して、SIDからシリアスな業務連絡が伝えられる。
「えっ、何か進展があったのかな?」
「進展というか、キャスパーさんから話を聞いて情報共有する為の朝食ミーティングですね」
☆
翌朝。
寝起きのトーコを連れたシンとエイミーが現れると、リビングでリラックスしていたキャスパーがシンの連れているシリウスを見ていきなり表情を変える。
蒼白な顔色でシリウスを凝視した彼女はソファーから立ち上がった状態でフリーズしているが、いつも冷静沈着で知られているキャスパーにしては珍しい反応である。
テーブルに置かれているティーカップからジャスミン・ティーの香りが漂っているので、どうやらTokyoオフィスの面々は先に朝食を済ませているようだ。
シン達の為にユウが用意してくれた和朝食のお膳は、すでにテーブルの上に並んでいる。
一行の到着をSIDから聞いたユウが、盛り付けをしていたので直ぐに食べられる湯気が立ち上った状態である。
トーコが焼き魚を苦手としているのでメニューは鶏そぼろを使った三色丼だが、地味な色合いなので食欲旺盛なシリウスも珍しく興味を示していないようだ。
「おはようございます」
肩から仔犬を降ろしながら、シンはリビングの面々に挨拶する。
「シン君、その仔は?」
やっとフリーズから回復したキャスパーが、切迫感がある硬い口調でシンに尋ねる。
「ナナさんから事前相談無しに、いきなり送られて来ました」
シンは座席の高い椅子に、エイミーを座らせながら答える。
キャスパーがいきなり興奮しているのは、エイミーが言っていたように犬とバステトが相性が悪い所為かなとぼんやりとシンは考えていた。
ちなみにシリウスはリビングの床で、我関せずの態度でリラックスしている。
「……」
キャスパーの非難するようなシビアな視線が、無言でフウに向かって投げかけられる。
「おいおい、私の差し金じゃないぞ。ナナが勝手にやった事だからな」
「シン君、ナナさんから詳しい説明はあったの?」
「いえ特に何も。愛情を持って大切に育てるように言われただけですけど」
キャスパーの詰問口調の質問に、シンは特に気負いなく普段通りに答える。
「SID、ナナさんに……いや後にしましょう」
険しい表情でナナと連絡を取ろうとしたキャスパーだが、気を取り直して本題であるミーティングを続ける気になった様だ。
エイミーは話に聞き耳を立てながらも、旺盛な食欲で大盛りの三食丼を食べ続けている。
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「……それで、今回の発電所の反応はそれほど大規模では無かったんですよね?」
ジャスミン・ティーで喉を潤して、気を取り直したキャスパーがフウに向き直る。
「ああ、日常的に発生するレヴェルで、ユウが以前調査に同行した時ほどは大きくなかったな」
「その大きな反応があった時点で、アンキレーのユニット以外に何か見つかりましたか?
私が目を通した報告書には、何も書かれていませんでしたが」
「いや、あの時はお前の拉致や何やらのごたごたで、それ以上の調査はしていないな」
「発電所の障害を起こしているオブジェクトは、もしかしてその時点で出現していたのかも知れませんね。今回の小さな出現反応とは、無関係なのかも」
「確かに私が捜索に参加した場所とは距離的に近いですけど……ああそうか、現場にあったあの高圧線を辿るとこの発電所に到達するのか!」
捜索の現場で待ち伏せしていた相手に反撃をしたユウは、スナイパーが監視していたのは高圧線の鉄塔だったといち早く思い出したのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「変圧設備のそばで見つかったタイヤ痕は、分析でフォークリフトや特殊車輛の類では無いのが判明しています。
あと周辺に複数個所、アスファルトが衝撃で小さく陥没しているのが見つかりました」
SIDが現場検証で判明した内容を、キャスパーから促されてメンバー全員に報告する。
「まさか……本当に自律動作して動き回るDDの仕業だったって事ですか?」
シンが驚きの声を上げる。
「ああ、惑星間で通信する技術はあるが、別の宇宙間で通信するのは不可能だからな。
もしそのDDが動いているならば、自律動作していると考えるのが妥当だろう」
「単なる自律型の観測用AIならば、放置しても問題無いと思いますが。ディアボラスとかの自爆兵器の類だと……」
キャスパーが深刻な表情で呟く。
「ディアボラス?」
確か悪魔や邪悪なものを意味するギリシャ語を、怪訝な表情でユウは聞き返す。
「ええ、終焉兵器と呼ばれています。自爆兵器の総称で、送り込んだ惑星を『消毒』するために使われます」
「『消毒』って?そんな兵器を、プロヴィデンスが見逃すなんてことがあり得るんでしょうか」
食事を終えたシンが、素朴な疑問を呟く。
「この宇宙の中ではあり得ないけど、DD由来の他の宇宙から来たオブジェクトには干渉できませんから」
キャスパーがシンに向けて答える。
「いままでそんな実例があったのか?」
シリアスな表情で今度はフウが尋ねる。
「ええ、実際に惑星が消滅した実例がある様です。
その場合、起爆を阻止するには停止させるか、マリーさんにエフリクトして貰うしかありません」
「結局は鹵獲して調査してみないと、正体もはっきりしないか」
「ええ、その場合もマリーさんにスタンバイしてもらえば、最悪の事態は避けられるかと思います」
「今までも地球防衛軍的な作戦はあったが、今回のはかなり危険度が高いな」
「ええ、場当たり的では無くデブリ処理のように手際良くやらないと。今後も同様の事例が出てくる可能性もありますし」
「手際良い害虫退治ってことは、ディアボラス・ホイホイですかね」
単なる場を和ませる冗談のつもりで、シンがポツリと漏らした。
「おお、なるほど!
よし、今回の作戦名はシンの発案でオペレーションDHHと命名しよう」
満面の笑みを浮かべたフウが、シンが幼少時から見慣れた『悪い表情』で宣言する。
「へっ?」
Congohトーキョーのメンバー達は笑いを堪えながらも、絶句しているシンを気の毒そうに眺めていたのであった。
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