011.Luck's In
指令書を確認した中佐は、明日の打ち合わせの為にプロメテウスの官舎に足を運んでいた。
基本的に男子禁制であるこの官舎は、プロメテウス以外の女性隊員や女性仕官にとっても気楽に訪問できる場所として知られている。
また官舎に隣接するCongoh経営のブーランジェリーは人気が高く、早朝でシャッターが開く前には行列ができている事も多い。
「失礼、私はロイヤルネイビーのアンバー中佐だが、シン少尉はご在室かな?」
ノックしたドアを開けたのは、プロメテウス謹製小児用パイロットスーツ姿のマイラである。
本物のパイロットスーツ姿の中佐を見ると、マイラはシュタッと小気味よい敬礼を返す。
「しょういはキッチンにおります。どうぞおはいりくらさい」
少し舌足らずのイタリア語とその愛らしい仕草を見て、中佐はふにゃっと相好を崩している。
崩れてしまった表情を懸命に戻しながら入室したキッチンで、中佐は今度は驚きの声を上げる。
「おい、お前尉官なのに何をしてるんだ?
ええっ、指令や副指令まで?」
リビングまで一体化した広い室内では、アイランドキッチンでシンとエイミーが並んで調理をしている。
中華包丁で鮮やかに千切りをしているエイミーの横で、シンが巨大な中華鍋2枚を交互に煽って炒め物をしている。
隣接した大きなダイニングテーブルでは、ゾーイとレアを囲んでに数名がにこやかに談笑中である。
「何って、家族の夕食準備ですけど?
あっ、折角だから食べていきませんか?」
一瞬だけ敬礼で調理の手を止めたシンだが、すぐに中華鍋の煽りを再開する。
「この人数は……司令この子達は何なんですか?」
「ほぼ全員シンと同じ寮に住んでいるメンバーだな。
中級ジェットの訓練生ルーとリコ、初級レシプロ講習のマイラ。
あとは同行してきたエイミーとリラと、付き添いのピア准将だな」
室内で最も階級が上位である准将と聞いて中佐が思わず敬礼の姿勢を取るが、ピアは笑顔で首を振って楽にするように促す。
「こんな小さい子が、パイロット訓練ですか?」
先ほど玄関で応対してくれた可愛らしいマイラが、訓練を受けると聞いて中佐はかなり驚いているようだ。
「ライセンスを取得出来なくても、適性と本人のやる気があれば訓練参加は可能だからな」
「……」
ダイニングテーブルには、既に中華料理の大皿がまるでバイキング形式のように所狭しと並んでいる。
空いている席を薦められておずおずと腰かけた中佐の前に、箸とレンゲ、取り皿がエイミーによって手早く用意される。
さすがに居室にはビールサーバーは用意されていないが、中佐の席にもいつの間にかパイントグラスに入った冷たいビールが置かれている。
「Buonappetito!!」
ゾーイの掛け声で食事が始まるが、みな空腹なのか大皿から料理を躊躇無く取り分けていく。
シンはテーブルを回って盛り付けた大きな丼を、まず3人のゲストの前から順番に置いていく。
「これが最近寮で好評な新メニューです。
もちろん普通の白米も保温ジャーに入ってますから、言ってくださいね」
「牛丼?いや豚丼か。
なんか少しカレーみたいな香りがするな」
ユウのお陰でニホン式カレーが大好きになったゾーイは、ほんのりと漂うクミンの香りに直ぐに気が付いたようだ。
「そこに居るマイラが味付けを考案した、改良した魯肉飯なんです」
「あれっ、確か魯肉飯はもっと八角の香りが強かったよね?」
タイワン料理にも詳しいレアが、ここで鋭い指摘をする。
「ええ、五香粉を使う料理なんですけど、マイラの発案でスパイスの調合を見直したんですよ」
「えっへん!」
体に見合わない大きな丼とレンゲを両手に持ったマイラが、胸を張る仕草をする。
横目でちらちらとマイラを見ていた中佐が、なぜかとても嬉しそうな表情をしている。
どうやら彼女は、ドアで出迎えてくれたマイラを特別に気に入ってくれたようだ。
「これは煮込みにかなり時間が掛かりそうだけど、ここで作ったのか?」
慣れた箸使いで魯肉飯を口に運んだ中佐が、笑顔のままシンに質問する。
彼女は英国人としては珍しく中華料理に慣れているようで、大皿から取り分けた焼き餃子もコショウを入れたお酢で食べているようだ。
「いえ、圧力鍋を使っても数時間は掛かりますから、幾つかの料理はTokyoから持参した分ですね」
「いつもこんなご馳走を食べているのか?」
「大皿が並んでいるので見かけは派手ですけど、野菜が中心なので豪華じゃありませんよ。
それに魯肉飯や餃子以外は、殆どここの冷蔵庫に入っていた食材だけで作りましたから」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
食後のリビング。
時間をとっぷりと掛けた夕食を中佐は堪能したが、肝心の打ち合わせは全く出来ていない。
時差ボケを解消出来ていないメンバーは早々に自室に戻ったが、酒盛りを始めてしまったゾーイとレアはアルコールに強いルーを囲んで談笑中である。
3人とは距離を置いたシンと中佐は書類を広げて会話をしているが、中佐はゾーイに薦められたマッカランを断れずにグラスを片手に説明をしている。
シンもカーメリでは普通に手に入るニホン製の缶ビールを手にしているが、さすがにゲストで来ている中佐はシンの実年齢を問いただすような無粋な真似は控えている。
現在のイタリアの法律では18未満の彼は飲酒出来ないのだが、ここはカーメリの施設内なので厳密に言うとイタリアの法律は適用されないのである。
「僕はユウさんみたいなヴェテランじゃありませんから、テストに貢献できるかどうか怪しいですけど」
シンはつまみにエイミーが用意してくれたナッツを、ポリポリと食べている。
ハワイベースで調達したシンプルな塩味のマカデミアナッツは、香ばしいだけでは無くとても濃厚な味がする。
何気に気に入ったのか中佐もスコッチで口を湿らしながら、繰り返しほお張っているようである。
「いや、シミュレーターで披露してくれた、お前のホバリングの腕前がとても重要なんだよ」
「でもあの最新鋭機は、モードチェンジしたらほとんど自動で着陸出来ますよね?」
「ちゃんとした滑走路や空母に降りるのは問題無いが、市街地の道路や広場に降りる場合にはそうもいかないんだな」
「はぁ?そういう運用も、可能性があるんですか?」
「だからマニュアルモードでどこまで操れるかどうかが重要なんだが、ハリアーのヴェテランパイロットはほとんど退役してるし。
最新鋭機なのに人材確保がままならないという、おかしな状況になっていてな」
「ハリアーを早期退役させたツケが、今回って来てるんですね」
「米帝の海兵隊へも協力依頼を出したんだが、向こうもパイロット不足で無理だと言われてしまってな」
「同盟国でも、海兵隊の希少なパイロットは出してくれないという事なんでしょうね」
「ところで、米帝空軍の大物OBや海兵隊OBの大統領も、お前を推薦してるって言うじゃないか?
お前はそんなに有名なのか?」
「僕は表立って顔を出せない状況専門ですから」
「……もしかして、プロメテウスにも秘密情報部みたいな情報機関があるのかい?」
冗談めかした口調だが、これは隣に居るゾーイを意識したものなのであろう。
「いえ、小さい国の小さい軍隊なので、そういった区別はありませんね。
僕はちょっと変わった能力があるだけで、飛び切り優秀という訳でもありませんし」
「優秀でないなんて、冗談だろ?」
「僕の同級生の二人が参加する中級ジェット講習を見ていれば、嘘じゃないって理解できると思いますよ。
それで明日の予定なんですけど?」
「通常飛行は特に気を遣う部分は無くて、指定したコースを普通に飛行して貰えるだけでOKだ。
お前にテストして貰いたいのは、着陸時のマニュアルコントロールで垂直降下する時の挙動だからな」
☆
翌朝のカーメリ、メイン滑走路。
「なんだ?全く緊張してるようには見えないな」
「ええ。この専用ヘルメットを実機で使えると思うと嬉しくて。
戦闘ヘリのHMDと比べると、ラクチンですから」
シミュレーターで装着したのと同じタイプのヘルメットを、Gスーツ姿のシンは大事そうに脇に抱えている。
この装備がCongoh製であるユニバーサルシミュレーターのそれと同じで、物凄く高価であるのはシンも認識しているようである。
実は現在米帝で使われている新型はさらに多機能で軽量化されているが、欧州の配備国ではまだ導入が始まっていないのである。
シンが手慣れた様子で機体に乗り込んだのを確認すると、中佐は滑走路脇のコントロールタワーに移動する。
彼女は英国から派遣されているテスト部隊の総責任者であり、最新鋭機の扱いに関してはイタリア空軍の司令官と同等の権限を持っているのである。
「GrassHopper、テストフライトをリクエストします!」
「こちらカーメリコントロール。
コースと着陸ポイントは予定通りだ。
何か質問はあるか?」
「Negative.
GrassHopper、離陸します!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
シンの操縦で、順調に離着陸を繰り返した数回目のテスト。
コントロールタワーから見える着陸地点上空に、ホバリング中の機体が目視できる。
燃料消費が多いホバリングを繰り返したので、本日のテストフライトはこれが最後である。
順調にスケジュールを消化出来たので、コントロールタワーの中佐は実に満足気な表情をしている。
「こちらカーメリコントロール。
シン、予定通り着陸してくれ。
本日のテストは、これでコンプリートだ」
「……GrassHopper、リフトファンでトラブル発生。
ギアボックスから異音が発生しています」
無言でテストを見学していたゾーイが、表情を変えて椅子から立ち上がる。
シンの声は切迫感も無く平坦に聞こえるが、深刻なトラブルが起きたのは確実である。
かろうじて目視できる上空の気体は、姿勢を崩しそうにフラフラと浮遊している。
「自動脱出装置が作動するぞ、射出に備えろ!」
中佐はコックピット内のリモート映像を見ながら、シンに指示を出す。
ホバリング状態でトラブルが起きた場合、パイロットの操作を待たずに自動射出が行われるのである。
ここでピーッというエラー音が、会話を遮るように響き渡る。
「自動脱出装置はプログラム・エラーで作動しません。
リフトファン回転数低下……」
緊急事態にも関わらず間延びしたシンの声は、まるで切迫感が感じられない。
「なんで自動脱出装置が起動しないんだ!
シン、直ぐに手動で射出しろっ!」
落ち着きすぎている様子のシンに、中佐が大声で指示を出す。
揚力を失った15トンの金属の塊は、このままだと彼の棺桶になり兼ねない状況である。
「エンジンストール!」
この期に及んでも、シンの間延びした喋り方は変わらない。
音声通信でシンの声と一緒に聞こえていたエンジン音が、ここでプッツリと聞こえなくなる。
「救護班、着陸地点へ急行!
……ええっ、何が起きてるんだ!」
もはやコントロールタワーから肉眼で確認できる位置に、メインエンジンが停止した機体が水平を保ったまま静かに降下してくる。
それは墜落では無く、まるで熱気球にぶら下がっているような無音で滑らかな降下である。
タイヤが滑走路に接地した瞬間も、着陸脚のダンパーはほとんど効かずに機体も全く揺れていない。
機体を遠巻きに見ていた救急隊員達は、口をあんぐりと開けたまま目前で起きた『奇跡』をただ呆然と眺めていたのであった。
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