010.I Will Rise Again
カーメリの整備ハンガー。
到着したばかりのシンとエイミーを交えて、アンが基地指令であるゾーイに飛行中のトラブルについて報告している。
「へえっ、ワコージェットのエンジンが不調なんて珍しいね。
HF120のオーバーホール間隔は、5,000時間って聞いているけど?」
「ええ。予定変更して同行してくれたピアさんが居なければ、万事休すでしたね。
シンは移動中で連絡が付きませんでしたし」
「なんかNASAのT-38と発生した障害と似てるから、やな感じだよね」
先日自分が遭遇したトラブルと酷似した状況に、シンは危機感を感じているようだ。
「そうなの?
今整備を担当したワコー技研のエンジニアに問い合わせ中だけど、人為的な問題では無いと思いたいな」
機長であるアンは、初めて遭遇したワコージェットのトラブルに深刻そうな表情である。
「エイミー、どうかな?」
特徴的なエンジンカウルを外し機器が剥き出しになった状態を、エイミーは至近距離でじっと眺めている。
彼女はエンジニアでは無いが、機体が製造された段階まで状態を遡及して来歴を確認する能力を持っているのである。
「特に破壊工作の痕跡は無いと思います。
このエンジン周辺の部品も、C整備以降に手を加えられた履歴はなさそうですし」
「そうなると補給したジェット燃料が原因なのかな」
シンの見解は消去法から導き出したものであり、彼が特に航空機のメカニズムに詳しいという訳では無い。
「残念ながら残存燃料は少ないので、来歴を見るのは難しいですね」
「空港常駐の燃料会社だから、品質の問題は考え難いんだけどなぁ」
出発前の燃料補給にも立ち会ったアンは、悩ましげな表情で呟く。
ナリタ空港の補給施設は民間の燃料会社に依存しているが、その品質が問題なったという事例は聞いたことが無いからである。
「現時点では、結局原因不明か。
基地の機体で、同じ障害が起きなきゃ良いんだがな」
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シンは引き続きゾーイと会話をしながら、敷地内を横並びで歩いていた。
彼は義勇軍所属であるがヴィジターの身分なので、機密レヴェルの高いメイン滑走路に近づいたのは初めてである。
「今回は厨房を任せるような事は無いから、安心して自分のフライト訓練に専念できるんじゃないか」
いつもの意味ありげな含み笑いをしているゾーイの様子から、シンは彼女が何か悪巧みをしているのを確信する。
指令専用オフィスでは無く歩きながら話そうという彼女の言動も、疑いを加速させている原因なのであるが。
「炊事兵の仕事は無いんですけど、アイさんからいつもの課題を出されてまして」
「へえっ、師匠がスパルタだから大変だなぁ」
予備役とは言え義勇軍の階級ではアイはゾーイよりかなり上位者なので、普段の彼女らしい歯切れの良い一言が出てこないのは当然である。
ここでゾーイが目的にしていたらしい、メイン滑走路が間近で観察出来るセキュリティ・エリアに到着する。
武装した複数の歩哨が周囲に目を配っているが、さすがにプロメテウスの基地指令と同行しているシンに警戒の目が向けられる事は無い。
尤もNASAのロゴが胸に入ったツナギ姿のシンは、どう見ても軍人には見えないので胡散臭さ100%なのであるが。
「あれって、米帝の海兵隊仕様のB型ですよね?
イタリアでも導入予定なんですか?」
メイン滑走路からリフトファンの甲高い音を響かせて離陸した機体を見て、シンが驚きの声を上げている。STOVLの最新鋭機は、シンも実物を見るのは初めてなのだろう。
「あれはロイヤル・ネイビーとイタリア軍の共同テスト用の機体なんだ。
整備拠点がまだ英国内で建設中だから、ここまでパイロットが出張してテストをしてるんだよ」
「それで機密保持が相変わらず厳重なんですね」
「シンはヘリパイロットだから、STOVLの機体には興味があるだろ?」
「ええ。
ハリアーと違って、操縦は簡単だと聞いてますけど。
それで僕の訓練スケジュールはどうなってるんですか?」
「ふふふっ、今回は未定だ」
「はあっ?折角カーメリまで来たのに、未定ですか?」
「ああ。
だからとりあえず、最新鋭機種のシミュレーター訓練をやって貰おうと思ってな」
「……それって最高機密レヴェルの訓練機器じゃないんですか?
友軍とは言え、そんな簡単には行かないと思いますけど」
「ユウがA型のテスト飛行に多大な貢献をしたのが評価されてな、テスト飛行に協力するという条件で許可が下りたんだよ」
ここでシンは彼女の含み笑いの理由を、深く納得した。
いくら共同基地とは言っても機密保持のため、プロメテウス所属の要員は滑走路に近づくのさえ制限されている。友軍のパイロットであっても、訓練スケジュールに割り込むなど常識的には考えられない厚遇である。
「先方はユウに参加して貰いたかったみたいだが、生憎彼女は回転翼機の経験が無いだろ?
そこでスーパールーキーのお前の出番って訳だ」
「あの……通常なら初級ジェットの講習はA-4ですよね?
レイさんが聞いたら、絶対に怒りますよ」
「いや、お前を推薦したのはそのレイだから、逃げ道は無いな」
ここで含み笑いから、満面の笑みを浮かべたゾーイがシンに力強く宣言する。
「……そんな最新鋭機の操縦を覚えても、役に立ちそうにないのに」
「それを言うなら『大気圏内最速』のお前が、今更旧式なA-4の操縦を覚えてどうするんだ?」
「……」
「お前NASAのT-38の後席に乗って、どう感じた?」
「それは……、やっぱりジェット戦闘機って『遅い』なぁと思いましたけど」
「要するに現役のF-1ドライバーが、モペットの講習を受けるようなものだろう?
一応プロメテウスの規定でジェットパイロットと認定するには講習が必要だが、それなら少しでも有意義な体験をすべきだと思わないか?」
「……はぁ」
「それにお前の立場だと、最新鋭機を操縦するという経験が無駄だと言い切れないからな。
なんたってCommander In Chiefの若い燕だからな」
☆
「ユウから、エイミーはかなりの腕前だと聞いているよ」
「でもピッザはTokyoオフィスでお手伝いした位ですね」
ブリーフィングルームでは副司令官であるレアが、到着したばかりの4人に説明をしている。
会話はもちろんイタリア語で行われているので、ルーとリコの語学力を確認するという意味もあるのだろう。
エイミーとリラが此処に居るのは、官舎に滞在するならポピーナの業務を手伝うというのが条件だったからである。
「生地作りから手伝った経験があるなら、此処では即戦力だな。
できれば新メニューを考案してくれると、嬉しいんだけどな」
「あの……訓練スケジュールより、ピッザの調理講習の方が先に来るんですか?」
やる気満々で準備して来たリコが、首を傾げるのも当然であろう。
「ああ。これが伝統になっていてね、アンもここでみっちりと働いてもらったし。
初級訓練と違ってスケジュールはタイトじゃないから、それ程余裕が無い訳じゃないんだよ」
「はぁ……」
「それでフライト訓練の方は、前半は二人ともF-16で模擬空戦かな」
「自分もF-16を使うんでしょうか?」
到着後無事にフェリーされた愛機を確認したルーは、A-10を使えないのが不満なのだろう。
「A-10でやっても良いけど、さすがにドッグファイトじゃ勝負にならないと思うよ」
「……」
「まぁ30mm砲で戦闘ヘリを撃墜した実例もあるから、個人的には空中戦を見てみたい気もするけどね。
後半は対地攻撃の実弾演習があるから、その時には実力を発揮できると思うよ」
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イタリア空軍、特設ハンガー。
厳重な警備に守られたこの施設には、最新鋭機の整備設備やシミュレーターが設置されている。
「この少年に、シミュレーターを使わせるのでありますか?」
綺麗にアイロンされたフライトジャケット姿の女性は、ゾーイの目の前で怪訝な表情を浮かべている。
規律に厳しくないカーメリでも、さすがに薄汚れたNASAのツナギ姿のシンは異様に見えるのだろう。
「中佐、上からの命令指示書はちゃんと読んだんだろう?」
「勿論です。
ですが命令書では、プロメテウス所属の少尉と聞いておりますが」
「そう。彼がその少尉だよ」
ニホン滞在時には幼く見られたことは無いが、ここイタリアでは締まった筋肉質であるシンは年相応にしか見えないのであろう。
またフライトスーツですら無い薄汚れたツナギは、まるでくだけた私服に見えているのかも知れない。
「こんな少年に、シミュレーターがまともに使えるとは思いませんが」
「The proof of the pudding is in the eatingだな」
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数時間後。
中佐のオフィス。
「お前、対空時間はどれ位なんだ?
見かけと違って、実は結構な年齢なんじゃないか?」
通常ならば一週間かけて消化するプログラムを僅か半日でしかも満点で通過した結果に、中佐は結果のチャートを見ながら驚愕の表用を浮かべている。
デスクに収まった中佐の前で軍人らしい姿勢を取っているシンは、プロメテウス官給品であるフライトジャケットに着替えているので先ほどよりは凛々しく見えているだろう。
「公式な対空時間はまだ数百時間ですし、ジェットをソロフライトした経験もありません。
それに自分は、まだ昇進正銘の10代であります」
「はぁっ、冗談だろ?
第一そんな滞空時間のパイロットが、STOVLモードであんなに軽快に操縦できる訳が無いだろう!」
「シンはかなり技量が高い、戦闘ヘリのパイロットだからな」
オフィスの応接ソファにリラックスして座っていたゾーイが、ここで横からコメントを付け加える。
実はシンのヘリパイロットとしての評価はこれでも控えめであり、精鋭集団であるプロメテウスの内部でもシンに匹敵する腕前の持ち主は殆ど居ないのである。
「シミュレーターだけの訓練で終わらせるのは、正直惜しい人材ですね。
ただ実機のテストフライトについては、開発元と米帝政府の許可が必要なので難しいですが」
ここで中佐は、ゾーイに向けて率直な感想を吐露する。
最新鋭機のテストにおけるパイロット不足はかなり深刻な状態で、特に回転翼機やハリアーの経験が必要なこの機体に関しては本当に人材が枯渇しているのであろう。
「ああ、その点については大統領とNASAから手を回して貰ったから、問題ないよ。
なんたってこいつは大統領の側近で、NASAにも在籍している米帝の政府職員でもあるからな」
「はぁ、彼の本名はク●ーク・ケントですか?
似たような経歴の人物を知っていますが、この若さでそれはあり得ないでしょう?」
「まぁ米帝政府職員のデータベースを見せれば納得して貰えるだろうが、シン、とりあえずIDカードを出してくれるか?」
シンはいつも携帯しているホワイトハウスの職員証とNASAのIDカードを、中佐に差し出す。
中佐は受け取ったIDカードを、疑わしげな表情でじっと見ている。
「フライトの許可については本日中に命令書が手元に届くと思うが、遠慮せずに彼をこき使って構わないよ。シン、お前個人としても、異存は無いよな?」
「はい。
貴重な経験が出来るので、異存はありませんが……」
「???」
ここでIDカードを見ていた中佐が、シンの沈黙に何事かと顔を上げる。
「あの……機体が壊れてしまった場合の免責だけお願いします」
「お前、機体より、自分の身の安全の方が心配じゃないのか?
射出座席のMk.16は、トラブルが多いって評判なんだぞ!」
「ああ、それは大統領に確約を取ってあるから、大丈夫だ。
だが機体を妙な場所に落とすのだけは、勘弁してくれよ」
「はい」
リラックスした表情で不思議な会話をしているシンとゾーイを、シンの特殊能力を知らない中佐は怪訝な目でただ眺めていたのであった。
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