008.Come On In My Kitchen
「それで、リラはどんなお握りを食べたの?」
シンがバロットから話題を変えようと、リラに質問する。
彼女はまだ食べながら撮影する余裕が無いので、自分自身が食べたお握りの画像は残っていないのである。
「私はおかかと牛すじを食べました。
味噌汁も含めてとっても美味しかったです!」
「あそこのお握りは大きいから、2個食べると結構なボリュームでしょ?」
過去に訪問した事があるのか、トーコが質問する。
以前の彼女はおにぎり一つ食べきるのも苦労していたので、ボリュームについては強い印象があるのだろう。
「はい。もっと食べれましたけど、夕飯を考えてセーブしました」
「食べ歩きするなら、次はリラの希望通り回転寿司が良いんじゃないかな。
マイラも寿司は大好物だもんね」
「お寿司大好き!
でも本当は回る寿司より、ユウやエイミーが握る寿司が一番だけど!」
「マリーは出禁の店があるみたいだけど、寮のメンバーなら心配は無いでしょ」
「???」
飲食店の出入り禁止について、マリーの食事量を知らないリラはピンと来ないようだ。
マリーの食べる速度に握りが追い付かず厨房がパニックになってしまうので、回転寿司は彼女にとって鬼門の飲食店と言えるのである。
「それなら、入門編でちらし寿司でも作りましょうか。
握りほど準備に時間が掛かりませんし」
「Hooray!」
エイミーの一言に、最近寿司を食べていないマイラは満面の笑みを浮かべ万歳のポーズをしたのであった。
☆
Tokyoオフィス。
「リコ、久しぶり!
こうやってゆっくり話すのは、ハワイ以来だね」
「最近は学校で顔を合わせても、挨拶だけだったもの。
それで、お仕事はやっと落ち着いたのかな?」
彼女はハワイベースの頃よりも、身体が引き締まって精悍になった印象を受ける。
シンに同行して来たシリウスは、絨毯の上で久々に会った彼女にハグされて尻尾をブンブンと振って喜んでいる。
「大統領に頼まれると、弱いんだよね。
あれっ、ユウさんは?」
「今、私がお願いしたフェリーをやって貰ってるんだ」
ソファに深く腰掛けて休憩中のルーが、シンに説明する。
さすがに連日のシミュレーター訓練で、タフな彼女も疲れているようである。
「フェリー?」
「私の愛機を、カーメリへフェリーしてくれてるんだ。
自分でやりたかったんだけど、空中給油の訓練をやってないからレイさんが駄目だって」
「確かアラスカからハワイベースまでフェリーしてくれたのも、ユウさんだったんだよね」
「ユウさんはTokyoオフィスに居ると滞空時間が増えないから、立候補してくれたみたい」
A-10は操縦は容易だが、地上攻撃に特化した機体なので巡行速度がとにかく遅い。
ベルによってアビオニクスは最新型に換装されているが、ファイタージェットのフェリーと比べるとかなりの大仕事である。
「レイさんが不在だけど、セスナのシミュレータープログラムって動かせるかな?」
「プリセットしてあるしコントロール・ホイールを付ければ直ぐに使えるけど、誰が使うの?」
リコはシリウスに顔をペロペロされながら、実に嬉しそうである。
「マイラが使ってみたいんだって」
リコと一緒にシリウスとじゃれているマイラが、ここで右手を上げてアピールする。
「ああ、なるほど。
マイラならセスナ位すぐに操縦できそうだもんね」
一緒に過ごしている時間が長いルーは、マイラの年に合わない聡明さを良く理解しているようだ。
「背も伸びてるし、シート高を調整すればペダルに足が届く位かな」
ここでリコがマイラと並んで、上背を比べるような仕草をする。
A-4の操縦訓練では、シートが大きくて苦労した経験があるからだろう。
「シミュレーターの結果が問題無ければ、カーメリで訓練飛行できるかもね」
「Hooray!」
本日2回目の、マイラの口癖なのであった。
☆
寮での夕食。
Tokyoオフィスではユウが不在なので、今日はゲストとしてマリーが夕食に来ている。
急遽追加の炊飯ジャーを稼働させているが、量が足りるのかどうかシンとしては確信が持てないのであるが。
ちなみにルーとリコは時間的に余裕が無いので、シミュレーターのあるTokyoオフィスの地下に缶詰状態である。
たぶんマリーが間食用に備蓄しているカップラーメンが、二人の夕食になるのであろう。
「シン、こんなに美味しいなら遅い夕食用に作ってくれれば良いのに」
今日は業務が終わるのが早かったパピが、魯肉飯を頬張りながらシンにリクエストする。
ケイとパピからリクエストがあった場合には、シンは夕食をあらかじめ用意して食卓カバーをかけておく事も多い。
「作り置きの夜食としてはどうかなぁ。
豚肉の脂分が冷めると白く固まって、あんまり美味しそうに見えないんだよね」
「なるほど。
牛丼も冷めると肉がゴワゴワして、美味しくないもんね」
「汁が染みたご飯は、別の意味で美味しいんですけどね」
「シン、それは『つゆだく』じゃないですか?」
ジャンクフード全般に詳しいトーコは、もちろん牛丼にも拘りがあるようだ。
マリーは大皿の青菜炒めやタイワン風卵焼きを摘まみながら、魯肉飯を食べ続けている。
大きなレンゲと箸を器用に使い分けているのは、まるでタイワンの現地人やパピと同じ食べ方である。
「マリーどう?気に入ったかな」
「シンの作る中華はどれも美味しい!
やっぱりユウが居ない時には、ここに来るのが正義!」
マリーが食べ続ける様子を初めて見たリラは、唖然とした表情をしている。
特に彼女が常識から外れて見えるのが、いくら食べても腰周りがスリムなままだという事実であろう。
シンも褐色細胞がどうこうという説明をナナから受けたのであるが、実際に食べた物が何処に消えたのか全く納得出来ていないのである。
「味が濃いけど、ニホン人向けの味だね。
これがニホンで流行らないのは、ホント不思議だよなぁ」
ケイはニホンで生まれ育ちトーコとほぼ同じ味覚を持っているので、『つゆだく』が好みなのだろう。
「それは無理ですよ。
牛丼の全国チェーンは沢山あるし、市井の豚丼のお店も繁盛してますから。
似たような味でも、八角が苦手な人がニホンでは意外と多いんですよ」
シンは師匠であるアイから香辛料について繰り返しレクチャーを受けているので、客観的な目でタイワン風の味付けを評価出来るのであろう。
「……シン、追加のご飯も足りなくなりそうです」
ここでエイミーから、こっそりとシンの耳元にアラートが入る。
予想していたとは言え、やはりマリーの食事量は半端では無い。
「それじゃぁ、ビーフンでも作ろうかな。
マリー、まだ胃袋には余裕があるかな?」
「Bien Sur!」
ビーフンは調理時間が短いので、追加で急遽用意するメニューとしては最適である。
キッチンに入ったシンは新竹ビーフンを水で戻しながら、手際良くニンニクの香りを付けた油で具材を炒めていく。
水で戻したビーフンを加えて作り置きのダシ汁を加えると、僅かの時間で大量の焼きビーフンが完成する。
大皿2つのビーフンは、一皿をテーブルの中央に。
もう一皿は当然マリーの前に配膳する。
「炒米粉かぁ、これも食べたのは何時以来かなぁ」
取り皿に大量に盛りつけながら、ピアは懐かしそうな表情を浮かべている。
「シン、私も食べるっ!」
「シン、このビーフンとっても美味しい!
麺が味をしっかり吸っていて、パスタとは違う美味しさがある!」
マリーは大皿から綺麗な箸使いで頬張りながら、ビーフンの味を絶賛している。
「あれっ、ビーフンはユウさんのレパートリーには無かったんだ」
「うん。
商店街の中華料理の店より、シンが作る料理の方がはるかに美味しい!」
「ああ、中華が食べたければ僕が作るから、寮にいつでもおいでよ。
でも一つだけ約束して欲しい事があるんだ」
「?」
「食べに来る時には、かならずユウさんを誘って欲しいんだ。
ユウさんが気を悪くすると、マリーも困るでしょ?」
マリーにとって食事の世話をしてくれるユウは、単なる同僚では無く姉のような存在になっている。
シンにとってもエイミーが世話になっているのは勿論、自分もニホン料理について教えを請う頼りになる姉貴分なのである。
「Bien Sur!」
マリーは大きく頬をリスのように膨らましながら、短い一言で答えたのであった。
☆
リラとマイラ、そしてエイミーは、3人一緒に大浴場で温泉に漬かっていた。
背格好もほとんど同じこの3人は、年齢的にもほぼ同じように見える。
アラスカベースのニホン式大浴場に慣れているリラは、特に教わる必要も無くかけ湯をしてから湯船に入っている。
「マイラって、何でも一生懸命だよね」
寮のメンバーとして日頃から一緒に行動するマイラは、リラにとって遠慮無く話せる間柄になっている。
「?」
「息を抜くって事はないの?」
「姉さんが言ってたんだ!
生きるのに役に立ちそうな技術なら、何でもやってみなさいって」
「どういうこと?」
「私達には面倒見てくれる親も居ないし、親身にしてくれるのはこの寮の人達やCongohの人達だけだから。
特にシンの役に立ちそうな事なら、何でもやってみようと思うんだ!」
「マイラはシンの事が大好きなんだね」
「えっ、この寮の人達は全員そうだよ?
リラもそうでしょ?」
「……」
「違うの?」
「違わないけど……まだそこまで言い切れないかな。
とっても気になる人だけど、ニホン語だと上手く話せてる自信も無いし」
「いいえ。
シンにはその思いは、しっかりと伝わっていると思いますよ」
エイミーの小さな呟きをリラも明瞭に聞き取れたのか、彼女の頬がほんのり赤くなっている。
「ねぇエイミーもカーメリに行くんだよね?
なんで操縦訓練を受けないの?」
「実はシミュレーターは何度か使ってるので、セスナならば操縦できると思うんですが……」
「?」
「実際にランセンスを取れるまで、まだ数年ありますからね。
そんなに急がなくても、大丈夫だと思っていますから」
「エイミーはシンと距離が近くて、羨ましいよね。
毎日同じベットで寝てるし」
「……」
「マイラはシンに可愛がられていますから、羨ましいなんて事はないのでは?
私が居ない時にも、良く一緒にお風呂に入ってるじゃないですか」
「ここの寮では、そんな乱れた関係が……」
「リラさん、それは考えすぎですよ。
私は妹ですし、マイラもまだ子供を作れるほど身体が成熟してないですから」
「……」
「それに混浴と言っても、寮に居る男性はシンと管理人さんだけですし。
管理人さんはここを利用する事はありませんから、混浴するのはシンだけですし」
「皆さん、それで平気なんですか?」
「あの潔癖症のトーコさんも、最近はシンと混浴するのに慣れちゃってますからね。
もっとも当初は、鼻血をよく噴き出してましたけど」
「シンの裸は格好良いんだよ。
ダビデ像と違ってあそこも立派だし!」
「……」
「あれっ、なんか湯船が赤くなってませんか?
あらら、リラさんしっかりして下さい!」
鼻血を噴いて湯あたりで倒れたリラは、エイミーとリラに脱衣所に連れて行かれる。
「リラはお子ちゃまですね」
温泉に入るために偶然居合わせたトーコが、脱衣所のマッサージチェアに寝かされているリラに上から目線で発言する。
もちろんトーコの過去の恥ずかしい姿を知っているエイミーが、唖然とした表情をしたのは当然なのである。
お読みいただきありがとうございます。