011.Hide Away
DD探索の翌朝。
設備が整った寮のトレーニングルームでは、シンが負荷が高いトレッドミルを使ってランをしていた。
軽快に走るシンの横では、別のトレッドミルでシリウスが並走をしている。こちらもかなりの高速設定なのだが、まだ幼犬であるにも関わらず彼女は余裕の表情である。
早朝トレーニングの度に付いてくるシリウスは、当初はシンのトレーニングを観察するだけだったが、ある日自分もやりたいと?ラバーマットの上でシンにじっと視線を投げてきた。
最近の行動では肩の上が多いので運動不足を心配していたシンは、試しにマシンを動かしてみるとシリウスはマットの上を軽快に走り出した。それ以来、一人と一匹の早朝ランは定例になっているのである。
先日の格闘技の授業で地道な訓練の必要性を再認識したシンは、週一回の実戦訓練以外にも頻繁にトレーニングを行うようになった。
もともとメトセラは調整能力が高いのでトレーニングをさぼっても運動能力が落ちたり太ったりする事は無いのであるが、Tokyoオフィスのメンバーですら早朝ランをしていると聞いたシンは即座に見習う事にしたのである。
シャワーをシリウスと一緒に浴びた後、キッチンで朝食の支度をしているシンの足下で彼女は専用のドッグフードをがっついている。
衛生上飼い犬がキッチンに出入りしているのは好ましくないが、頻繁なシャワーと毎日のエイミーによる几帳面なブラッシングのおかげでシリウスは抜け毛も殆ど無くとても清潔である。
また寮でこのキッチンを利用しているのは実質シンのみなので、他の学生から苦情が来る事も無いであろう。
ちなみにシリウスが朝食で食べているドックフードはナナが送ってくれた特注品だが、あと数か月で普通の?食事に切り替えるように言われている。彼女は食欲が旺盛で何でも食べるので、その点は全く心配はしていないのだが。
☆
いつもの大皿サンドイッチを囲んだ朝食の席では、トーコが食事をしながらリビングのコミュニケーター経由でSIDと会話をしている。
SIDはトーコの事を特に気に入っている様で、普段のトーキョーオフィスでは見られない雑談や他愛も無い会話を二人でしていることが多い。
「……先日の発電所トラブルと同じタイミングで、ネットに不正なトラフィックが増加しています」
「不正って?」
チキン・サンドを頬張りながら、トーコが言葉を返す。
「不可思議なネットワークIDで、各所にアクセスしているユーザーが存在します」
「いつもの中華連合残党のやつじゃないの?」
「自分のIDを偽装していない割りには、解析技術が飛びぬけて高い特徴的なハッキングです。
RFCの事情に詳しく無い以外は、私と類似したAIの可能性があります」
「SIDのAIテクノロジーってこの惑星ではユニークで、他には無いってレイさんから聞いてるけど?」
サンドイッチに伸ばした手を一瞬止めて、トーコが深刻な表情で尋ねる。
「プログラミングされたスクリプトでは出来ないランダムな操作が、ヒューマノイドでは不可能な操作スピードで行われています。
この操作がAI以外で可能ならば、画期的な入力機器が開発されたという事になりますね」
「他の研究者が作ったAIとかの可能性は?」
「秘匿されていたAIである可能性はあります。
ただしネットワークに関する知識が、非常にアンバランスなのが気になります」
エイミーは横で会話を聞きながら、モリモリとサンドイッチを頬張っている。
育ち盛りなのか食欲は旺盛で、シンよりも食べる量は明らかに多いであろう。
「それでSIDは、この間の発電所のトラブルとの関連性を疑ってるんだ」
シンの膝によじ登りテーブル上のサンドイッチをじっと見ているシリウスを牽制しながら、シンも会話に参加する。
皿の上にまだ大量に残っているチキンサンドはタマネギが入っているので、無造作に食べさせると中毒を起こすかも知れない。
「はい。タイミングから言ってその可能性は否定出来ません」
「トーコの嫌な予感は的中したかな」
シンは同じ皿に載っているタルタルソースが入っていないハムサンドを、サンドイッチをじっと見ているシリウスに自分の手から与える。
分厚いジャンボンブラン以外にはマヨネーズとピクルスしか入っていないので、特に問題は無いであろう。
「居住惑星圏での同じような事例についてキャスパーさんに問い合わせ中ですが、まだ返答がありません」
「ねぇSID、随分と込み入った話だけど僕たちが聞いて良いレヴェルの話なのかな?」
ハムサンドをむしゃむしゃと咀嚼しているシリウスを見ながら、シンはドリップしてあった自分の薄いコーヒーを啜る。
昔からの習慣で、シンは朝一からの濃いエスプレッソは苦手なのである。
「はい、フウさんから許可を得てますから問題ありません」
「それって、どういう意味?」
「最近DDの出現頻度が高くて、入国管理局のメンバーだけでは全く手が回っていません。
米帝以外からのデブリ処理依頼も立て込んでいますから、Tokyoオフィスメンバーもヘルプ出来ませんし。
ニホン語で言うところの『猫の手も借りたい』という事ですね」
もっとサンドイッチが欲しいのかそれとも会話に参加したつもりなのか、バウッとシリウスが小さく吠える。
「もっと人材を拡充すれば良いのに」
トーコがどこか他人事のような口調で言う。
「そのための雫谷学園であり、優秀な人材によるアルバイトです」
SIDの最後の一言はAIによる合成された音声にも関わらず、何故か面白がっているように聞こえたのであった。
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