046.Catch Me If You Can
数日後、Tokyoオフィスの敷地。
アンが荷物用エレベーターから押して来た赤いフレームのバイクは、誰もが知っているイタリアのメーカー製である。
巧みな溶接によって構成されたフレームとV型エンジンの組み合わせは ニホン製バイクとは違うエレガントな雰囲気を醸し出している。
「これがトーコが貰ったバイク?」
「ええ。レイさんが手配してくれて。
日頃の業務で無理が掛かってるから、特別ボーナスだそうです」
「モンスター400かぁ、こんな綺麗な状態なのは珍しいね」
自分の持ち物に関してさえ薀蓄が無いシンにしては、車種名まで知っているのはとても珍しい。
「面倒を見るのは私なんで、整備経験のある車種を指定したのよ」
見かけより腕力があるアンは、まるで原付を扱うように易々とスタンド掛けをしている。
「ああ、そういえばカーメリでも、このシリーズのバイクが沢山停まってたなぁ」
「うん。あそこのパイロット連中はスピード狂が多いからね」
研修で複数回カーメリを訪れているアンは、基地の内情にも詳しい様である。
「これって、外車なんですか?」
「シートとかハンドルも、トーコさんの体型に合わせてカスタマイズ済みですから」
ニホン向けの中排気量モデルだが、接地性を上げるために既に各部が弄られているようだ。
「いろいろと手間を掛けてもらって、すいません」
トーコはこのバイクを一目で気に入ったようで、遠巻きでエンジンの辺りをじっと見つめている。
彼女はメカフェチでもあるので、フレームとVツインエンジンの連なる美しい造形に見とれているのだろう
「お兄様から頼まれていますから、気になる点があれば何でも相談して下さいね」
「なんで和光技研のバイクを薦めなかったの?
社販で割安で買えるって、言ってた様な気がするけど」
「リッタークラスのバイクなら、面白い車種があるんだけど。
中排気量だと、どうもトーコさんのイメージと合わなくて」
「ああ。
この赤いフレームでスリムな車体は、確かにトーコのイメージに近いかも知れないね」
「シンもそう思うでしょ?
ミラノじゃこの排気量の扱いが無いから、SIDに頼んでニホン中を探してもらったのよ」
「なるほど」
「保守部品は上位車種と共通だから、シンにミラノまで融通しに行ってもらうかも」
「ああ、その時は特急便で取ってくるよ」
「ここの敷地でモペットみたいに練習して、自信が付いたら公道に出れば良いと思いますよ」
アンはキーをトーコに渡しながら、予備知識が全く無い彼女に細部の説明を行う。
最近のアンは不思議なお嬢様口調はかなり矯正されたのだが、丁寧語の使い方に関してはまだまだ学習の必要があるようだ。
「はい。免許でズルをしてるから、事故を起こさないようにしっかりと練習させて貰います」
トーコはハンドルを握りながら、明るい表情で呟いたのであった。
☆
「別についてこなくても良かったのに……」
「エイミーが、バイクの後ろにぜひ乗ってみたいって言いだしてね。
まぁトーコのことは、オマケかな」
シンがエイミーと一緒に跨っているのは、フウが所有するニホン製のビックバイクである。
250Kgを楽に越える大型車だが、シンは過去に数回借用した経験があるので取り回しについて不安は無い。
「インカムにはコミュニケーターも繋がってますから、心配は要らないのに」
トーコはフレームのカラーリングに合わせた、シンプルなジェットヘルメットを着用している。
これはCongohの標準装備品で、インカム一式があらかじめ内蔵されている優れものである。
「それじゃぁ、先行はトーコね。
自分のペースでスピードを出しすぎないようにね」
シンはインカム接続のテストを兼ねて、トーコに話し掛ける。
「それじゃあ、行きますよ。
SID、ナビを宜しく!」
「私も用事が無ければ、ソラとして同行したかったです。
トーコさん、突き当りを左折です」
インカムのスピーカーからは、SIDの指示が明瞭に聞き取れる。
コミュニケーターとブルートゥースで接続されている割には、音声は変調されずにかなりクリアである。
「了解」
「シン、トーコさんはもう公道に出ても大丈夫なんですか?」
インカムをシンとの内線モードに切り替えて、エイミーはシンに質問する。
シンにしがみつくのに日頃から慣れている彼女は、ステップに足が届かない後部座席でもリラックスしているようだ。
「うん、運転技術としては問題無いかな。
あとは咄嗟の状況判断が、出来るかだよね」
借り出した大排気量のバイクを軽々と扱いながら、シンが応える。
後部座席のエイミーは体重が軽いので、タンデムと言っても重さは全く感じない。
先行するトーコのバイクの数倍の馬力があるので、シンは先行しているトーコにプレッシャーを与えないように注意しながら運転をしている。
煽って彼女が事故を起こすような事があると、それこそ本末転倒である。
「なんか最近のトーコさん、とっても元気溌剌ですよね」
「自分自身の可能性に、やっと気が付いたのかも。
セルカークに滞在したのが、良いキッカケだったんだろうね」
☆
「シン、もうそろそろお昼にしませんか?」
「ああ、SIDに頼んでどこか食堂でも探そうか」
さすがに土地勘も無くカーナビも搭載されていないので、自力で店を見つけるのは難しいだろう。
「手近なここにしませんか?」
通りがかったロードサイドの店は駐車場も広く多くの客で賑わっているが、昔の大衆食堂といった店構えである。
シンとしてはトーコが食べ慣れているファミレスを選ぶつもりだったので、かなり意外な選択だと思える。
「……トーコ、この店の事知ってるの?」
トーコと一緒に駐車場に停車しながら、シンはインカムで彼女に尋ねる。
以前は食べ歩きが趣味だったシンは、有名店であるこの店については当然知っていたし、更に言えばお土産用のレトルトパックを試食した経験もある。
確かに名物料理としてはとても美味しいのではあるが……
「いいえ。でもトラックが沢山停まってるドライブインは、美味しいって聞いた事がありますけど」
「それはそうだけど、大丈夫かな……」
トーコは出会った頃から、見かけや味に癖がある食品が苦手である。
以前Tokyoオフィスでユウが食べていた『バロット』を目にして、悲鳴を上げていたのをシンははっきりと覚えているのである。
行列に並んで数分後にはカウンターに着席できた3人は、数少ないメニューから注文を入れる。
「私は定食で!」
「それじゃぁ定食を3つでお願いします」
「その小さいお嬢ちゃんは、普通盛りで大丈夫かな?」
注文を取っている威勢が良いおばちゃんは、小柄なエイミーを見て心配顔である。
あまり子供が来るタイプの店では無いので、きっと食べ残しが多いのであろう。
「そうですね……私は良く食べるんでおかずを大盛りにして貰えますか?」
「ああ、見かけと違ってホントに食べれるんで大丈夫ですよ。
妹はフードファイター並みに食べますから」
予想外のエイミーの返答に困惑しているおばちゃんに、シンは懇切丁寧な説明を加えたのであった。
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食後の駐車場。
「エイミーは、もつ煮というメニューを知ってたんだね」
「はい。ユウさんと一緒に作ったことがありますから。
シンも綺麗に食べ切ってましたね」
「米帝南部の郷土料理に、臓物料理があるからね。
それに比べれば匂いも癖も無くて、とっても美味しかったよ」
「下処理を丁寧に繰り返さないと、あの匂いは取れないんですよ。
臓物料理も、水洗いを何度もやるんですよね?」
「うん。でも実際に食べられてた現地ではその処理が雑で、かなり癖がある料理なんだよね。
最近テキサスの店で食べたのも、かなり匂いが残ってたしね」
「調理を教わってるユウさんは、小さい頃から色んな料理を食べて育ってますから好き嫌いが一切無いみたいですね」
「そりゃぁ、アイさんの娘だからね。
でも驚いたのは、好き嫌いの多いトーコが完食してた事だよ!」
「実はシン、目的地は此処だったんですよ。
私もユウさん特製のモツ煮をご馳走になってから、この店の事を聞いて来てみたかったんです!」
「へえっ、ちょっとトーコの好き嫌い情報を更新しておかないといけないな。
これからは、レバーの炒め物とかも出して大丈夫そうだね」
「匂いが無ければ、味については大丈夫ですよ。
人間は少しづつでも、進歩するんです!」
☆
休憩中の道の駅。
エイミーの強いリクエストで訪れたこのパーキングエリアは、フードコートが広く多種多様な飲食店が並んでいる。
偶然テレビのワイドショーで目にしてから、一度は訪問したいとずっと思っていたらしい。
「ねぇSID、Tokyoオフィスを出てから付かず離れずについて来ているバイクがあるんだけど」
暖かいラテを飲みながら、初めてのツーリングにしては疲労を感じさせないトーコは元気である。
軽度の興奮状態が続いているので、アドレナリンが出まくっているのだろう。
「ああ、トーコさん気が付いていたんですか」
胸元のコミュニケーターから、すぐにSIDが返答する。
「シンも気が付いてましたよね?」
「うん。でもあの人は大丈夫みたいだよ」
シンは旺盛な食欲でトレー一杯の惣菜パンを頬張っているエイミーを見ながら、曖昧な返答をする。
「大丈夫って、どういう意味なんですか?」
「昔から居る人だからね」
シンが飲んでいるのは、アメリカンと称した浅煎りのコーヒーである。
生豆の品質が高いのか、専門店で無いにしてはとても水準が高い味である。
「???」
「気になるなら、ちょっと声を掛けてみようか。
エイミーちょっとだけ席を離れるね」
「ふぁい」
焼き立てのフランクフルトを齧ったままで、エイミーは頷く。
ヘルメットやグローブをテーブルに置いたままで、シンはトーコを伴って近くのテーブルへ向かっていく。
「あれっ、ピアさん!」
周囲に聞こえるような大声を出すトーコはとても珍しい。
「……」
ご当地ラーメンを啜っていた手を止めて、彼女はバツが悪そうな表情を浮かべていたのであった。
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