042.Beyond The Sea
朝食を食べ終えたトーコとソラは、アイラに場所を教えて貰ったデータセンターへ向かっていた。
島の道路は道幅が狭いので、雰囲気としてはニホンの農村といった感じである。
尤も道路は綺麗に舗装されているのだが、島内では走行中の車はおろかバイクすら見たことが無いのであるが。
「もしかしてCongohの膨大なライブラリの、大元は此処なんですか?」
僅か数分の徒歩で見えてきたのは、島内にある一般住宅とは趣が違うデザイン性の高い建物である。
「ライブラリに関連する施設は、安全対策で世界中に分散させています。
ここはデータを保存する場所というより、スキャン済みの書籍を保管するための場所ですね」
島内での買い物に使えるCongohのIDカードは、もちろんこの建物の入館でも問題無く使用する事が出来る。
他の一般住宅に入退室のセキュリティ機器が付いているのを見たことが無いので、やはりこの施設は特別なのだろう。
「でも蔵書が沢山あるようには、見えないですけど?」
館内ではCongoh支社と同じタイプのアイザックが、多数稼動しているのが見える。
一般的な図書館なら当たり前であるサービスカウンターが見当たらないのは、来訪者が少ないからなのだろう。
フロア全体を占める広いロビーは、輸入物のソファセットとローテーブルが並びまるでニホンの高級喫茶室のような雰囲気である。
「そこのエレベータホールを見てみましたか?」
「こんな小さな建物なのに、Tokyoオフィスと同じ倉庫用のエレベーターでしたね」
「蔵書搬送システムがあるので頻繁に足を踏み入れる事はありませんが、この下はTokyoオフィスと同じように巨大な地下施設があるんですよ」
「へえっ、でもあの表示板から言うと地下十数階まであるという事ですよね。
ニホンの国立図書館と同じような規模なんですね」
「先程のブーランジェリーでお分かりのように、実は島民の数は意外と多いんですよ。
蔵書に関してはいつでも閲覧可能ですから、アラスカの様な寒い場所は嫌という研究者は此処に来る人も多いですし」
ソラはフロアの片隅のソファで、ラップトップでタイピングをしている女性に目を向ける。
彼女の周囲には積み上げられ、ページを開かれた古めかしい書籍が山になっている。
トーコはアラスカ在住の母親の事を思い出し複雑な表情をしているが、ここで近づいて来た人影に漸く気がついたようだ。
CongohのIDカードをぶら下げた凛々しい印象の女性は、もちろん案内用のアイザックでは無く生身の人間である。
「私がここセラペウム1の責任者です。
ところでこれをご覧いただくように、アイラさんから言付かっているのですが」
促されて近くのソファに腰かけたトーコは、責任者だという女性からずしりと重いスクラップ・ブックを受け取る。
「……これは書籍じゃなくて、写真帳ですよね。
どうして個人の写真帳が此処にあるんですか?」
「膨大な蔵書をお持ちの同胞も居ますので、保管サービスを利用している方も大勢いるんですよ。
ここは特殊な空調を完備していますから、中性紙を使っていない書籍でも数百年の保管に耐えると言われていますし」
数百年の保管が可能という事実は一般の社会では非現実的と言えるだろうが、この特殊なコミュニティに於いては必須の条件なのであろう。
デジタルデータは互換性の点で次世紀に利用できる保証は何も無いが、現物の書籍であれば手に取って閲覧することが可能なのは言うまでも無い。
「こんなアルバムがあるなんて……全く知りませんでした」
トーコは写真帳をぱらぱらとめくりながら、責任者の女性に尋ねる。
殆どの写真にはトーコが中央に写っていて、これは言うならば彼女の成長記録なのだろう。
「アイラさんからの指示でお出ししたんですけど、何か手違いがありましたか?」
「いえ、写ってるのは私と母親なんで間違いではありません。
でも、うちの母親が……こんな表情をしてるのを始めて見ました。
ソラさん、すごく大きな疑問があるんですか?」
「ああ、これらはコミュニケーターに接続されたカメラで撮影してますね」
「あの仕事以外に興味が無い母親が、こんなアルバムを作ったとは考えにくいんですが?」
「さぁ、それじゃあ作ったのは誰なんでしょうね」
「プリントアウトするように指示した相手を、SIDは誰だか覚えている筈ですよね?」
「さぁ、そんな昔の事は覚えていないとSIDは答えると思いますよ」
ソラはまるで他人事のように、慣れない微笑みを浮かべながら返答したのであった。
☆
図書館からの帰り道、二人は遠回りして海岸線を散策していた。
海風の通り道である岬には、巨大な風力タービンが並んでいる。
この発電設備は複雑な形の円柱にしか見えないが、実はプロペラ型の古典的なタービンよりも効率が良いらしい。
島内の電力需要は複数の発電手段を組み合わせて、すべて時給自足で賄われているのである。
トーコは風力タービンが並ぶ絶景を眺めながら、オアフ島以来の潮の香りを堪能していた。
インドア派の彼女ではあるが、ビーチチェアに寝転がって人気が少ない海を眺めるのは大好きなのである。
此処でトーコは、道を隔てた岸壁に人影を見つけた。
フライトジャケットを身に着けた人物が竿を振っている姿は、視力が悪い彼女でも判別が可能である。
足元に巨大なクーラーボックスを置いているが、この岸壁は豊富な釣果を期待できる場所なのだろうか。
ぼんやりと眺めているトーコの視界に、滑らかな動作で釣り竿を振り投げる様子が目に入る。
直後……巻き上げも無しに中型の魚がいきなり釣り上げられ、手元にブーメランのように戻ってくる。
陽射しを強く反射しているのか釣り糸がキラキラと輝き、まるでゴム紐のように自由自在に伸縮している。
その手品のような光景は、彼女が知っているリールを慌ただしく操作する海釣りとは明らかに異なっている。
「あの釣りをやってる女性、なんか凄くありません?
私は釣り自体を良く知らないけど、岸壁からの海釣りであんな大きな獲物が釣れるものなのかな?」
「ここは周辺海域で全く漁業が行われていないんで、島の周りにも大型魚が居るんですよ。
それにあれは厳密に言うと『釣り』じゃないんですけどね」
「ああ、この島の漁師さんみたいな方なんですね。
エイミーが地元の人から、釣果を分けて貰ったって言ってましたけど」
「いえ。彼女はピアさんです。
生業は漁師では無くて、義勇軍の准将さんですね」
「うわっ、それって将官の階級だよね?
あんまりお近づきになりたくないかも」
プロメテウス義勇軍に於いては、高い階級を持った年長者の扱いは要注意である。
身近ではアイが予備役の将官に該当するが、シンが日頃から彼女に振り回されているのをトーコは知っているのである。
「ああ、彼女の場合はそういう心配は要らないですよ。
ちょっと挨拶して行きましょうか」
躊躇するトーコを促し、ソラは岸壁に向けてゆっくりと歩き出した。
「How You Doing!」
「……エイミーは来てないの?」
ソラの挨拶に棘のある口調で答える彼女は、見かけがとても若々しい。
あらかじめ聞いていなければ、トーコは自分と同じ位の年齢だと彼女を勘違いしていただろう。
身近に居るメトセラは年齢不詳の人物ばかりだが、アンやハナのように成長過程にある若年者の場合はその限りでは無いからだ。
身長はマリーよりは大きいが、小柄でスリムな体躯は鍛えているようには全く見えない。
おまけに発した言葉も聞き逃してしまいそうな程小さく、押しの強いタイプが多い職業軍人とは到底思えない印象である。
「今日は私達二人と一匹だけです」
「It‘s a splendid performance!」
クーラーボックスが満杯になっているのを見たトーコが、二人の会話に合わせて慣れない米帝語を発する。
極度の人見知りであるトーコが、自分から会話に参加するのは珍しい。
「食べきれない分はスーパーに卸しちゃうから、何匹か持っていく?」
トーコに向けてニホン語で話しかけてきた彼女は、打って変わって以前からの知り合いに向けるような優しい口調である。
「いえ、私にはエイミーのように魚を捌く技術が無いんで遠慮しておきます。
あの……どこかでお会いした事はありませんか?」
プロメテウスの関係者は当たり前のように多国語を操るので、トーコもニホン語に切り替えて応じる。
もちろんこの島の公用語とされているラテン語を、彼女は全く話すことが出来ないのであるが。
「……多分オワフ島で。
私もハワイベースには、時々顔を出すから」
「ああ、なるほど。
Tokyoオフィスなら、もっとはっきりと覚えてる筈ですもんね」
ここでトーコの肩からいつの間にか降りていたクーメルが、ピアに向けて真っすぐに近寄っていく。
足元に纏わり着く子猫を、彼女は慣れた手つきで胸元に優しく抱き上げる。
「クーメルが自分から寄っていくなんて、珍しいですね。
この子は人見知りが激しいのに」
「ああ、私も昔から猫を飼ってるから。
でも順調に大きくなってるみたいで、すごく良かったよ!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
思いがけなく意気投合した二人の会話は、コテージに場所を変えて続いていた。
ソラはリビングと隣接しているキッチンに居て、談笑している二人から距離を置いている。
「もしかしてこの子の捜索にも加わっていたんですか?」
「うん。あのシン君の相棒のK-9は、素晴らしく有能だよね。
瞬く間に見つけたから、周囲で見ていた私たちもビックリだったよ」
「シリウスは天才犬ですからね。
私も危険な状況から助けられた事がありますし」
「私はここに定住している訳じゃないので、動物を飼えないのが残念なんだよね」
「……ハワイベースに滞在していたという事は、シンの事も昔からご存知なんですよね?」
「ああ、彼女の母君と親しくしていたんでね。
でもシン君本人は、私の事は知らないと思うけど」
「?」
「ちょっと事情があってね。
私は君とかエイミーちゃんを、すごく羨ましく思っているよ」
「羨ましい?」
「だってシン君の傍に居られるのは、同年代の君たちだけだからね」
「なんか……ストーカーチックなお話ですよね?」
「まぁここだけの話だけど、シン君が危険な状況にならないように配慮するのが私の仕事だったから。
今代では唯一人の貴重な男子だからね」
「えぇっと、過去形なんでしょうか?」
「うん。今はエイミーちゃんが傍に居るし、私が干渉する必要も無くなったから」
「そんな内情を私に話しちゃって良いんですか?」
「ああ、エイミーちゃんにはこの間話をしたから、今度は君の番なんだよ。
君はシン君とは付き合いが一番長いし、彼がとっても大切にしている家族だからね」
「……私がシンに話しちゃうかも知れませんよね?」
「どう説明する?
ストーカーみたいな人が居るから、気をつけなさいって?」
「……」
「彼の子種はある程度確保したけど、彼の価値はそれだけじゃないからね。
ノーナが言っていたけど、彼はこの惑星の行く末に大きく絡んでくる重要人物だから」
「……それで私にどうしろと?」
「ううん、特に何も。
ただ将来的には、子供が出来ると良いかな」
「でも私は普通の人間ですから、子供が出来てもあまり意味が無いんじゃないですか?」
「そう思ってるのは、君だけかも知れないよ」
意味深な微笑みを浮かべたピアは、ぽつりと呟いたのであった。
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