041.Born That We May Have Life
午後の学園寮キッチン。
備え付けのコールドテーブルでは、いつもの兄妹が食材を仕込みながら会話をしている。
この時間はエイミーにとって、シンとの大切なコミュニケーションの時間でもあるのだ。
「トーコさんは、ソラさんのリクエストで同行したんですよね?」
エイミーは冷蔵庫からバナメイエビを取り出して、頭と殻を剥き始める。
殻についた色がかなり濃いので、近所のスーパーから調達したこのエビは鮮度がかなり高いのだろう。
「うん」
モヤシの下拵えをしながら、シンが返答する。
ひげ根と芽を一本づつ取り除く作業は面倒だが、彼に中華料理のイロハを教えてくれた老婦人は決して手抜きを許さなかった。
今では中華料理以外のレパートリーも豊富なシンであるが、仕込みと段取りの大切さについては彼女から学んだ部分が大きいのである。
「SIDはもしかして、トーコさんに特別な思い入れがあるんですかね?」
エイミーは真剣な表情で、背綿を爪楊枝を使って取り除いている。
ユウから料理全般を習っている彼女だが、既に魚介類の扱いに関してはユウからも一目置かれているらしい。
「……どうしてそう思ったのかな?」
ソラ本人からある程度の事情を聞いているシンであるが、ここでエイミーに簡単に種明かしをするつもりは無い。
エイミーは対象がどんなものであっても由来がわかってしまう能力を持っているが、それがAI相手の場合にどうなるのかはシンには分からない。
だがソラの口から態々説明したという事は、あまり周囲に事情を知られたくないというSIDの強い意向があるのは確かである。
「何となく、トーコさんにだけ接し方が違うような気がして。
それに彼女のお母様は研究者で、あまり娘との触れ合いが無かったんですよね?」
ボウルに入れたエビを片栗粉で揉み込みながら、エイミーはシンに尋ねる。
「うん。
アラスカで会ったときにも、そう言っていたけど」
シンは黙々とモヤシの処理を続けている。
「トーコさんの今の性格を見ると、強気を装っているだけで捩れた部分がありませんよね?
愛情を持って見守ってくれた存在がいなければ、ああいう風に育っていないと思いますけど」
流水で片栗粉を流しながら、エイミーはエビに汚れが残っていないか目を凝らして確認している。
「トーコのツンデレの事、良くわかってるんだね」
「ええ、勿論です。
それにシリウスやクーメルがあれだけ懐いているのは、彼女が愛情を持って接しているからでしょう?」
エビの仕込みを終えたエイミーは、今度は冷蔵庫から水で戻してあった乾燥木耳を取り出し選別を始めた。
乾物特有のゴミが付着していないか、食材に向き合っているエイミーの表情はあくまでも真剣である。
「エイミーはトーコを見守っていた存在が、SIDだと考えているのかな?」
「はい。
SIDは、レイさんが自分の娘のように育てたAIだと聞いていますから。
愛情を持って育てられた存在は、人に愛情を返すことができる筈だと私は信じていますから」
☆
場所は戻ってセルカーク。
「何でこんな辺鄙な場所にわざわざ……」
早朝にコテージの周辺を散歩しながら、トーコは独り言のように文句を呟いている。
クーメルは彼女の肩の上にのったままで、周囲をキョロキョロと見渡している。
毎朝の習慣なのかジョギングしている女性が沢山居るが、トーコ達に不躾な視線が注がれることは無い。
住人が少ない?島なので、二人が滞在しているのは既に周知の事実になっているのだろう。
「それは此処がトーコさんと仔猫にとって、リラックスできる場所だからですよ。
昨夜はぐっすりと眠れたんじゃないですか?」
「……そういえば、あんな早い時間帯から熟睡できたのは久しぶりですね」
広域無線LANが使えるこの島では、実は寮と同じ快適さでネットが使える環境である。
だが日付が変わる前に強い眠気を催した彼女は、早々にラップトップの液晶を畳んで寝てしまったのであった。
「早朝に散歩したのも、久しぶりじゃないですか?」
「そういえば、自然と目が覚めました……不思議ですね」
「この場所は、単に静かだというだけじゃないんですよ」
「???」
「Congohの専門家の話だと、この土地はある種のエネルギーが集中している特異点なんだそうです」
「……それって、地脈とか龍脈とか呼ばれるものですよね?
そんなオカルトみたいな話は、ソラさんの言葉とは思えませんけど」
「それじゃぁ、こんな辺鄙な場所なのに人が集まってくる理由は何だと思いますか?
ここの島の人口は、百年前から一度も減少した事が無いんですよ」
「そんなに此処って、歴史が長いんですか?」
「メトセラの発祥の地はプロメテウスですけど、この島かなり昔から『隠れ里』だったようですよ」
「でもお会いした住人は、せいぜい10人位ですよね?」
「朝のこの時間帯は、殆どの住人が勢揃いする珍しいイベントがあるそうです」
「イベントですか?」
「ああ、そこがシンから聞いていたブーランジェリーですね。
私たちも朝食を頂きましょう」
色鮮やかなオーニングテントが目立つ入り口には、人が大勢群がっている。
トーキョーで人混みに慣れているトーコとしても、この島に来て以来初めて見る光景である。
「うわっ、この島にはこんなに沢山の人が居たんだ!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「このブリオッシュ、美味しいですね!
シンが言ってた、ここじゃなきゃ食べられない味っていう意味が分かりましたよ」
普段は小食のトーコだが、2個目のブリオッシュを躊躇うことなく口にしている。
カーメリのブーランジェリーで修行した職人が作るブリオッシュは、島民にとっては定番の朝食なのだろう。
「こちらもどうぞ」
店の奥から戻って来たソラが、トーコの前にサンドイッチの皿をさりげなく配膳する。
「あれっ、玉子サンドなんて売り場にありましたっけ?
それに、なんか食べなれた味のような……」
この玉子サンドは、インハウスの自由に使えるキッチンで急遽ソラが作ったものである。
サンドイッチは手間の関係で店頭では売っていないが、ゆで卵やマヨネーズは常備されているので玉子サンドならば簡単に用意できるのである。
「子供の頃から好きなメニューですよね?
シンもあまり作りませんし」
自分が作った玉子サンドを頬張るトーコを見て、何故かソラは嬉しそうな表情である。
「ええ、大好物です」
トーコは濃いめのラテを飲みながら、次々とサンドイッチに手を伸ばしている。
普段は朝食をほとんど口にしない彼女にしては、旺盛な食欲と言えるだろう。
クーメルはトーコの足元で、自家製らしいコンビーフをガツガツと食べている。
これは猫好きの職人さんが提供してくれたサンドイッチ用の具材だが、塩分が少ないので量を食べ過ぎなければ特に問題は無いだろう。
クーメルがこの島の出身だという事実は知れ渡っているようで、その姿を見た住人は一様に笑顔を見せている。
「どれどれ」
玉子サンドの皿に向かって、トーコの肩越しに手が伸びてくる。
「あれっ、アイラさん。
お早うございます!」
「おはよう!
ほうほう、味が分からないわりにはちゃんと出来てるじゃないか?」
サンドイッチを頬張りながら、アイラはソラに向けてウインクをしている。
「ふんっ、味覚オンチでもこの位は出来るんですよ!」
珍しく愛想の無い態度で、ソラがアイラに反論する。
トーコは二人のやり取りを見ながら、前日のソラの調理の様子を思い出していた。
確かに彼女は味見をせずに、どの調味料もしっかりと計量をしていた様な気がする。
「まぁ幼児が数年掛かって身につけていく味覚を、そう簡単に習得できる訳は無いけどね。
それにしてもトーコちゃんは、母君の若い頃にそっくりだなぁ」
トーコに話し掛ける時だけ、アイラは流暢なニホン語を使っている。
ここセルカークの公用語はラテン語なのだが、現実的には他の言語が使われる場合が多い。
「母君って……アイラさんは、母をご存知なんですか?」
「うん、勿論。
古い友達だし、実は君の出産に立ち会ったのは私なんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「君はプロメテウスにも戸籍を持ってるのは、知ってるよね?」
「はい。
雫谷学園に入学する前に、説明を受けてます」
「君はプロメテウスが統治している、この島生まれなんだよ。
本来プロメテウスは血統主義なんだけど、君の母君の強い希望を無視出来なくてね」
「……知りませんでした。
生まれ育ったのがトーキョーだったので、出生地も同じかと思っていました」
「君はそのクーメルと、『同郷の士』という事になるね。
ところで、この島にはデータセンターがあるのを知ってるかな?」
「データセンターですか?
シンは一言も言ってなかったですけど?」
「うん。シン達は短期の滞在だったし、山の麓の分かりにくい場所にあるからね。
観光資源は何も無いこの島だから、唯一足を運んで見る価値はあると思うよ」
「なぜ突然にその話を?」
「実はデータセンターには、君に見て貰いたいものがあるんだ。
出来ればこの島に滞在中に、訪問して欲しいな」
「はぁ……。
アイラさんがそう仰るなら、行ってみようと思いますけど」
トーコはかなりの読書家だが、最近はCongohのライブラリをブックリーダーで読む事が多い。
出版されている殆どの本が閲覧できるので、最近は図書館はもちろん書店に足を運ぶことも稀なのである。
「個人のライブラリも保管しているから、そういった類は電子化はしていないからね」
「???」
アイラの一言に、おもわず首を傾げてしまうトーコなのであった。
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