010.If It's Not What You're Looking For
数日後。
フウに呼び出されたシンは、エイミーとトーコを伴ってTokyoオフィスに来ていた。
リビングに顔を出したシンの肩の上には、前足を鎖骨のあたりに投げ出したシリウスがしっかりと乗っかっている。
リードを付けて歩くよりも何故かシンの肩の上が好みのようで、気がつくと其処が定位置になっていたのである。
まだ体重が軽い幼犬?なのでシンの負担にはならないが、少年の肩の上で器用にバランスを取っている仔犬は通行人の注目を集めていた。
「ユウと学校で組手をしたんだって?」
ソファに座った三人に、飲み物を勧めながらフウは言う。
シンが連れている仔犬をちらりと見るだけで何も言わないのは、すでにナナから事情を聞いているからだろう。
「ええ、ボコボコです」
流石にソファに座っているのに肩に乗っているのは不自然なのか、今はシンの膝の上に降りてシリウスはリラックスしている。
ソファの近くには黒猫のピートが居るのだが、目線を合わせる事も無く我関せずという様子だ。
「当たり前だ、鍛えてる年数が違うからな。でも勉強になっただろ?」
「はい。日常のトレーニングがいかに大切か、分かったような気がします」
シンは会話をしながらポケットからジャーキーが入ったジッパー袋を取り出し、一枚を抜き取って掌の上に載せる。
これは寮の冷蔵庫で余っていた牛肉をシンが簡易燻製で作った自作の一品で、添加物はおろか調味料も一切使っていない。
シリウスはそれをじっと見ているが、シンの『よし』という声を聞くと大きな口でガツガツとジャーキーを咀嚼する。
特にシンが躾をしなくても、言うことを理解しているのは知能がとても高いのだろう。
「ユウはベックの訓練に定期的に付き合ってるから、ここに来れば一緒にトレーニングできるぞ」
フウはシンに懐いているシリウスを、目を細めて見ている。
「ベックと一緒ですか……考えておきます」
「あいつ、まだ突っかかってくるのか?」
「ええ、こちらは別に嫌ってるわけじゃないんですけどね」
シンの膝の上では、シリウスがジャーキーのおかわりを要求するようにシンの顔をじっと見ていたのであった。
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「えっ、仕事のお手伝いですか?」
追加のジャーキーを与えながら、シンは意外な様子でフウに尋ねる。
トーキョーメンバーの業務はその殆どが軍事作戦と呼べるハードなものなので、手伝うという発想が全く無かったからである。
「ああ、お前たち3人にチームとしての依頼だ。
アルバイトとは言っても入国管理局からの正式な委託業務だから、ギャラもしっかりと出るぞ」
「どんな内容なんですか?」
「愚連隊のメンバーに協力して、DDの捜索だな。
前に手伝いに駆り出されていたユウも、学園を手伝ったり最近は忙しくて手一杯だからな」
「それとエイミーに関してはDDの鑑定が現地で出来そうだから、校長から必ず参加させるように言われている。
となると、トーコも同行することになるだろう?」
エイミーは湯気がまだ出ている2杯目のココアをちびちびと飲みながら、同意したように小さく頷く。
足元ではピートが彼女の足に体をこすりつけ、小声でゴニョゴニョと謎の声を発している。
「虫が多い場所の、山歩きは嫌です……」
お茶請けの煎餅をパリポリと食べながら、トーコはモゴモゴと言う。
ブラウンシュガーがたっぷり入ったエスプレッソと煎餅の組み合わせは見ていて微妙だが、トーキョーオフィスでは特に珍しく無い組み合わせらしい。
「ああ、誰もそれは期待してないから大丈夫。トーコは基本車で待機してオペレーター役だろう」
「それなら……」
☆
指定された当日、シン達は待ち合わせ場所であるTokyoオフィスに来ていた。
正面ゲートから敷地内に入ると、すぐに大型クルーザーの脇に立っている迷彩服姿の女性が目に入る。
彼女はシンがヴィルトスの使い方のアドバイスを受けたことがある、入国管理局所属のパピと呼ばれる女性だ。
彼女はMP5以外はフル装備で、弾帯やコンバットベストもきちんと着用している。
「うわぁ~こいつ可愛いなぁ」
シン達との挨拶もそこそこにシリウスを抱き上げると、パピは慣れた手つきで喉元や背中をやさしく撫で回す。
初対面にも関わらず、嫌がる仕草も見せずにシリウスは甘い鳴き声を上げている。
「犬、お好きなんですか?」
「うん、官舎暮らしが長くて、最近は飼ってないけど大好きだよ。
この子はなんて名前?」
「シリウスっていいます。
早速ですけどパピさん、運転お願いします」
「Not On Your Life!」
「へっ?」
「この子と一緒に居たいから。シン、実は運転できるでしょ?」
「ええ、昼間なら運転できる限定免許を持ってますけど……でも二ホンでは米帝州のライセンスは無効ですよ」
「いいじゃん、出来るんだから。助手席でナビしてあげるからさ」
「そんな、法律違反を助長するような事を国家公務員が言わないで下さいよ。
検問で止められたら大変でしょう?」
「陸防隊公用車ナンバーの車を、わざわざ検問で止める警察官なんか居ないって。
それに免許証なら、あとでキャスパーから手をまわして貰って公安から正式に発行して貰えば良いんだよ」
「そんな不正行為を、堂々とアドバイスしないで下さいよ」
「よしナビシステムに座標を入れてっと、レッツゴー!」
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「ねぇ、この子いつから飼ってるの?」
パピの膝の上で、シリウスはリラックスしてウトウトしている。
「まだ飼い始めたばかりですよ。
パピさん、この子はナナさんから強制的に送られて来た子ですからね。その点をお忘れなく」
「げっ、もしかして普通の犬じゃないって事?」
「ええ。
まだ仔犬なのに妙に落ち着いていて、二ホン語も米帝語もしっかりと理解してるみたいですよ」
「うわっ、こんなに可愛くて天才犬かよ。君はタレント事務所に所属したら、凄く稼げるのにね~」
「バウッ」
いきなり会話に参加するように、シリウスは小さな吠え声を上げたのであった。
☆
一時間後、入力した位置座標に従って到着した先は、トーキョー近郊の大きな火力発電所である。
周辺は殆どが田んぼで農道が碁盤のように整備されているが、そんな長閑な風景の中に発電所の敷地が大きく広がっている。
「大きな発電所ですね」
ニホンの国内事情には詳しく無い、シンがぽつりと呟く。
発電所の正門から中に入った一行は、すでに用意されていた人数分の通行パスを受け取って広い駐車場から敷地の中を歩いていく。
事前に案内は不要と伝えてあった様で、電力会社の職員や警備員は誰も同行していない。
原子力発電所のようにテロに備えた厳重な警備は無いが、むき出しの変圧設備にはしっかりと高いフェンスと忍び返しが施されている。
山歩きでは無いのでトーコも不平を言わずに同行しているが、コミュニケーターを通して何かSIDと連絡をしているようだ。
「ああ、火力発電所としては国内最大みたいだね」
パピが周囲を、目を細めて見渡しながら応える。
「こんな所にDDが出現するなんて、珍しいですね」
「うん。それが出現情報の後に、原因不明の出力低下が起きてるみたいでさ」
「ここの発電設備で?」
「うん。入念に点検したけど異常が無くて、原因がわかっていないみたい」
「よく送電先が停電しませんでしたね?」
「いや、送電網のバランスが崩れる程のレヴェルじゃないけど、原因不明なのが問題になっているんだよ。カントー電力のエンジニアによると、構内で不正な電力ラインが一時的に構成されていた可能性があるんだって」
「ははは、ニュースで送電線に細工して電力を盗んだ奴がいましたけど、それの大規模版ですね」
「過去にDD発現後にこういった影響があった事例が無いんで、それで発電設備に詳しい自分が来たって訳」
「パピさんって、そういう知識も持ってるんですか?」
「うん、海兵隊の作戦で停電させる為に真面目に勉強したから」
定位置のシンの肩の上に戻ったシリウスは、遠くを見るように目線を周囲に投げかけて何かを探しているような仕草だ。
視力が弱い筈のイヌ科?にしては焦点がかなり遠くにあるようで、まるでサバンナで獲物を探す肉食獣のような凛々しい表情をしている。
「エイミー、何か感じる?」
「……ここには何も無いような気がします」
エイミーは首を振りながら答える。
「たぶん空振りだと思ってたけど、こんな場所にオーパーツが出現したら直ぐにわかるよね」
「電力を吸収するオーパーツ……なんて事はないですよね?」
「いや、その可能性は高いような気がするよ」
「でも何か、嫌な予感がします……」
何も発言していなかったトーコが、ポツリと一言を発した。
その時、周囲を眺めていたシリウスが肩から飛び降りて、低い姿勢のままで歩き出した。
アスファルトの路面に何かを見つけたようで、シンに顔を向けて向けて小さく吠え声を上げる。
「何か見つけたのかな」
シンが立ち止まったシリウスの足元を見ると、細いタイヤ痕のようなものが微かに路面に残っている。
「へぇーよく見つけたね。
このタイヤの間隔は、フォークリフトみたいな特殊な車輌かな」
シリウスの頭を撫でながらパピが周囲を見渡すが、フォークリフトはおろか一般の車輌も周囲には見当たらない。
資材の搬入口は構内地図によるとだいぶ離れた場所にあって、標識も見当たらないこの辺りを車輌が通過する事は無いのかも知れない。
トーコはSIDの指示を受けて、コミュニケーターの内蔵カメラを使って念入りにタイヤ痕と周囲の様子を撮影している。
その後は時間を十分に掛けた細かい探索でも何も発見できず、この日は日没と共に一同は撤収したのであった。
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