039.All I Ever Needed
「シン、ちょっと相談があるんだが?」
ISSでの予期しない遭遇からかなりの時間が経過し、ほぼ毎週顔を合わせているアイリーンはかなり打ち解けてきた感じである。
ジョンソン基地で再会した当初は、エイリアンのように警戒した目で見られていたのであるが。
「はい?
今度はどんな訓練ですか?」
一応ご褒美という名目で訓練生のカリキュラムに参加しているシンだが、その実態はアイリーンの助手であり何でも出来る雑用係として重宝されているのである。
「いや、訓練の話じゃなくてな。
この間のサバイバル訓練で、お前がニホン式カレーを訓練生に振る舞っただろ?」
「はい?」
まさか食べ物の話題だとは思わずに、身構えていたシンとしては拍子抜けである。
「あれをここの食堂で出せないかって、参加者連名で要望が来ていてな」
「ああ、この辺りにはニホン式のカレーショップはありませんからね。
地元の知り合いが出店する予定はありますけど」
近年、米帝の大都市ではニホンのカレーチェーンの出店が進んでいるが、牛丼屋ほどの全米展開はまだ行われていない。
したがって訓練生達にとっては、ニホン式のカレーライスは生まれて初めて食べた料理だったのだろう。
「それでレシピを教えて貰えないかと、食堂の料理長から話が来ていてな」
「あれっ、この間顔を合わせたのに何も言ってなかったなぁ」
シンは職員食堂を頻繁に利用しているので、厨房のメンバー数名とは既に顔見知りになっている。
少なくとも訓練で顔を合わせるだけの宇宙飛行士訓練生達よりは、話を頻繁にしているだろう。
此処の食堂で出されている米帝の郷土料理は、シンが知らないレシピも多いのでとても参考になるのである。
「お前はニホン人だと言う訳じゃないし、結びつかないのは当然じゃないか。
現在のホームタウンがTokyoだと、知っている人間も居ないだろ?」
「ああっ、なるほど。
それなら、この間も使った業務用のレトルトパックが入手できるんでそっちの連絡先を教えますよ」
「あれって、出来合いの料理だったのか?
かなり複雑な味がしてたのに、それは意外だな」
「出来合いと言っても、業務委託で作って貰ってる特注品ですからね。
ニホンの大手の食品メーカー製ですけど、通常のルートで購入するのは難しいんですよ」
「ああ、これで訓練生の要望に応えられそうだな」
「でもニホン製の炊飯器一式と良いお米が無いと、あの味には成らないんですけどね」
☆
翌日、テキサス某所。
シンはユウからの依頼で、グレニスに会いに来ていた。
用件はもちろん、彼女が試行錯誤を続けているニホン式洋食の試食をするためである。
ちなみに研究熱心な彼女の自宅キッチンには、軟水器はもちろんニホン製の業務用炊飯ジャーが備え付けられている。
「だぁ、だぁ!」
「久々に会ったら、かなり歩けるようになってたんですね。
小さい子は、ほんとに成長が早いなぁ」
シンはエイシャを抱き上げながら、間近で彼女と目を合わせる。
その無垢な笑顔は記憶の奥底にある実妹の姿とだぶって見えるが、その複雑な心情を誰かに告白する事は無い。
シンの中でも、現在ではエイミーと実妹の存在は混同され区別が曖昧になっているのである。
「ええ、相変わらずシン君にご執心のようだけど」
おぼつかない足取りでシンに突進していたエイシャは、シンの膝上を確保出来たのでニコニコとご機嫌である。
彼女の胴体に回したシンの手を赤ん坊とは思えない強い力でしっかりと握っているのは、離れたくないという強い意志を表しているのだろう。
ジョーは国内のロードツアーで不在なので、このシンにべったりな愛娘の様子を見ないで済んだのは幸いだったかも知れない。
「この子は、シンのこどもなの?」
今回はシンの指名を受けて同行しているマイラが、ストレートな物言いで尋ねる。
知能指数が高い彼女は対人関係の機微に疎いわけでは無く、シンに対しては遠慮が全く無いという間柄なのだろう。
もっともシンだけに分かるように、ニホン語を使っているのは初対面のグレニスに気を使っているのかも知れないが。
「いや、違うよ。
僕が知っている限りでは、まだ子供は居ないよ」
シンの苦笑の意味を知っているのは研究所の面々だけであるが、それを他人に説明する必要は無い。
「ちなみにだぁだぁ言うのは、うちのダンナじゃなくてシン君だけなのよね。
ジョーが見たら、かなりショックを受けそうだわ……」
「初対面でオムツ替えもしたし、赤ん坊には何故か懐かれるんですよね」
「ふふふっ、赤ん坊だけじゃないでしょ?
ところで、シン君にはこんな小さな妹さんも居たの?」
「ええ。寮に一緒に住んでる、末の妹分ですね。
彼女はニホン食を食べなれてるんで、試食の為に連れてきたんですよ」
シンはマイラのショートカットの髪を撫でながら、グレニスに説明する。
久々にシンと長時間一緒に行動できるので、シンの膝上のエイシャと同様にマイラもご機嫌である。
「マイラです。宜しく!」
米帝語で行われている会話の内容を正確に把握し、同じ米帝語で彼女は挨拶をする。
彼女は学園では米帝語を使用する機会が多いので、実はニホン語以上に流暢に喋ることが出来るのである。
「あら、マイラちゃんはとっても利発なのね。
シン君のガールフレンドは美形揃いって聞いてたけど、マイラちゃんも可愛いわね!」
「僕は試食役としてはあまり適任では無いので、彼女の感想の方が的を得てるかも知れません。
彼女は好き嫌いが無いし、どんな料理に対しても先入観がありませんから」
「あの妹さんは、今日は留守番なんだ」
「ええ。エイミーは僕と殆ど同じ味覚になっちゃってるんで、試食には向いてないんですよ。
それに遠出するのはマイラの教育の一環でもありますから、快く留守番をしてくれてます」
「おねえさん、キッチンからとっても美味しそうな匂いがする!」
ここでお母さんやおばちゃんという単語を使わないのは、日頃の教育の賜物なのだろう。
「そうね……早速試食をお願いしようかしら」
キッチンで試食用の皿を手際良く用意したグレニスは、リビングに居るシンとマイラの前に皿を並べる。
マイラは空腹だったのか、大きなスプーンを使って慣れた様子で食べ始める。
「あれっ、この味って?」
シンは一口だけで、このカレールーの由来に気が付いたようだ。
「ええ。最近テキサスにも販売ルートが広がったみたいで、犬塚食品から送って貰うのが可能になったのよ。
ユウさんの助言で、香辛料とA1ソースを加えて地元向けに味を調整してるのだけれど」
「なるほど。
ジョンソン基地絡みなんですね」
「???」
グレニスはNASAに納品するようになって、販売ルートが拡充された件までは知らないようである。
「このトッピングのフライ、牛カツ……いやチキンフライドステーキなんですね」
「ええ、普通のトンカツよりも原価を抑えられるし食べ応えもあるから。
シン君にちょっと前にご馳走になったのを、参考にしたのよ」
「おねえさん、とっても美味しい!」
マイラは覚えたばかりのサムアップで、グラニスに自分自身の評価を伝える。
寮でも定期配送されているユウ謹製のカレーは良く食べているので、違和感を全く感じていないのだろう。
「ルーも甘口になっていて、トッピングとの相性も良いですね。
ニホンでも中濃ソースをカレーに掛ける人も居ますから、A1ソースを使うのは良いアイデアかも。
何より、この土地の特色が出ていて良いと思いますね!」
「ああ、シン君にそういって貰えると安心だわ」
「ん~うまうま!
この上に乗ってるお肉も、とっても美味しい!」
「マイラちゃん、無理して全部食べなくても良いわよ」
「駄目!食べ物は無駄にしちゃいけない!
お化けが出てくるよ!」
「お化けって???」
「ああ、マイラは昔過酷な経験をしてますからね。
配膳された分を残すのを、とっても嫌がるんですよ」
「???」
「『もったいない』は駄目だよ!」
彼女が違う惑星出身だと説明するつもりは無いが、シンは遠まわしに彼女の境遇の一端を説明する。
「数か月前に会ったばかりのマイラは、胃が小さいままで食事もちょっとしか食べれなかったんですよ。今は食事量も増えて、ようやく年齢相応に体が大きくなって来てるんですけどね」
グレニスはマイラを紛争地域の難民だと誤解しているのか、シンの話を目を潤ませながら聞いている。
その間に皿に盛られていた試食用のカレーを、マイラは米粒一つ残さずに完食していた。
「ごちそうさまでした!
ホントはお代わりしたいけど、寮のご飯が食べられなくなるからゴメンなさい!」
習慣になっているのかニホン式にコクリとお辞儀をするマイラに、グレニスは同じ仕草でお辞儀を返している。
「これならカレーもメニューに入れて大丈夫ですね。
仕込みに関しても、トッピングのフライとかに時間を掛けられますからね」
「ええ。
メニューを増やすには、やっぱり仕込みの効率も考えないとね」
「あとトッピングは、ハッシュポテトとかコロッケですかね?」
「うん。
ニホン式のコロッケカレーみたいなメニューも、現在考えている最中よ」
エイシャとすっかり仲良くなったのか?
シンの膝上に居た彼女は、いつの間にかマイラと並んで座っている。
人見知り気味のエイシャだが、マイラの事は気に入ったようでキャッキャと嬉しそうな声を上げている。
「姉妹って良いわね。
私は大家族で育ったから、もう一人位……」
小声で呟いたグレニスの一言で、ツアー中のジョーがクシャミをしたかどうかは定かでは無い。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
テキサスからの帰路。
「シン、この惑星はとっても綺麗!」
シンとの二人きりの会話では、マイラが話すのは自然とニホン語になっている。
彼女は語彙も増えてきたので、以前のようにアニメから影響を受けたような喋り方をする事も無くなっているようだ。
「ここが?」
「うん。生まれた場所と似ているから!
同じ匂いがするんだ!」
亜空間飛行中に高速で流れていくグランドキャニオンの景色を見ながら、マイラは懐かしそうな表情である。
「ああ、なるほど」
シンは映像作品として見ていた、『チタウリの少女』の惑星の様子を思い出していた。
たしかにこの砂漠や断崖の風景は、地面の色や植物の植生も彼女の母星に似ているかも知れない。
「お土産は何にしようか?」
「あのナッツが一杯載った、甘いのが良い!
みんなあれが好きで一番人気だから!」
「ああ、アイさんの処のピーカンパイだね。
それじゃちょっと寄り道して手に入れようか!」
「うん!」
シンの首に回した手は、先ほどのエイシャよりも一回り以上大きくそして力強い。
エイミーに迫ろうとしている彼女の成長を、シンとしては兄妹というよりも保護者として見守っている心境なのであった。
☆
遡ること数日前の、オーサカ某所のテストキッチン。
「ユウ、なんかNASAからレトルトカレーのオーダーが来てるんだが?」
カレーソースの供給について打ち合わせしているユウに、料理長は不思議な表情をして尋ねる。
外販用のカタログには載っていない特別な商品なので、まず総料理長に確認が入ったのだろう。
「えっ……ああ、私の知り合いの子がNASAの特別職員になったんで、その関係かも。
それで供給は出来るんですか?」
「うん。昔から宇宙食を納品してるから、販売ルートはあるんだ。
でも味はこのままで大丈夫だと思うか?」
「既に試食済みだと思いますので、逆に変えちゃうと文句が入るかも知れませんね。
私の所属先からも世界中の拠点に送ってますけど、味についてのクレームは聞いた事がありませんし」
「あのカレーの味は、人種や嗜好に関係無しに受け入れられるメニューなんだろうな」
「ああ、あとはモチロン総料理長の腕前じゃないですか?」
「思い出したように、付け加えるなよ!」
ユウは普段は不愛想な総料理長の笑顔を見て、ご無沙汰している料理の師匠のことを思い出していたのであった。
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