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037.Shelter Throuth The Night

 週一回のペースで顔を出しているジョンソン基地で、シンは順調に知己を増やしていた。

 そのメンバーは食堂の調理担当からISSのフライトディレクターまで分け隔て無く広いが、もちろんリアクションホイールの件でお世話になった技術系の職員もそこには含まれている。

 

「あれっ、サバイバル訓練ってロシアでやるんじゃないんですか?」


 この基地には自分のデスクが無いシンは、今日もアイリーンのオフィスに入り浸っている。

 宇宙飛行士室のオフィスに居れば良いという長官(クレア)の一言があったが、さすがにシンもそこまでは神経が図太くないのである。

 

 「いや、現在はアラスカでやってるんだよ。

 今はソユーズに頼らなくても、乗員の移動ができるようになったからな」


 シンが持参した手作りのクッキーをサクサクと頬張りながら、彼女は訓練カリキュラムをチェックしている。

 クッキーはナナのレシピでシンが作った試作品なので、その味は言うまでも無く絶品である。

 味見のつもりで口にした彼女だったが、大きな缶に入ったクッキーは既に半分ほど無くなっている。


「このチョコチップクッキーって……一体誰が作ったんだ?」

 仕事に集中している時は眉間に皺を寄せた険しい表情のアイリーンだが、クッキーを頬張っている時にはがらりと表情が変わっている。

 きっと彼女にとってチョコチップクッキーは、『止められない止まらない』特別な思い入れがあるお菓子なのだろう。


「欧州産の高級チョコと貴重な小麦粉を使った試作品ですからね。

 原価が高すぎてダイナーでは売れないでしょうから、二度と食べられない貴重品ですよ」


「ホント何でも出来るんだな……ところでお前は苦手な分野があるのか?」


「ええと、出来ない事だらけですけど?」

 この一言はシンの嘘偽りの無い本音であるが、アイリーンは胡散臭そうな表情でシンの顔を見つめている。


「ゴホンッ……ところでシン、もちろんサバイバル訓練には参加してくれるんだよな?」

 微妙な沈黙を誤魔化すように、彼女は別の話題を切り出す。


「ええっ、今更ですか?

 妹が生まれるまでは年に数回はやってましたから、出来れば遠慮したいんですけど」

 シンはオフィスに備え付けのカプセルマシンで、薄目のコーヒーであるルンゴをドリップしている。

 クッキーに手を付けないのは、調理の段階でかなりの量を試食しているからである。


「ボーイスカウトのキャンプとは、ちょっとレヴェルが違うと思うけどな」


「僕はボーイスカウトのメンバーじゃないですよ。

 最初のサバイバル訓練は、6歳の誕生日にナイフ一本持って単独でのアラスカ横断でしたけどね」

 大き目のマグカップでアロマを楽しんでいるシンは、やはりエスプレッソよりもこちらの方が好みなのである。


「……それなら、参加というよりも監督するのを手伝って欲しいな」


 シンが大言壮語を決して言わないのを知っているアイリーンは、シンの出身であるプロメテウスという国家の特異性に気が付き始めていた。

 まだハイスクールに通っている年齢にも関わらず、多国語を操りセスナや戦闘ヘリの操縦をマスターしているなど常識的に考えればあり得ない絵空事である。

 おまけに年齢に見合わない経験と多種多様な特技を持っていても、彼は自分自身を過大評価する事なくあくまでも謙虚である。

 それは謙遜という美徳から来ているものでは無く、彼の所属している集団の中ではごく当たり前の事なのだろう。


(プロメテウスの兵隊は一騎当千っていう伝説は、あながち大袈裟じゃないのかも知れないなぁ)

 コーヒーを飲んでいるシンを横目で見ながら、士官教育のテキストに載っていた一文を久しぶりに思い出したアイリーンなのであった。



                 ☆

 


 翌週、アラスカ某所。


「散々文句を言ってた割には、来てくれたんだな」


 チャーターした輸送機と分乗したRV車で現地に到着したアイリーンは、前触れ無く現地に登場したシンに目を丸くしている。

 おまけにシンはリードを付けていない中型犬を連れ、大型のリュックに詰め込まれたかなりの量の荷物を背負っている。

 サバイバル訓練では宿泊用のテントや必要な道具はすべてNASAの備品を使用するので、本来なら私物を持参する必要は全く無いのであるが。


「僕は不参加でも良いんですけど、シリウスが来たがってましたから」

 全く重量を感じさせない挙動でリュックを下ろすと、シンの横で()れているシリウスに目配せする。

 シンの許可を貰ったシリウスは、尻尾をブンブンと振りながらすごい勢いで雪原を走り出す。


「シリウスって、君が連れてるその子かい?」


「彼女はハスキーの血が入ってますから、寒い土地が大好きなんですよ」

 シリウスは久々の雪原を縦横無尽に走り回り、かなりご機嫌な様子である。


「なるほど!

 それにしても中型犬にしては、随分と雪に慣れてる感じだな?」

 大型のハスキーであっても難儀する雪原を、まるで灰色狼のように自由自在に駆け回っている様子を見てアイリーンは呟く。


「ええ。この辺りにも何度か来て慣れてますからね。

 それに彼女の体力は、犬ぞりを引いているハスキーよりも遥かに上ですから」


「???」

 アイリーンはもちろんシリウスの素性について知らないので、シンの発言についてはその真意が分からなくて当然なのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「ああ、かなり設営が大変そうですね」

 サバイバル訓練では通常小型テントを使用するのだが、あまりに効率が悪いので今回は米帝陸軍の備品である大型テントを使用する事になっている。

 ISSで長期間共同生活を送る宇宙飛行士としては、大型テントでの不自由な生活も訓練の内なのだろう。


 アイリーン以外の全員がスコップを使って雪を踏み固めている様子は、見るからに大変な土木作業である。

 大型の自立型テントであっても、土台をしっかりとしておかないと倒壊する危険性は否定出来ないのだろう。


「それじゃぁ、私達もテントの設営をやろうか!

 シン、手伝ってくれるか?」

 足もとに積み上げられているテントの部材を、彼女は指し示す。

 こちらも自立型の小型テントなので、完成するとかなりのサイズになると思われる。


「あっ、このタイプは扱った事がありますから、僕一人だけで大丈夫ですよ。

 あっちの大型テントの設営を、まず手伝って下さい」

 

 シンは横目で設営の様子を見ながら、アイリーンに進言する。

 本音を言えば重力制御を使って一人で作業した方が、二人掛かりより簡単なのである。


 二人以外の参加メンバーは米帝陸軍仕様の大型テントを設営しているが、テントに慣れた陸軍経験者が皆無なのでかなり苦戦しているようだ。

 骨組みの数も多く重量があるこのテントは、長期間使用可能な簡易住宅のような作りで組み立てもかなり難しい。


「そうか……それじゃ、宜しく!

 あっちが終わったら手伝うから」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 小一時間後。


 シンの手伝いをする為に戻ってきたアイリーンは、既にテントがしっかりと設営されているのを発見する。

 大型テントで苦戦した土台作りはまるでコンクリートのように滑らかに仕上げられ、周囲には溝までもしっかり作られている。

 姿が見えないシンは、テントの後ろで何やら別の作業をしているようだ。


「やっと出来ましたよ」


「……シン、テントについては文句は無いが、その後ろの部分は何なんだ?」


「ああ、テントだけだと狭いし寒いんで一緒にイグルーも作りましたよ。

 かなり頑丈に作りましたから、安心して使えると思います」

 テントの後ろ側の開放部には、巨大なイグルーがぴったりと密着して組み上げられている。


「これって、螺旋上にブロックを積み上げてるのか。

 私の知ってるイグルーは、もっと大雑把な作りだった記憶があるんだが?」


 重力制御で雪を高圧縮しブレードで切り出したブロックは、まるで煉瓦のように真四角でサイズが揃っている。

 そのブロックを積み重ねて作ったイグルーは、半球状のトーチカのように表面が滑らかに仕上げられまるでガラスで作られた近代建築のようである。


「えっと、僕が初めて作り方を教わったのは6歳の頃ですね。

 テントを持参しないで行軍する場合は、ちゃんと寝床を作れないと凍死する羽目になりますからね」


「この出来栄えのイグルーを、こんなに短時間で?

 お前建築の才能もあるんじゃないか?」


「雪の造形は、わりと得意なんですよ」

 シンは雪原から戻ってきたシリウスの頭を撫でながら、小声で呟いたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 まだ明るい夕食時。


 雪原での作業はかなり体力を消耗するので、サバイバルにおいては栄養補給がとても重要である。

 シンが持参した大型のキャンプ用コンロには、寸胴が火にかけられスパイスの濃厚な香りが周囲に漂っている。

 

「シン、何を配ってるんだ?」


「いや、カレーライスですけど?」


「お前、そんな事をしたらサバイバル訓練にならないだろ?」


 既に参加メンバーは、大型テントの中や屋外の折り畳みテーブルでカレーを食べ始めている。

 アイリーンの助手としてメンバー達に認知されているシンが食事を配布したので、メンバーは誰一人として疑問に思わなかったのだろう。


「レーションや手持ちの食料を食べてるなら、同じ事ですよ。

 それにご近所のキッチンを借りて作りましたから、それほど趣旨を外れてないと思いますよ」


「ご近所って、ここは周囲数百キロに人家はない場所だぞ!」


「まぁ固い事を言わずに、ニホンスタイルのカレーを味見して下さいよ。

 設営でカロリーを消費してますから、しっかりと食べないと拙いですよ」

 

 シンが差し出した平皿に盛られたカレーは、かなりのボリュームである。

 テキサス育ち?のアイリーンは、当然見たことも食べたことも無いメニューであろう。


 濃度があるカレールーはいつものユウ謹製のレトルトだが、アラスカベースの厨房でサバイバルに合わせた若干のアレンジが加えられている。

 どこから電源を取っているのか不明だが、業務用の炊飯ジャーは熱々でまだかなりの量の白米が残っている様である。


「うん……こういう場所だと、暖かい食事は有り難いな」

 ニホン風の福神漬けは珍しいのか、変わったピクルスだなと呟きながらも彼女も食が進んでいるようだ。

 既に彼女は、先ほどシンに言った苦言をすっかりと忘れてしまったようである。


「あとカレーにしたのは、ちょっと意味があるんですよ」


 カレールーを少な目にして別の具材を盛りつけたシリウス用の皿は、もうほとんど空になっている。

 食べ終えた彼女はシンに視線を投げて、無言でお代わりの要求をしている。


「???」


「こういう香辛料を使った料理の方が、熊が寄ってこないという話があるんです」

 お代わり用のプレートを盛り付けながら、シンは同じくお代わりを欲しがっている食欲旺盛なメンバーに声を掛ける。

 炊飯ジャーにはまだご飯が大量に残っているので、できれば食べ切ってしまった方が安全なのである。


「ああ、確かにこの辺りはヒグマが出るって噂もあるな」


「噂じゃなくて、確実に居ると思いますよ。

 近くの林とか、雪原にも痕跡がありますし」


「ショットガンだけじゃなくて、ライフルも持ってくるべきだったな」


「ええ。ダブルオーパックじゃ威力不足かも知れませんね」


 そうは言ったが、シンは幼少時のサバイバル訓練で銃器を持参した事が無い。

 当時のシンの重力制御は未熟だったが、相手が人間の場合と違って野生動物の場合は過剰防衛でも問題にならないからである。

 ただし仕留めた獲物に関しては放置は許されないので、食料として解体する必要がある。

 シンとしてはその解体の大変さが身に染みているので、特にヒグマの殺生は出来れば遠慮したい処なのである。


「まぁシリウスを連れてきましたから、大丈夫だと思いますけどね」


「バウッ!」

 誇らしげに意思表示している愛らしいシリウスを見て、思わず笑みを浮かべてしまうアイリーンなのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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