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036.Gravity

 翌日ホワイトハウスの公邸。


 作戦の結果報告に訪れたシンは、大統領(アンジー)クレア(長官)に詳細を説明していた。

 本来ならばNORAD司令官の同席も必要なのだが、今回はシンの身元を伏せるために大統領(アンジー)が別席を設けて説明を行う事になっている。

 また今回の作戦内容についてはホワイトハウスのスタッフにも極秘なので、場所は執務室では無く公邸のいつものキッチンである。


「ありがとう。

 今回のロシアに関する件は、NASAとしても感謝しているわ」


「改まってどうしたんですか?」


「何せ予想落下地域には、北米が含まれていたからね。

 ロシアの保障問題は兎も角として、かなり深刻な事態だったのよ」


 マグカップに入れた薄いコーヒーを飲みながら、長官(クレア)は安堵した表情である。

 たとえ原因がロシアにあったとしても広域に放射能汚染が起きた場合、対処出来なかったNASAとしても無関係とは言い切れないからである。


「フウは規定通りの料金でエレーナに請求するらしいけど、まぁリアクションホイールの技術供与の件があるからバーターとしては適当かしらね」


 シンの手土産であるリーヒンのマラサダを頬張りながら、大統領(アンジー)は呟く。

 ハワイ長期滞在の経験がある彼女は、酸っぱいリーヒン風味のマラサダも食べ慣れているようである。


「こちらとしても姿勢制御のノウハウ以外に、誘導制御プログラムに関してもテストが出来ましたから。

 それに、エレーナさんとも顔繋ぎが出来ましたし」


「あの女狐には気を付けないと駄目よ。

 レイ位の性格の悪さが無いと、彼女と渡り合うのは難しいわ」


「……」

 シンは無言で手を伸ばし、大統領(アンジー)の口元に残っている粉砂糖を紙ナフキンで拭っている。

 横ではクレア(長官)がシンの様子を呆れたような表情で見ているが、口元を拭われている大統領(アンジー)は気にも留めていないようだ。


 シンにとっては大統領(アンジー)は年が離れた姉のような存在であり、母親のような無条件で庇護を受ける対象では無いのだろう。

 実はこういったさりげない気遣いが、若いツバメ(TOYBOY)等と陰口を叩かれてしまう原因なのであるが。


「ゴホンッ……それで相談なんだけど。

 財政難のNASAとしてはシン君に特別ボーナスは出せないけど、その代わりに週一回宇宙飛行士の訓練に参加してみない?」


 クレア(長官)の唐突な提案に、シンは不思議そうに首を傾げている。

 宇宙飛行士の訓練に参加できるのはとても名誉な事ではあるが、ISSはおろか他の惑星を訪問した経験があるシンとしては今更という感じなのである。


「ええと、僕は特に軍隊や国家の推薦枠に入っていませんけど?

 特別職員の肩書だけでは、不足なんでしょうか?」


「お客さまとして、特別扱いするつもりは無いわ。

 君の持っている正しい資質(RightStuff)は、NASAに所属しているどの宇宙飛行士にも引けを取らないと思うけど。

 それに今後デブリ処理をやる上で、アイリーン以外にもある程度の顔つなぎが必要になると思うのよね」


「そういう事でしたら。

 でもフルタイムで訓練している皆さんに、迷惑がかかりそうですね」


「それはどうかな?

 逆に君の存在が、皆の大きな刺激なると私は思っているわ」



                 ☆



 数日後。


「いきなり嘔吐彗星(VomitComet)ですか?」

 アイをアリゾナに送り届けた帰り、ジョンソン基地に寄ったシンは唐突に訓練参加を要請されている。

 ちなみに訓練内容は、弾道飛行による無重力状態の体験である。


「現在は専用の民間機(G-ForceOne)をチャーターしてるから、ある種の遊覧飛行だけどね。

 顔見世としては、丁度良いかなぁと思ってね」


 暫くミッションの予定が無いアイリーンは、宇宙飛行士の訓練教官としての業務に忙しい。

 シンに訓練参加を打診したのは、実はこういった雑務を手伝って貰うのが主目的なのかも知れない。


「なんか周囲から、胡散臭そうに見られてますけど」

 フライトジャケットでは無く、薄汚れたツナギを着たシンは周囲から怪訝な目で見られている。

 世界中から選抜されている宇宙飛行士訓練生は、言うまでも無くプライドが高いエリート集団なのである。


「シン、君は無重力状態は得意なんじゃないか?」

 初対面がISSだったアイリーンは、シンの特殊能力を知っている数少ないNASA職員の一人である。

 彼女は、シンが初対面の時と同じ作業用のツナギを着ているのに気がついたのだろう。


「ええ、重力に関しては専門家ですけど。

 ……何でそのスペシャリストの僕が、ゲロ袋(Barf Bag)を持参してるんですかね?」


「新人の宇宙飛行士でも、まぁ君よりは例外無く20歳以上年上だからな。

 適任だとは言い難いが、まぁ我慢してくれよ」


 タラップに向けて歩き出したアイリーンに、シンはゲロ袋(Barf Bag)の束を持って付いて行く。

 今回は教官役のアイリーン以外に知り合いは居ないので、シンは彼女の助手として周囲に認知されたのだろう。

 乗り込んだチャーター機の胴体中央は、以前写真で見た通りに衝突対策である厚いクッション材で覆われている。

 

 シン達が最後に機体後部の座席に着くと、727はジョンソン基地の滑走路をアナウンスも無しにいきなり滑走し始める。

 乗り心地は本来の機体の用途である旅客機そのものであり、弾道飛行に入るまでは多分快適なフライトなのだろう。


 数分後。


 放物線飛行に入り無重力状態になると、動きに四苦八苦しているメンバーを後目にシンは機内をスイスイと移動している。

 もちろん機内を移動しているのは訓練の為では無く、様子がおかしな訓練生にゲロ袋(Barf Bag)を素早く渡すためである。

 高度の下限に達すると重力が回復するがその瞬間の着地も実にスムースであり、まるでシンが日常的な重力変動に慣れている様に見える。

 この体験飛行に参加しただけで、シンは一体何者なのかと候補生達から注目を浴びる事になったのである。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 飛行終了後の職員食堂。


 参加した訓練生達は皆青い顔をしてテーブルでぐったりとしているが、シンはアイリーンと同じテーブルで平然とプレートランチを食べている。

 シンは何とか汚物を噴きかけられる事も無く訓練を終了したので、別の原因による食欲減退を回避する事が出来たのであった。

 ちなみに今日のメニューはシンにもお馴染みのチキンフライドステーキだが、やはり本場のテキサスではグレーヴィーソースも一味違う味付けである。


「ああ、こういうソースの味付けもあるんですね!」

 ブラックペッパー以外にも各種の味が加えられたソースに、シンはえらく感心しているようである。


「私は食べ慣れた味付けだけど、まぁ家庭によってソースの味は微妙に違うのかもな。

 シンが米帝の料理に詳しいのは、あそこのダイナーを良く利用するからなのかい?」


「ええ。

 僕の料理の師匠は米帝の家庭料理に詳しいんで、作り方も良く教わってるんですよ」


「ところでさっきのフライトでは、君はベテランの宇宙飛行士よりてきぱきと動けていたな?」

 

「そりゃぁ、袋を使わずに機内を汚したら清掃させられるのは僕なんでしょう?

 てきぱきと動いたのは、当然なんじゃないですか?」


「ははは。さすがに特別職員に汚物の清掃はさせられないよ。

 でも年齢とか経歴を誤魔化してるって言われたら、信じそうな気がするけどな」


「……僕は老けてるって言われた事はありませんから、その発言はショックですよ。

 まぁ戦闘ヘリの訓練も受けてるんで、空間把握能力はちょっと高めだと思いますけどね」


「どんな時でも動じないっていうのは、やっぱり場数を踏んでるからなんだろうな?」


 シンの経歴の詳細を知らないアイリーンだが、立場上様々な所属や階級の軍人に合う機会が多い。

 年齢が若いにも関わらず、やはりシンからはヴェテランの軍人と同じような『ある種の匂い』を感じるのであろう。


「年の割には、何度も死にかけたろくでも無い経験を沢山してますからね」


「君は訓練で確認するまでも無く、宇宙飛行士としての資質は十分な気がするよ」


「ああ、クレア(長官)もそう言ってくれてましたけど、生業(Occupation)としては考えた事はありませんね」


「ところで長官(クレア)の話だと、なんか君はデブリ処理に拘りがあるみたいだな。

 差し支えなければ、その理由を聞いても良いかな?」


「……」


「まぁ話したくなければ……私の個人的な興味だからな」


「飯時には相応しく無い、ちょっと重い話になるんですが」


「うん?」


「僕は幼い頃に飛行機事故に遭って、同乗していた母と妹を亡くしてるんです。

 その事故はどうやら、落下して来た大型の衛星デブリが機体を直撃したのが原因みたいなんです」


「おい、そんなのは確率的に天文学的な数字だろう?

 それにそんな大事件なのに、記憶に残っていないのは変だぞ?」


「ええ。どこかの紛争国から地対空ミサイル(スティンガー)を撃たれたっていう方が、説得力がありますよね。

 それにニュースとしては、事故原因は不明というままで調査は打ち切られていますから」


 シンは当事者であり、窓から景色を眺めていたのでその辺りは確信があった。

 地上から飛翔物があれば、シンもシンの母親もすぐに気が付く筈である。


「でもそんなに大きなデブリが落下するなら、事前情報があった筈だろ?」


「当時は軍事衛星のデブリ落下なんて、民間に情報が提供される事が無かったんでしょうね。

 旅客機を直撃するのは兎も角、これから宇宙遊覧が盛んになってくると、積極的なデブリ処理が絶対に必要になると思うんですよ」


「現状だとそのコストを何処が負担するかが、大きな問題だけどな。

 それにしてもお前は良く無事だったな……ああ、それは当然か」


 アイリーンはシンのジャンプ能力を念頭に置いて会話をしているが、シンはその点を丁寧に否定する。


「残念ながら僕のジャンプ能力は、最近獲得したものですから。

 もしあの時に使えれば、僕の家族を救えたかも知れませんけどね」


 あの時ジャンプを使わなくても、シンが重力制御を的確に使用できれば母親と妹を救えた可能性は高い。

 家族の離散を招いたあの出来事はメトセラ生来の向上心以上に、シンが絶えず前進するための原動力になっているのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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