032.I Wonder What She's Like
モスクワ市内。
「ロシア語も出来るって、聞いてたけど?」
ジーンズにワークシャツというラフな服装の大統領は、シンと並んでいても年の差カップルとして不自然さが全く無い。
カジュアルな服装の彼女は、普段の肩にかかっている重圧から解放されているようでオーラも少なめである。
「かなり幼少時に教わってから使ってないんで、あまり自信がありませんけど」
腕を組まされて恋人を演じているシンは、いつもの落ち着いた様子で街の空気に溶け込んでいる。
世界中にジャンプで出没している彼だが、現地で不審がられた経験が無いのは無国籍的な容姿とこの特技のおかげなのであろう。
「私はロシア語は軍隊用語しかわからないから、お店の注文とかはお願いするわね」
「了解です。
こちらが店を指定するんですよね?」
「ええ。そこのマク●ナルドにしようかしら」
モスクワの市街には多数の店舗がある米帝系のチェーンなので、待ち伏せや事前の仕掛けをするのは難しいだろう。
「危険を感じたらさっさと離脱しますから、僕としっかりとくっついていて下さいね」
「ふふふ。それは嬉しい役得だわね」
「……」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「あらやだ、あなた本当に若いころのレイにそっくりなのね!」
大統領が携帯電話で待ち合わせ場所を指定すると、護衛も連れずに薄着の女性がぶらりとやってくる。
毎日の報道でお馴染みのロシア伝説の指導者は、大統領と同じで実年齢が全く分からない若々しさである。
カウンターでオーダーを入れているシンに話しかけた米帝語は、特徴的なロシア訛りが全く感じられない流暢さである。
「エレーナさん、お目にかかれて光栄です。
ところで、レイさんをご存知なんでしょうか?」
さすがに物怖じしないシンであっても、初対面である『ロシアのエンプレス』を前にして普段通りの口調は無理であろう。
変装している大統領は帽子とサングラスの効果があるのか全く目立たないが、同じようなカジュアルな服装でも彼女は何故か猛烈に目立つのである。
店内では似ているわとか、あんなに若くないでしょ等のささやき声が飛び交っているが、彼女が視線を一瞬向けただけで客席が途端に静かになる。
「レイからは、会うたびに貴方の自慢話を聞いてるわよ。
近い親戚というよりも、彼は貴方を実の弟みたいに思ってるみたいね」
4人掛けのテーブルに落ち着いた一行は、米帝語で会話を続ける。
シンの通訳でロシア語に切り替えるのも可能だが、秘密保持の点からは現地語で無い方がふさわしいだろう。
「はい。公私に渡って可愛がって貰ってます」
「……それで、こういう場を設けたのはどういう訳なの?
ホットラインでも話せないなんて、物騒な話じゃないでしょうね?」
大統領は周囲を警戒しながら、女帝に普段通りの口調で話しかける。
その気安い雰囲気は長年の友人に対するものであり、二人の間には余人が知り得ない歴史があるのだろう。
「単刀直入だけど、プロメテウスに衛星処理に関して協力して欲しいのよ」
「えっと……何故正式ルートで依頼しないんですか?」
シンは他の国のマク●ナルドでは珍しい、皮付きポテトを頬張りながら応える。
原料がラセット・バーバンクでは無いこのヴィレッジ・ポテトは、皮の独自な風味が香ばしくとても美味しい。
「フウに門前払いされたのよ。
Congohの約款では、放射性物質が含まれる衛星は処理対象外になってるでしょ?」
確かに米帝の衛星ほどでは無いが、ロシアの軍事衛星も何度か依頼を受けたとシンは聞いた記憶がある。
「イレース自体は問題無いんですけど、倫理にもとる行為だとフウさんは言ってますね。
放射能物質を、たらい回ししてるのと同じだと。
でも確か電源として内蔵されている場合は、射出システムがあると聞いていますけど」
「今回の惑星でも原子炉の切り離しに失敗してね。
我が古巣の宇宙局としても、打つ手が尽きた状態なの」
シンが食べている様子に食欲を刺激されたのか、彼女も皮付きポテトに手を伸ばす。
慣れた様子で食べ続けるその様子は、普段からファーストフードを食べ慣れているように感じられる。
「ロシアの宇宙局も、うちと同じで大変みたいね」
米帝の民間会社の台頭で打ち上げ依頼の需要が減っている宇宙局は、現在では財政的に厳しい状況なのだろう。
「……コスモスで過去に何度か切り離しを失敗してその度に補償問題になっているから、今回は先手を打って処理したいのよ」
女帝はシンに手渡された紙ナフキンで指を拭うと、脇にかかえていた薄いファイルを手渡す。
マニキュアの無いその手はホワイトカラー独特の滑らかさは無く、シンの周りでは当たり前の仕事をしている無骨な手である。
「これって……なんか見覚えがある形状なんですが。
まるで米帝の『神の杖』とそっくりですね」
シンはファイルをパラパラとめくりながら、処理に必要になりそうなポイントに目を通していく。
「デッドコピーでは無いけど、建造した際には参考にしたらしいわ」
「参考では無くて、ハッキングした図面を盗用したと聞いているけど」
大統領の一言は、棘が有るというよりも面白がっているように聞こえる。
「なぜ僕に直接話を持ち掛けるんでしょうか?」
「ん~何か奥の手があるような気がしてね。
それにアンジーの若いツバメにも直接会って見たかったし」
「……なるほど。
追加のオプション料金になると思いますけど、原子炉の分離は可能かと思いますよ。
地上に落ちた場合には、チェルノブイリクラスの放射能汚染が起きそうなんですよね?」
「原子炉のサイズが過去最大だから、それだけは避けたいのよ。
膨大な保障のお陰で国家財政が傾いたら、洒落にならないからね」
大統領は注文したパック入り飲料を飲んでいるが、シンはポテトを含めたハンバーガーをしっかりと味わっている。
ニホン国内でこのチェーンを利用することは無いが、彼にとっても懐かしい味であるのは間違いない。
「レイと違って、君はとっても心根が優しいタイプなのね。
大統領、相変わらず男を見る目は確かみたいね!」
「ふふっ、羨ましいでしょ?」
「競争相手が多そうだから、捨てられないように気を付けることね」
シンに向けた女帝の音がするようなウインクは、やはり破壊力抜群なのであった。
☆
「へえっ、女帝に会ったんだ」
Tokyoオフィスに来ていたルーは、シンのお土産のкартошкаを頬張りながら呟く。
ロシアに長く居た彼女にとっては、米帝のそれとはちょっとだけ違う懐かしい味なのだろう。
「もしかして面識があるとか?」
「まさか!
でもロシアの政治家の中では、絶大な人気がある人だからね。
元K●Bのトップだったから、悪い噂も多いけど」
マリーは普段食べることが無いкартошкаを気に入ったようで、早くも2個目を食べ始めている。
トッピングについてはメジャーなサーモンやカニを選んでいるが、何よりベースになっているポテト自体が冷めても美味しいのである。
シンは寮生へのお土産分を小分けにしておかなかったのを後悔していたが、マリーの食べるペースから考えるとすでに手遅れのようだ。
「あの女狐め!」
シンからの報告を受けているフウは、依頼の内容を聞いて真剣に怒っている。
大統領から事前に聞いていた犬猿の仲というのは、もしかして本当なのかも知れない。
「???」
「たぶん原子炉どころか、口に出してない厄介事が沢山あるぞ!」
女帝から預かったファイルを見ながら、フウは憤りの声を上げている。
「確かに図面を見た限りでは、サイズが神の杖よりも若干大きかったですけど」
「シン、原子炉回りに空洞部分が多すぎます。
他に追加の設計図はありませんか?」
SIDから上がって来た疑問点は、技術に詳しくないシンであってもなるほどと納得できる内容である。
「ああ、預かっているこのファイルって……なんかページが抜けてるかも知れない」
手渡された『|супер тайны《極秘》』の表示が無いファイルをシンは不思議に思っていたが、本当に非公開な部分はあらかじめ抜かれているという事なのだろう。
「ほらな……たぶんこの部分は、詳細を秘匿しておきたい兵器でも搭載してるんだろう」
「なるほど」
話しながら冷静さを取り戻したフウは、お土産のベークドポテトをつつきながら話を続ける。
「切り離し部分が動作不良を起こしたとして、この辺りからカットできれば分離できるな」
「結構大きくて、ちょっとした旅客機の胴体位のサイズがありますね」
「ああ、大統領絡みで協力依頼を出すから、ちょっとデビスモンサンまで練習に行ってこい」
「……あの砂漠で練習ですか?」
「ああ。
うまく切断できないと自壊装置が動作して、デブリがまた増える事態になりかねないからな」
☆
その日の夜半。
寮に帰還したシンは、一人キッチンで作業中である。
夜食代わりに出そうと思っていたкартошкаは結局マリーが全て食べてしまったので、いつもの2人分の軽食の用意が必要になったからである。
それ以外にも、最近急激に消費量が増えた自家製コーンビーフの仕込み作業も控えている。
当初は余ってしまった牛肉の消費のために仕込んでいたが、食べ盛りであるクーメルの大好物なのであっという間に在庫が無くなってしまうのである。
「シン、お腹がすきました!」
クーメルを肩にのせながら、トーコがキッチンに顔を出す。
「なんか急速に成長して、ますますピートとそっくりになってるよね。
それにしてもトーコにしっかりと懐いてるよね」
「最近はシリウスも面倒を見ないで、私に任せきりですから」
「なんか最近は、シンにシャーッと威嚇しなくなりましたね?」
やはり空腹で人の気配がするキッチンに顔を出したハナが、トーコの肩から降りたクーメルを再び抱っこしながら呟く。
仔猫は女性には実に愛想が良く、ハナに身体を触られても嫌がる気配は全く感じられない。
「でも僕が抱き寄せようとすると、相変わらず逃げちゃうんだよね」
「トーコで一緒でツンデレなんでしょうね」
「???」
調理中のシンはその意味がわからずに首を傾げているが、何故かトーコは顔を真っ赤にして俯いている。
「君も夜食を食べたいのかな?」
シンから尋ねられた仔猫は、小さなミャアという鳴き声でしっかりと応えたのであった。
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