028.All The Children Sing
「夜は海岸でバーベキューをやってるから、おいでよ」
アイラはシンクで食器洗いを手伝いながら、二人に提案をする。
フットスイッチで小まめに蛇口からの水流を調整しながら、彼女は食器を濯いでいる。
この島は水道施設が整備されているので特に節水を意識する必要は無いのだが、過去の経験から水を大切に扱う習慣が身についているのだろう。
その手際の良い洗い方を見ながら、シンは久々に母親の事を思い出していた。
家事や育児一切をシンに任せていた母親だが、多忙な合間を縫って家事を手伝ってくれた面影がアイラにしっかりと重なったのである。
「……えっ、歓迎会ですか?」
アイラの姿を見てぼうっとしていたシンは返答が一瞬遅れるが、横でエイミーが不思議そうな表情を浮かべている。
感情の揺らぎが少ないシンのこういった状態は、いつも身近に居るエイミーでさえ殆ど見たことが無いのである。
「ううん、夜空が綺麗な時は、誰かがバーベキューをやってるからね。
当番制じゃないんだけど、みんなここの星空の下でビールを飲むのが大好きだから」
「そういうカジュアルな席なら、喜んで参加しますよ」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
夕刻。
海岸に向けて歩きながらエイミーは、シンに小さな声で呟く。
「もしかしてアイラさんって、亡くなったお母様に似てるんですか?」
就寝中にシンの脳内イメージを偶然見てしまう事が多いエイミーであるが、亡くなった母親に対する複雑な感情についてはそれだけでは判断出来ないような気がする。妹に対する多くの思い出やイメージはシンの脳裏に数多く刻まれているが、母親に対するそれは極端に少なくあやふやな部分が多いのである。
「うん。容姿もそうだけど、特に雰囲気とか仕草が似てるかな。
洗い物をしてる姿を見て、ビックリして皿を落としそうになっちゃったよ」
「……」
「もう何年も思い出した事が無かったのに、我ながら薄情な息子だよね」
「……」
「母親と妹の分は葬式も何もやってないし、メトセラにはお墓を作る習慣が無いしね。
でもこの場所で思い出させてくれたのは、何かの縁なのかも知れないなぁ」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
海岸に面した常設のバーベキュー設備は屋根が付いた立派なもので、頻繁に使われているというのも頷ける。
屋根の下には業務用の冷凍冷蔵庫やシンクが設置されているので、衛生面にもしっかりと配慮されているのだろう。
砂浜を見渡せる場所にはまるでビアホールのような大きなテーブルが並び、飲み物を手にした数名が既に談笑をしている。
ネオンが全く無いこの島の満天の星空は、超高高度からの眺めに慣れているシンにとっても格別に感じる。
そして勿論、飛行中には不可能な飲食が可能なのである。
シンとエイミーは仰々しい挨拶抜きで、自然とバーベキューに参加していた。
どうやら顔を見るために招待したというのは本当のようで、自己紹介をせずとも二人は普通に名前を呼ばれている。
もちろん参加しているメンバーはほぼ全員メトセラの女性なのだが、女性だけの特殊な環境に慣れているシンとしては気後れなど微塵も感じない。
シリウスは慣れない土地で緊張しているのか実に大人しいが、通りがかる人たちすべてに可愛がられて実に人気者である。
「シン君、君のアルバムを聞かせて貰ったよ!」
いつの間にか肉を焼く側に回っていたシンは、作務衣を来た女性に声を掛けられる。
彼女もベルと良く似た印象だが、長く伸ばしたブルネットの髪を後ろで束ねているのでかろうじて判別が付いている。
ちなみにシンが焼いているのは米帝風のバーベキューでは無く、綺麗に下処理された牛タンのスライスである。
そして何故か味付けに使われているのは、ミルクカートンに入ったニホン製の焼肉のタレなのである。
「ありがとうございます。入手するのが大変じゃありませんでした?」
とりあえず用意されていた薄いスライスのカルビやタンは焼き終えたので、シンは隣の網に載っている大きな塊肉の焼き加減を確認する。
周囲はこんがりと焼き色が付いているが、刺した竹串はまだ内部が冷たい感じなのでまだ火を通している最中なのだろう。
「いや、全然。
スーパーのレジ横に大量に並んでいるのに、気がつかなかった?」
「えっ、食料品を見るのに夢中で全然気がつきませんでしたよ。
特売品のシールが付いてると、ショックだなぁ」
「ははは、まだ定価で売ってるみたいだから大丈夫だよ。
それで、君はレイの弟分だって聞いたけど?」
「はい。昔から可愛がって貰ってます」
会話が続いているので、シンは近くに居た女性にロースター番を替わって貰う。
エイミーは隣の鉄板で焼きそばを作っているが、普段は出来ない大量の鉄板調理なので実に楽しそうである。
ちなみに味付け用に置いてある『どろソース』は、Congohの定期配送便のリストにも載っている定番の調味料である。
シンの近くで静かにしていたシリウスは、いつの間にかロースター近くに居た女性から焼肉を貰ってご機嫌である。
普段はシン達と同じ食事なので、焼いたタンやカルビを食べることは滅多に無いからである。
「それじゃぁ、島に居る間これを貸してあげるよ。
此処から持ち出さない限りは、ずっと使っていて良いから」
シンは自分で愛用しているのと同じカーボンファイバー製のギターケースを受け取るが、ケースの重さを考慮してもかなり軽く感じる。
煙の流れていない場所でラッチをパチンパチンと開けると、飴色に表面が変色したコア材のアコースティックギターが姿を現す。
基本的なボディシェイプは伝統的なOOOだが、ヘッドには何の意匠も入っていない。
「シン……そのギター、マツさんに作って貰ったブルーのギターと同じ材料ですね。
木の育った場所も、ほぼ同じ地域だと思います」
焼きそばを作り終えたエイミーは、大盛にした平皿を持って歓談中の二人のそばに腰かける。
「えっ、ここのコア材は外部に持ち出し禁止だけど?」
職人の女性が、エイミーの一言に異を唱える。
アイラの説明にあったように、持ち出し禁止という掟?はかなり厳密に適用されているのだろう。
「ええと、レイさんがオーナーの楽器工房にあった正体不明の素材が、このギターと同じみたいなんですよね。
それを使って僕は、エレキを一本作って貰ったんです」
「ああ、すごい昔にレイが素材のサンプルを欲しいっていうんで、ほんの少しだけ融通した事があったかな。
へえっ、もしかしたらこの土地のコア材と君は、不思議な縁があるのかも」
ギターを手に取ったシンは、スムースにペグを巻き上げてチューニングを手早く済ませる。
GOT●Hのペグを使っているという事は、素材に拘るだけでは無く楽器の機能性はきちんと確保されているという事なのだろう。
ジャランと軽くストロークすると、エイジングされているギター特有のリバーブが掛かったような残響を感じる。
シンはケースに入っていたナイロンピックを手に、いきなり歌い始める。
♪ Lay Me Down ♪
ギターの軽快なストロークから始まるこの曲は、最近のCCRではかなりメジャーな曲であろう。
ウォームでありながら高音にキレがあるこのギターの音色に、ぴったりな曲である。
海岸の薄暮の中に響き渡るギターの音色と、澄んだシンの歌声。
普段からシンの弾き語りでこの曲を聞きなれているエイミーも、コーラスパートに入ると焼きそばを頬張っている手を止めて歌いだす。
此処が学園寮ならば、二人のデュエットによる演奏になるのだがこの場所ではちょっと事情が違うようだ。
バーベキューに集まった女性の皆が、シンとエイミーの歌唱に合わせてビールを片手にゴスペルさながらのコーラスが始まる。
教会でのゴスペルではビールを片手に合唱するなどあり得ないが、ここはバーベキューを行っている砂浜である。
静かな波の音をバックに、幾重にも重なったユニゾンの歌声が響き渡る。
幼少時に教会での演奏で自然とコーラスが起こる経験は何度もあるが、酒宴での経験は初めてである。
演奏を続けるシンは、ここ数ヶ月間無かった音楽を演奏する際の高揚感をしっかりと感じていた。
♪~♪
曲を弾き終えたシンが静かに一礼すると、ビールをテーブルに置いた一同から盛大な拍手が送られる。
ライブハウスでの喝采と違う点は、シンを見つめるすべての目がなぜかとても温かい点である。
「いやぁ、素晴らしい演奏のおかげで、とっても気持ち良く飲ませて貰ったよ!
これで島の皆へのお披露目も無事に終わったかな」
シンの両肩を後ろから軽く叩いたアイラの表情は、とてもリラックスしていて満足げに見えたのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
翌朝。
「うわぁ、昨夜のバーベキューよりも人が多いですね」
エイミーとの朝のジョギングの帰り、事前に聞いていたブーランジェリーに立ち寄ったシンは驚きの声を上げていた。
島の全住人が集まったような店の賑わいは、普段の無人島のような様子と真逆の盛況振りである。
「おはよう!昨日は良く眠れたかな?」
シンと同じトレーニングウエア姿のアイラは、しゃがみこんでシリウスの顔をモフモフしている。
かなり手荒な挨拶だが、アイラにしっかりと懐いているシリウスは尻尾をバタバタと振ってご機嫌である。
「夜は驚く程静かなんで、慣れるのにちょっと時間が掛かりましたね」
シンが普段生活しているイケブクロの寮も静かな環境だが、車輌の走行音や近隣の住人の生活音が途絶える事は無い。
この島の日没後は、聞き慣れているそれらの音も全く聞こえてこない本当に静寂な場所なのである。
「焼き立てのパンが食べられるのは、島ではここ一軒だけだからね」
スーパーの隣の建物は、まるでパリに在るブーランジェリーとカフェを合わせたような凝った造りである。
シリウス連れなので入店しようか迷っていたシンだが、アイラの問題無いという声で一緒に店内に入っていく。
パンの種類はブリオッシュとバケット位しかないが、焼き立ての香ばしい匂いが店内には漂っている。
「あれっ、お久しぶりです!」
バックヤードのデッキオーブンの傍で慌しく作業している女性に、シンは声を掛ける。
カーメリの食堂で雑談した事があるその女性は、シンに気が付いて笑顔を返してくれる。
「うわぁ、イートインスペースも広いんですね!」
店内の飲食スペースは入った時点で料金が一律にチャージされるらしく、飲み物だけを頼んでも料金は変わらないシステムである。
複数のエスプレッソマシンは全てセルフサービスだが、皆ドリップに慣れている様子で器用にタンパーを使っている。
シンはカプセルマシンで薄目のルンゴをドリップしているが、エイミーはジュースディスペンサーに入っていたオレンジジュースを選んでいる。
搾り立てのオレンジジュースを飲みながら、エイミーは食べ放題のブリオッシュを美味しそうに頬張っている。
殆どのお客は飲み物とブリオッシュだけだが、店内に用意された調理用スペースでバケットを使ったサンドイッチを作っている強者も居るようである。
「ところで、ランだけじゃ体がなまっちゃうだろ?
体術のトレーニングに付き合わないかい?」
ちぎったブリオッシュをアイラの手ずから食べさせてもらっているシリウスは、普段は食べることが無い味を気に入ったようだ。
最近は基本的に人間と同じものばかり食べている彼女は、かなりのグルメになっているのは間違いないだろう。
「是非と言いたい処なんですけど、あとでアイさんから文句を言われるかも知れませんよ?」
「ああ、それは大丈夫。
あの子に体術を教えたのは、私だからね」
「アイさんが此処に来ることはあるんですか?」
「滞在することは無いけど、あの子は海沿いの土地をしっかりとキープしていてね。
今度リタイアする時は、ここで店を開く気らしいよ」
「それは……皆さん楽しみですね!」
「ああ、でもそれはかなり先になりそうな気がするな」
「???」
「なんか特に重要なPending Issueが出来たから、リタイアはまだ先になるってさ!
娘に手が掛からなくなったのに、全く元気だよね」
シンには意味不明のアイラの一言だったが、エイミーは納得したような表情で大きく頷いていたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




