026.Hard To Concentrate
「ティアが行方不明になったって、本当ですか?」
SIDからの緊急連絡でTokyoオフィスに駆け付けたシンは、リビングの大型モニターを見ている一同に尋ねる。
モニターに表示されているのは、どこかのセキュリティルームからハッキングしたらしい監視カメラの分割画像である。
「ああ、繁華街でちょっと目を離した隙に連れ去られたらしい。
最近は中華連合のちょっかいが無くなったから、油断があったのかもな」
ティアに同行していたマリーだけが無事だったのは、彼女を拘束することの危険性を十分に理解している相手なのだろう。
「誘拐されたのに、フウさん随分と余裕ですね」
「居場所はきっちりと把握しているし、まだニホン国内に居るから。
もうちょっとしたらお前に迎えに行って貰うけど」
「場所は何処なんですか?」
「ヨコタ。
この時期は超忙しいのに、面倒ばかり起こしてくれて!」
こちらも多忙の中駆けつけたキャスパーが、かなり渋い表情で答える。
ただ誘拐した相手を非難するのでは無く、ティアに関しての文句が先に出るのは如何なものだろうか。シンの印象だと、彼女に関してのキャスパーの態度は必要以上に辛辣だと言わざるを得ないのである。
「ああ、以前あそこででユウが暴れた時は凄かったなぁ」
「フウさん、私はキャスパーを助け出しただけで暴れてませんよ」
ユウはいつでもジャンプできるようにスタンバイしていたようだが、シンの姿を見て緊張を緩めている。
ティアを迎えにいくなら、帰路もジャンプを使えるシンの方が明らかに適任だからである。
「あれっ、基地全体にコンディションレッドが発令されたって記憶してるんだけど?
建物を一つ破壊してあんなに盛大に警報が出たのは、ヴェトナムの開戦以来だろ?」
「……」
ここで当事者であるユウとキャスパーは、返す言葉が無く黙ってしまう。
実際にはユウが建物の天井を剥がしたのをミサイル攻撃と誤認され、警戒レヴェルが跳ね上がったのが原因なのであるが。
「ちょっかい出して来たのは、やっぱり黒服の連中ですよね?」
「ああ、あんまり悪く言いたくないが、今の主要メンバーは目端が利かないアホばっかりだな。
ティアがテキサスに突如出現してから、彼女のバックグラウンドも調べずにトレースしてたんだろう」
過去に黒服機関に在籍した経験があるフウは、元同僚達にシビアな駄目出しをする。
ティアにメトセラの血が流れているならば、身柄を強引に確保するのは明らかな協定違反である。
「身柄を解放するように、交渉はしてるんですか?」
「ああ、知らぬ存ぜぬ誘拐の事実は無いと、あっちは言ってるらしいな」
「手荒な事はしないでしょうけど、兎に角早く迎えに行かないと……」
シンが切迫感を持って呟くが、リビングに居る他のメンバーからは何故か同意を得られない。
一同は監視カメラの画像を眺めながら、何かのタイミングを待っているような感じである。
「そろそろティアもいらついて来てるだろうからな。
むこうが知らないって言ってるなら、派手に暴れてもこっちの責任にはならないし」
「???」
その時監視カメラの映像が、一部ブラックアウトする。
状況としては、接続されているカメラに物理的な障害が起きたという事であろう。
「うわっ、武装した憲兵が勢ぞろいですね!」
煙が上がっている真新しいビルディングを憲兵が包囲をしている映像が、またフッと消えた。
「SID,画像を監視衛星からのアップに切り替えてくれるかな」
「了解です」
画面は監視衛星からの画像と、基地の外からの監視カメラの合成表示になっている。
光学補完の映像は見にくいが、かろうじて人物の特定が出来る解像度はあるようだ。
「派遣した実働部隊が暴れてるとか?」
ケイとパピ二人が敷地内で暴れれば、壊滅とは行かなくてもかなりの大騒ぎになるのは確実であろう。
「いや、あの二人は別任務でここには居ないよ。
暴れてるのは……あの子一人だけだな」
フウは他人事のようにのんびりと呟くが、キャスパーは画面を見ながらも携帯電話で関係各所と連絡を続けている。
「えっ?ティアは、ノーナさんみたいな体術の達人だったんですか?
バステトには戦闘を専門とする人材は、居ないって聞いてますけど」
「いや、あの子は遺伝子調整の段階で、どうも必要以上に修正をやりすぎたみたいで。
ナナの話だとメトセラの特殊な遺伝因子が、より強く発現しているそうだよ」
「もしかして、Berserkrって奴ですか?」
「ああ、現存しているメトセラの中には発動できる者は皆無だし、歴史上でも数名だけだけどな」
その時モニターに、小柄な女性の姿が現れる。
解像度が低く細部は判別出来ないが、彼女の全身が蜃気楼のように揺らいで表示されている。
周囲をM4を構えた憲兵に囲まれているが、ライフル弾をその身に受けても彼女は全く動じていない。
体術に自信がありそうな憲兵が彼女を拘束しようと近づくが、軽く一振りした手で数メートルを吹き飛ばされて動かなくなる。
彼女が着ているデニムのワンピースは既にボロボロだが、まるでハイキングで煩わしい藪蚊を振り払っているような雰囲気である。
「うわあっ、これは大変だ!
それじゃぁさっさと迎えに行きますね」
「ああ、頼んだぞ!タイミング良く撤退するのは、お前しか出来ない仕事だからな」
ここでシンの姿は、リビングから忽然と消失した。
☆
ヨコタ基地某所。
「ティア、迎えに来たよ!」
空間迷彩を纏ったまま、シンは彼女に声を掛ける。
ティアはシンの声を認識して安堵の表情を見せるが、ジャンプのために横抱きにされるとシンの耳元に強い口調で言い放つ。
「まだわるものの、おしおきがおわってない!」
彼女の発した一言は、まるで闘う魔法少女の『決め台詞』のようである。
たぶんマリーと一緒に鑑賞していたアニメで、セリフを覚えたのに違いない。
喜怒哀楽が分かりにくい彼女としても、かなり怒っているという事なのだろう。
誘拐された彼女にはかすり傷一つ残っていないが、防弾処理していないデニムのワンピースはボロボロになっている。
銃弾を受け付けないBerserkr状態の彼女に、憲兵達はパニックに陥って攻撃が一気にエスカレートしてしまったのだろう。
丸腰の相手にライフルをフルオートで連射するなど、通常の精神状態では有り得ない蛮行である。
(ティアを抱えたままだと、細かな制御は難しいかな)
重力制御で上空に舞い上がりながら、シンは基地内の状況を冷静に観察している。
真新しい立派なビルディングが、黒服機関が使用している極東本部なのだろう。
今のシンなら力押しで建物を圧壊させるのは簡単だが、できれば手の内を明かさないように偽装するのが望ましい。
躊躇しているシンに、ティアは言葉を掛けるのももどかしげに自分の額をシンの体に密着させる。
これはエイミーも得意にしている、自分の記憶やイメージを他人に投影する能力である。
シンの脳裏に入って来た、ティアの負の感情は凄まじい。
穏やかに自由に生活して来た彼女にとって、拘束されて自由を封じられるのは想像以上のストレスだったのだろう。
ここでシンの脳裏に、彼女の怒りがトリガーになって忘却していたイメージが蘇ってくる。
(……そうか、自分から忘れようとしていたんだ!)
フウの何気ない一言が縛りになって、意識の外に追い出されていた記憶がシンの中にしっかりと復元される。
イメージする力が弱いのでは無く無意識の内に封印していた破壊兵器のイメージは、彼の中に消えずにしっかりと存在していたようだ。
ティアの縋るような強い眼差しに、シンは無言でしっかりと頷く。
「SID、目の前のビルディングに人が居るか確認してくれる?」
「……赤外線探知では人影は見当たりません。
地下にある緊急通路を使って、退避したみたいですね」
「ティア、しっかりと捕まっててね!」
重力制御で上昇をしながらも、地上に向けて広げたシンの掌には『何か』が発生している。
以前にも砂漠の演習場で試してみた、圧倒的な力の奔流。
米粒よりも小さな空間を渾身の力で圧縮しエネルギーを凝縮するイメージは、体術の訓練でも慣れ親しんだ気を制御する感覚と似ている。
特に掛け声も無くシンが掌をフッと押し出すと、極東本部の建物に閃光が走り周囲がホワイトアウトする。
シンは破壊の惨状を振り返ることなく、亜空間ジャンプでそのまま現場を離脱したのであった。
☆
Tokyoオフィスのリビングでは、関係各方面からの問い合わせに対応しているキャスパーとフウが大忙しである。
だが先ほど帰国したばかりのレイは、それらの喧騒を眺めながら一人ゆったりとエスプレッソを味わっている。
ロシアにもコーヒーショップは沢山存在するが、彼好みのエスプレッソを出す店はほとんど皆無なのである。
リビングで流れているニュース番組では、ヨコタ基地で発生した謎の大爆発について軍事評論家がコメントをしている。
爆発の際に起こった閃光は核爆発では無いかとガイガーカウンターまで用意して説明しているが、もちろん近隣の気象観測所でも放射能が検出されないのは当然である。
ちなみにシンはヨコタ基地までの移動に亜空間ジャンプを使用した上に、現地では空間迷彩を一度も解除していないので何の痕跡も残していない。
「ああ、レイさんお帰りなさい!ロシアはどうでした?」
騒ぎを起こした張本人であるシンだが当事者としての意識は殆ど無く、流れているニュース番組にも全く興味が無い。
くだらない黒服機関の暴走行為よりも、数ヶ月ぶりに会ったレイと話す方が彼にとっては遥かに優先順位が高いのである。
「うん、今回は大きな収穫があったよ。
数か月後にはハワイベースでお披露目……」
シャワーを浴びたばかりで濡れ髪にタオルを被ったティアが、レイに引き寄せられるようにふらふらとリビングに入ってくる。
レイはTokyoオフィスに帰還したばかりで何も詳細を聞いていないが、シンとの会話を中断して何かを思い出したようにティアの姿をじっと見ている。
ティアはレイの体に腕を回してしっかりと抱き着くと、上目遣いにレイを見上げる。
普段は表情が乏しい彼女であるが、感情の大きな揺らぎで瞳がはっきりと潤んでいる。
レイは抱き付かれたままのティアと一緒にソファに腰を下ろすと、タオルを使ってティアの髪を優しく拭い始める。
その行為はシンが一度も目にしたことが無い、レイの思いがけない父性を感じさせるものである。
「Daddy?」
ティアの声に、携帯で連絡を取っていたキャスパーが会話を中断してじっと彼女を見ている。
フウも珍しいものを見たという微笑を浮かべながら、二人を遠巻きに眺めている。
静かに頷いたレイは、拭っていたタオルごと彼女をしっかりと抱きしめる。
タオルに隠れて周囲には見えなかったが、ティアはこの惑星で初めて見せる満面の笑みを浮かべていたのであった。
お読みいただきありがとうございます。