025.Leave It All Behind
数日後、アラスカベース。
「ベルさん、これが頼まれた素材です」
ジャンプで到着したシンは、工作機械が並ぶハンガーの中で両手にぶらさげていたトートバックを下す。
持参したチタニウム合金はわずかな量だが、バックの隙間にはいつものカップ麺が大量に詰め込まれている。
「ああ、助かるよ。
高価なチタニウム合金は、空港の抜き打ち検査で引っ掛かる場合が多くてさ」
「最近はトラブルも少なくて、宅配便と観光案内業務がメインですからね」
Tokyoオフィスに引き続き滞在しているティアからは定期的にタクシー業務を頼まれるが、最近はトラブル処理が殆ど無いので平和な日常が続いている。
「この間は旧中華連合圏を、偵察したって聞いてるけど?」
「反撃はおろか人影もありませんでしたから、単なる撮影行でしたけどね」
「まぁ米帝から破格のギャラが出る仕事だから、文句は言えないか……」
「ところでベルさんは、ヴィルトスを使った造形の達人だと聞いてますけど。
コツみたいなものはありませんかね?」
自らのヴィルトスを使って複雑な造形をこなしているベルは、現在のシンのもっとも身近な技術目標である。
「やっぱりトライアンドエラーかな。
あと身近な方法だとブレードの訓練も、かなり有効だと思うけどね」
「ブレードのトレーニングは続けていますけど、やっぱりアンほどの薄くて強靭なブレードは形成できないんですよ」
「ブレードは、かなり遺伝的な適性があるみたいだからね。
シン君の場合には、別の特技があるんだから応用が可能じゃないかな?」
「……応用ですか?」
「鍛造っていう金属加工方法があるじゃない?
君の場合は、それをヴィルトスで実現できるような気がするけど」
「ああ、なるほど!
重力制御と併用するという発想は、無かったですね」
ここでベルが材料棚から黄金色の小さなインゴットを取り出して、シンに向けて放る。
危なげなく片手で受け取ったシンは、右手で握れるサイズのインゴットをブレードへその場で変形させる。
淡い光でビームサーベルのように発光しているブレードはいつもの様に分厚く形成されるが、一瞬ブレードが強く輝くとその厚みが薄くなっていくのが分かる。
アンが形成したのと遜色が無い薄さのブレードをシンが一振りすると、空気が切り裂かれるような鋭い音が発せられる。
「おおっ、発想を変えるだけで出来たじゃないか!
折角だから、外で試してみようか」
「?」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
地上ハンガーから室外に出ると、目の前にはシンが数ヶ月前に作った作品の成れの果てが鎮座している。
美しかった塔の造形も、時間の経過には耐えられずに今や単なる氷の塊である。
「うわぁ、大分形が崩れちゃいましたね」
「ああ。司令もどうやって撤去しようか悩んでるみたいだったから。
実験台としては最適だろ?」
「ええっ、ブレードで切り崩してたら日が暮れちゃいそうですよね?」
「シン、そのブレードの長さは何で決まるのかな?」
「……ああ、なるほど!
ベルさん、ちょっと離れていてくれますか?」
シンはブレードを形成すると、鍛造するイメージで圧縮を繰り返して全長を長くしていく。
ブレードの厚さは上質紙一枚分の厚みも無いだろうが、重力で全体を均一化しているので撓むことも無い。
シンが振り回しているブレードは今や全長が数メートルに達しているが、シンはその重さを全く感じない。
アンから教わった剣術の基本に忠実に、シンはブレードをあらゆる方向へ振り続ける。
溶けかけた氷の城は、僅か数分後には平たくならされた氷の残骸に変化していた。
「すごいなシン!
これなら飛んでいる攻撃機やヘリを、真っ二つに出来るんじゃないか?」
周囲に白い氷の結晶が漂う中、ベルが感嘆の声を上げる。
「ああ、それは昔のブレードの達人が得意にしてたみたいですね。
なんでも切った後の『決め台詞』があったみたいですが……」
今日もアラスカの大気は、冷たく澄んでいたのであった。
☆
「あれっ、キャスパーさん珍しいですね」
アラスカベースからの帰還報告の為にTokyoオフィスに来たシンを、ソファから立ち上がったキャスパーが直々に出迎える。
寮では無く此処で待っていたという事は、何か急ぎの用があるのだろう。
「うん。ティアの件で相談があってね。
ノーナからシン君宛に、何か連絡はあったかな?」
「メールはありましたけど、何時もの食べ物に関する相談みたいでしたよ」
シンはリビングに居るフウに手早く報告を済ませると、キャスパーの対面のソファに腰掛ける。
「全く、いつもながらあの人は……」
「?」
「ゴホンッ。
え~と、シン君にはティアが望むだけここに留まれるように、お手伝いして欲しいみたいだよ」
意味あり気な咳払いの後、伝達事項を事務的に説明したキャスパーは表情が冴えない。
ここ数か月の厄介事の連続で、かなりのストレスを抱えているのだろう。
「エイミーの場合と違って、大分過保護なんですね。
ええっと、確かPROPHETAの滞在には制限事項があったような気がするんですけど?」
シンはノーナから直々に話を聞いていたので、一つの惑星に複数のPROPHETAは常駐できないという制限事項を知っている。
これはPROPHETA同士がお互いに干渉することで、為政者が混乱するのを回避する意味があるらしい。
ちなみにキャスパーはPROPHETAの資格を失って久しいので、この制限事項には抵触しないのである。
「彼女はこの惑星生まれのメトセラの血筋を半分受け継いでいるから、特例が適用されるんだよ。
それにPROPHETA候補ではあるけど、彼女にはコミュニケーション能力が不足しているからね」
「それってもしかして、父親のメトセラはこの惑星でまだ存命中だという事ですか?」
「……そういう事だね。
個人情報については、これ以上突っ込んで聞かないで欲しいけどね」
「彼女が此処に留まりたいのは、それが理由ですか……」
キャスパーの一言で特定の人物が頭に浮かんでしまい、思わず考え込んでしまうシンなのであった。
☆
学園寮のキッチン。
「長期滞在の予定ですか……キャスパーさんがそんな事を」
中華包丁を使って玉ねぎを鮮やかにカットしながら、エイミーが応える。
「うん?何か思い当たる事があるのかな」
シンはもやしの髭をキッチンばさみでカットしている。
非常に地味でしかも面倒な作業だが、食感が大きく変わってくるので必須の手順なのである。
「あの子は出自もそうですけど、ちょっと変わっているんですよ。
ノーナに可愛がられている分、周囲の風当たりも強いですし」
エイミーがザクザクと切っている空芯菜は、切り口の色も鮮やかで鮮度が高い。
やはり中華野菜については定期配送便よりも、近所の八百屋で調達する方が当然鮮度が高くなるのである。
「でもノーナさんがそんな理由で、ここに留まれなんて言うわけないよね?」
「ええ。たぶん近い未来に関係があるんだと思いますけど。
それに彼女はこの惑星で、やり残した事がまだあると思いますし」
「……」
チマチマともやしの髭を切っているシンの作業は、中々終わらない。
レバニラは寮のメンバーに人気のメニューなので、一緒に炒めるもやしも大量に必要なのである。
反対にエイミーの下拵えは、大きな葉物野菜が多いのであっという間に終わってしまう。
「シンに会ってみたかったというのは事実でしょうし、この惑星の代表的な美術品を見てみたいというのも納得できる理由ですよね。
でもまだ帰還したくない、個人的な理由があるんだと思いますよ」
エイミーは今度は生レバーに酢と塩を揉みこんで、丹念に下処理を繰り返している。
体格に準じて掌はまだ小さいが、見かけよりは腕力があるので作業はテキパキと進んでいく。
「ああ、キャスパーさんもなんかそこを強調していたよね。
もしかしてエイミーは彼女の父親が誰か、すでに分かってるじゃない?」
ようやくもやしの下ごしらえが完了したシンは、手が汚れているエイミーからボウルを受け取ってレバーを流水で流していく。
「ええ勿論。私もキャスパーも当然知っていますけど、それを口に出せないだけです」
入念に手洗いをしたエイミーは、手をキッチンタオルで拭き取っている。
「というか、該当しそうな人物は知り合いの中には一人しか居ないけどね」
ステンレスバットに並べたレバーを、キッチンタオルで水気を切りながらシンは呟く。
「……」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
数日後、テキサスのアイの自宅。
「アイさん、これが僕が仕込んだコーンビーフです」
定例の訓練に訪れたシンは、タッパに入った手作りコーンビーフのサンプルを手渡す。
完成後にほぐしていないので見かけはパストラミのようだが、燻煙調理と違ってかなり柔らかく仕上がっている。
「うん、良く出来てるわね。
じゃぁ、こっちと比べてくれる?同じCongoh配送の和牛を使って、私が調理した分ね」
ダイニングテーブルの上には、コーンビーフが具材のバリエーションに富んだサンドイッチが並んでいる。
その中で特に目立っているのは、パンの色合いが違う『ルーベンサンドイッチ』である。
ザワークラウトとチーズ、コンビーフをライ麦パンで挟んだこのサンドイッチは、かなり癖の強い組み合わせで好みが分かれる味である。
アイはシンに同行してきたティアを横目で見ながら、会話をしている。
ティアはルーベンサンドイッチを何故か気に入ったようで、お気に入りのニホン産缶ビールを片手にはむはむと頬張っている。
彼女はソフトドリンクの類は殆ど口にしないが、朝から缶ビールをぐいぐい飲むのが習慣になってしまったらしい。
ちなみに彼女を定例訓練に同行するように指示してきたのは、アイ本人である。
「どれも美味しいですけど、味の傾向が僕の作ったのとかなり違いますね。
使ってる香辛料が違うと、調理してもだいぶ出来上がりが違ってくるんですね」
「うん。ソミュール液は塩と砂糖以外の香辛料は、特に決まってないからね。
シンはエイミーの味覚に寄ってるから、香辛料の使い方がちょっと変わってるかな」
「ああ、確かに。
彼女の母星でも色んなものを食べましたから、その影響はあるかも知れませんね」
「ユウは飲食店での修行が長いから味付けのブレが少ないけど、シンは自分の家族のために作ってるからそこが違うのかな」
「……ティア、アイさんのサンドイッチは気に入った?」
彼女はマリーから教わったのか、サムアップのポーズでアピールする。
無口なのは相変わらずだが、ジェスチャーによる感情表現は以前よりも多彩になっている気がする。
「偶然かも知れないけど……彼女の食べ物の好みはレイにかぶりそうだわね。
あの子も幼少時から、ルーベンサンドイッチが何故か大好物だったから。
容姿は兎も角、血の繋がりは確かに感じるわ」
シンの周囲では誰もが分かっていながら口にしていない事実を、アイがシビアな口調で指摘する。
「……」
シンは尊敬するレイについて気安くコメント出来ないので、やはり無言である。
「なんかティアを見てると、自分の孫娘に会ったような複雑な気分なのよね」
「ははは。ご愁傷さまです」
「シン、貴方が笑ってられるのは今だけよ」
「えっ、自分がですか?」
「あなたナナに検体を採取されたでしょ?
それがどういう結果になるか、真剣に考えた事があるの?」
「……」
「数十年後には、同じことが自分の身の上にも起こると覚悟しなさい!
もっとも貴方なら、エイミーと一緒に他の惑星に移住してるかも知れないけど」
冗談めかしたアイの最後の一言が、思い掛けない形で現実になるのをシンはまだ知らないのであった。
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